View of the World - Masuhiko Hirobuchi

July 26, 2005

2. 「世界の原点」に立つ感じ -世界のツボ

 ひところ日本で「原点」という言葉がはやったことがある。「労働運動の原点に返って」とか「民主主義の原点に立ち返って」というふうに使われた。いまでも「恋愛の原点」「教育の原点」という具合に重宝されている。ではそれを使う当人に「原点」の具体的なイメージがあるのかというとあやしいものである。
 日本人はみんなが使うこうした概念用語に弱い。実態を掴めないまま使っているのだ。
 さてこの地球上で、物事を区分けする「原点」がはっきりと存在する場所が一つある。地球上を東と西に真っ二つに割る地点である。ロンドンのグリニッジ天文台だ。そこの石畳に埋め込まれた幅10cm程度の銅線が地球の東経と西経を分かつ零度地点である。この細かい線は実に多くのことを物語っている。
 グリニッジ天文台が築かれたのは17世紀のことだった。以後天文学者たちは世界で最も進んだ望遠鏡を使い、天体の運行を観測し、地球の子午線を決めていった。しかし東経西経の零度地点が、どうしてもロンドンになければならぬという「科学的根拠」はなかったのだ。
 それが世界の標準となり、一日をはかる時間としては「グリニッジ標準時(GMT)」が世界のスタンダードとなるには長い時間がかかった。産業革命を経たイギリスは、18、19世紀を通じ経済、軍事、科学、文化などあらゆる面で世界で最強の国となっていった。グリニッジが世界の子午線の起点となったのは、まさに総合的な「国力」の反映だったのだ。
 だがなんでもかんでも英国と張り合うフランス人たちにとっては、地球の原点がロンドンにあるというのははなはだ面白くない。パリの天文台はロンドンのそれより9年も「先輩」である。彼らはそこを零度地点と定め「パリこそが世界の中心」と唱えつづけた。自国の植民地をはじめフランス文化の及ぶ範囲内ではこの基準が長い間はげしく競争したのである。
 しかし時代の波は、アングロ・サクソンに味方した。新しく生まれたアメリカ合衆国もイギリスの標準を後押しする有力な力となった。1884年、万国子午線会議で投票が行われ、フランスは22対3でイギリスに敗れた。正確な記録が手元にないが、以後もフランスはしばらく抵抗を続けたのち世界の大勢に同調したと記憶している。

「中東」も「極東」もここから決められた

いまロンドンを訪れる日本人観光客の中で、都心からだいぶ離れたグリニッジまで足をのばす人は少ない。「地球の原点を見に行きませんか」と誘っても興味を示す人はあまりいないのだ。テレビ局の特派員としてロンドンに住んでいた私は、こうした「地球規模の大原則」に何の興味も示さないビジネスマンに何度も出会った。一方でお年を召した方は「地球の原点か。ぜひ行ってみたい」と言われるのが常だった。昔の教育を受けた人のほうが「世界」のことにずっと関心がおありなのだ。
 あの細かい銅線を跨いでいると、いろいろなことが見えてくる。近代的な議会制度の本質、世界の金融センター「シティ」を生み出した知恵、サッカー、テニス、ゴルフなどを生んだ精神的土壌、パブリックスクールの教育理念などが、皮膚感覚で捉えられるようになる。なによりも右足が東半球に左足が西半球にあるのだという実感は想像力をかぎりなく刺激する。この原点に立ってテレビカメラに向かい、視聴者向けにあまりむずかしくならないように、イギリスの文化や発想をレポートしたことがある。よく理解していただけたのではないかと思っている。
「中東」とか「極東」という概念はここを起点として生まれたのだ。「中東」と呼ばれることに強い反発を感じるアラブやイラン、トルコの人々の気持ちも痛いほど分かってくる。
 一方では「気に入らなくとも同調せざるをえぬ国際基準というものがある」ことも悟らされる。自分が気に入らないからといって異を唱えていたのでは、国際社会では生きていけない。グリニッジは人間を内省的にし思慮深くさせる場所だ。
 (「SAPIO」2001年2月)

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