View of the World - Masuhiko Hirobuchi

July 26, 2005

1. 「クリスチャンネームは?」と聞かれる不快感 -世界のツボ

ヨーロッパなどを旅行中にフライトの予約や再確認のために航空会社に電話をしてこちらの姓を名乗ると、「ではあなたのクリスチャンネームは?」と聞かれることが多い。旅行のガイドブックには「クリスチャンネームというのは、ファーストネームのこと」と書いてある。心素直な日本人はマニュアルどおりに「タロウです」とか「ハナコです」と答えてしまう。
だがこれでは面白くない。ここはひとつ意地悪することをすすめたい。
「私はクリスチャンではありません」と言えばいいのだ。察しのよい従業員ならこの一言ですべてを悟る。
「アイム・ソーリー。ユアー・ファーストネーム、プリーズ?」となるはずだ。
 「アイム・ノット・ア・クリスチャン」という言葉の中には「アメリカ人やヨーロッパ人は人を見ると簡単に『キリスト教徒』と決めてかかる傾向があるが、それはデリカシー不足というものではないか。私は仏教徒だ。ファーストネームは持っているがクリスチャンネームは持っていない」という抗議が込められている。人間を十把一からげに「キリスト教徒」と断じるのは思い上がりではないか。もっと異教徒にも思いをいたせよという意味なのである。
 たしかにキリスト教徒の子供は生まれてまもなく洗礼を受ける。その時に親、教会、あるいは名付け親から授けられる名前が「クリスチャンネーム」であり、これが実質的には「ファーストネーム」と同義語になる。
 だが世界にはキリスト教を信じていない人々も何十億人もいるのだ。ファーストネームのことを「クリスチャンネーム」と呼ばれるのは心外であり、不快である旨をはっきりと語るべきなのである。

旅行者が埋める異文化の溝

年間千五百万人の日本人が海外旅行に出かける。これだけの人々が旅の行く先々で「アイム・ノット・ア・クリスチャン」と毅然として答えれば、それは旅行関係者の間で大きな話題になるだろう。異教徒(欧米人から見ての)に対する適切な配慮や敬意を呼びさますことにつながり、世界はそれだけ住みよくなるというものだ。あなたの毅然とした一言が異文化間のコミュニケーションの向上に貢献することはまちがいないのである。
 だが、ここまで言えるためにはこちらもよほどしっかりしていなければならない。外国人(主に白人)を見ればほぼ自動的にキリスト教徒と思ってしまう軽率さをまず改めることだ。
 ユダヤ教徒に対する気配りの不足はいたるところに現れている。まさか今どき彼らに豚肉料理をご馳走しようなどという初歩的なミスはないだろうが、十二月ともなれば相手の宗教を確かめもせず「メリー・クリスマス」と言ってしまう思慮のなさは日本であとを絶たない。
 クリスチャンでもないのに教会で結婚式を挙げる若者たちのミーハー的意識をどう変えさせうるのかと思うと絶望的になってくる。
 イスラエルとパレスチナの紛争などを見ていて「互いに原理原則にこだわるから紛争が起きる。原則などはないほうがいいのだ」と思っている日本人は多い。しかし自ら原則を持たぬ物は他人の原則に対しても無神経である。原則なき者は侮りを受け、それが時には命の危険にまでおよぶのだ。このコラムでは日本人がそれと気付かないで犯している思い違いのいくつかを書いていこうと思う。

(注:「SAPIO」に2001年2月に書いたものを主にしている。その後にアメリカで「9・11」同時多発テロが起き、今年はロンドンでもテロが起きた。欧米でもイスラム教徒やヒンズー教徒に対する配慮はいちだんと進んでおり、もはや簡単に「クリスチャンネームは?」と聞く旅行関係者はいないと思うが、この原稿はつい最近までの「現実」を反映したものである。)

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