View of the World - Masuhiko Hirobuchi

August 02, 2005

第三回 華麗なる偽善者たち -頭にちょっと風穴を

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フランスなどでレストランに入ると、食事のころあいを見計らってオーナーシェフが出てくる。客ににこやかに笑いかけながら「おいしいですか?」(エスク・セ・ボン?)と聞くことが多い。
最近のテレビではグルメ番組とやらがふえて、あまり食通とも思えないタレントたちが、判で押したように「ええ、おいしいです」(ウィ、セ・ボン)と答えている。だがこれはいけない。シェフが「よいか(ボン)?」と聞くのは、謙遜して言っているのである。昔は「ボン」でもけっこういい意味だった。だが時代とともに褒め言葉もエスカレートする。いまでは「ボン(英語の「グッド」)」は「悪くない」程度にしか響かない。
シェフの言葉をそのままオウム返しに「セ・ボン」といったのでは、「まあまあですね」といった意味になってしまう。けっして褒めたことにはならない。
もちろんおいしければの話だけれど、ここはひとつランクを上げて、「エクセラン(エクセレント)」とか「セ・マニフィーク(マグニフィセント)」(すばらしい)といきたいものだ。これが礼儀というものである。グルメ番組の担当者ともなれば、このくらいの常識は持っていてほしい。

京のぶぶづけ

近ごろの日本では言葉の裏に秘められた本当の意味や、誇りやはじらい、粋(いき)や洗練といったものを味わう人々が激減している。外国の社会での「約束事」や「コミュニケーション上のルール」が分からずに世界を論じている人々もまたじつに多い。大新聞にも大放送局にも世界がまったく見えていないで、外国のことを伝えている記者や識者がいっぱいいる。
そんな例を見聞きすると、かつて聞きかじった京都の人々の雅(みやび)なコミュニケーションのことを思わずにはいられない。
なんでも都では、客があまりに長居をしていると「ぶぶづけ(お茶漬け)でもどないどす?」と主人側が聞くという。こう言われた客は恐縮して、「いや、これは思わず長居をいたしました。この辺で失礼させていただきます」と言って早々に退散するのだそうだ。「ぶぶづけ」のオファーは「早く帰ってくれ」という優雅なるサインである。客もその辺のところは十分に心得ていて、このようなやりとりになってくる。
だが中には、主人(あるいは女主人)の意図をまったく解さない野暮な客がいる。愚かにも「そうですか。ではせっかくですからいただきます」などと答えてしまう。こういう客は、都人(みやこびと)から見れば、どうしようもない粗野で気のきかない人である。もっときつく言えば「野蛮人」ということにされてしまう。以後は付き合うに値しない人という烙印を押されて、二度と社交の席などには招かれないそうだ。
この京の人々の婉曲(えんきょく)なる来客撃退法を、陰険だとか「いけず」と見る人がいるのもたしかだ。帰ってほしいなら、もっと率直なコミュニケーションの方法もあるだろうに、と思う人々のいる地域もあるだろう。
幸い私はまだこういう経験に出会ったことはない。京の人々に冷たく扱われた覚えもない。だがこの間接話法はやはりひとつの「文化」であり「洗練」そのものだと思う。国際社会でも十分に通用するコミュニケーションの立派なルールだ。ルイ・ヴィトンのバッグを持ち歩くくらいの人は、こうしたことはすべて心得て、あちらのレストランでも堂々とシェフと応対し、優雅に世界をのし歩いて(?)ほしいと願わずにはいられない。

街道一の二人組

ここで頭にさらにたっぷり酸素を入れていただくために、とんでもない男たちのことを語りたいと思う。
二百年以上も昔の話。イギリスの街道筋には「ハイウエイマン」が出没していた。ハイウェイマンといってもけっして「ハイウェイの男」ではない。いまの日本人はハイウェイと聞けばアメリカの高速自動車道路を想像するだろうが、英語の本家のイギリスでは、高速自動車道路は「モーターウェイ」であり、ハイウェイは古い大きな街道を指す。このハイウェイに出没して旅人から金品を巻きあげるのがハイウェイマンである。つまりは「追い剥ぎ」のことだ。
こうしたハイウェイマンの中でもとくに有名なのが、ロンドンからオックスフォードに向かう街道に出る元陸軍大佐の親子の追い剥ぎだった。この二人組の愉快なのはーー襲われるほうにとっては愉快どころの騒ぎではなかったがーー被害者に向かってじつに丁寧な口をきくことだった。
「命が惜しくば身ぐるみ脱いでおいていけ」などという、はしたないことはけっしていわない。ピストルを哀れな被害者に突きつけながら、「もしお気になさらなければ(イフ・ユー・ドント・マインド)、両手を挙げて後ろを向いていただけますか?」とくる。
そんな物騒な物を突きつけられれば、だれだって「お気にする」にきまっている。しかしそれをいうわけにはいかない。お気にしないふりをして命の次に大事なものを渡す羽目になる。下着一枚にされた被害者は、だらしなく両手を挙げてぐるりと半回転させられる。女房はともかく恋人にはぜったいに見せたくない姿だ。昔の旅も男の生きる道もきびしいのである。
だが二人組は旅人の胸中などにはおかまいなく、きちんと(?)財布を巻きあげて「なにかご不便(インコンビニエンス)をおかけしているのではないかと思いますが」としれっとしていう。この二人が出てくる映画を観たときは、笑いが止まらなかった。
「なるほどイギリスのジェントルマン階級というのは、たとえ強盗に落ちぶれてもーー本人たちには落ちぶれたという意識はあまりないらしいがーーこういう口の利き方をするのか」と妙に感心したものだ。映画の主人公は架空の人物だろうが、この二人組には実在の人物のモデルがあり、なんでも「ジェントルマン強盗」として相当に鳴らした男たちだったらしい。
この映画の題名は『バリー・リンドン』である。ジェントルマン階級になるためにあらゆる手段や策謀を用いて苦労する(?)男の話だ。原作者はトーマス・サッカレー。十九世紀のイギリスを代表する文豪で、名作『虚栄の市』(ヴァニティ・フェア)を書いた人だ。                       

偽善の市

残念ながらいまの日本にはこういう人を食った男たちの会話の妙味を理解する人々は少ない。人の財布を奪っておいてなにが「ご不便」だ。ご不便にきまっているではないか。なんたる偽善者ども! と怒り狂う正義漢が多すぎる。今回のイラク戦争の伝え手たちも、こうした野暮な方々だった。
だが考えてみれば、文明というのは偽善の要素がなければ成り立たない。偽善もまた文明の重要な一部なのだ。文明人というのはそんなことは百も承知で、さりげない会話を交わして付き合っていられる人々なのである。
とくに「外交」という領域は、美辞麗句で飾り立てて本音を隠すことを商売としている連中の集まる場所である。それを伝える側にはそれなりの感性と、偽善を見破る眼力がなければならない。勉強はそこそこにできても、想像力に乏しく、人の心の裏を読めない記者たちには向いていない職場なのだ。
今年の初めからイラクをめぐって国連で繰り広げられた外交的駆け引きは、まさに言葉による戦いであり、修辞と雄弁術の見本市であった。
安全保障理事会でフランスの外相は米英を向こうに回して一歩も譲らず、じつに鮮やかに思える熱弁をふるっていた。一部のメディアは彼の演説を褒めたたえた。しかし私にはシェフを褒め慣れている文化圏で育った「地」が出ているだけのように思えた。
彼の姓は多くのことを語っていた。日本のメディアではドビルパンだが、原音に忠実に表記すると「ドミニック・ドゥ・ヴィルパン」である。貴族の出自を示す「ドゥ」が姓の前についている。この「ドゥ」の存在の意味は大きい。彼は子供のころからおいしいものを食べ、大人たちが交わすしゃれた会話を耳にし、大学では修辞学(レトリック)を徹底的に学んだのだろう。
 こうしたレトリックに対抗したのが、イギリスのジャック・ストロー外相であり、トニー・ブレア首相だった。ストローは「ドミニック、君の考えは間違っているよ」とたしなめていた。私には今回の国際舞台でのやりとりは、フランスの貴族的教養とアングロサクソンのジェントルマン的教養の対決のようにさえ見えた。そして「貴族は生まれながらにして貴族だが、ジェントルマンになれるかどうかは個人の力量による」という言葉を思い出していた。イギリスでは国王といえども、ジェントルマンの評価を受けるとはかぎらないのである。ストローもブレアも、こうした環境の中でいわば「男を磨いて」きたのだ。
そうした修行の過程で、彼らはかの不埒(ふらち)なる強盗のことも知ったはずである。ヨーロッパ大陸の人々の若干きざな教養とはまたちがう、素朴だが地に足のついたユーモア感覚も身につけてきた。そうした素養が、ブレアの国内および国際世論を動かす弁舌を生んだのだと思う。彼の演説は初めは開戦に反対していた人々を徐々に「開戦やむなし」へと動かしていった。
バグダッドが陥落してから、フランス、ドイツ、ロシアが「イラクの復興は国連中心で」と米英に迫った。日本のメディアのいくつかは、あたかもそれが正論であるかのように報じていた。しかしこの「国連中心」という申し出は、もっとあからさまに言えば、「俺たちにも一枚かませろ」ということではないのか。それを言ってはおしまいだから上品に表現しているのだ。国際舞台というのはいわば「偽善の市」なのである。当事者の発言を深読みもせずに伝えるというのは、あまりにもナイーブであり同時に米英への敵意にみちているといわれても仕方がないだろう。
こうしたメディアの記者たちは、ブレア首相も国連主導の復興に賛成したと伝えた。我が意を得たと言わんばかりだった。だがブレアは「原則としては(イン・プリンシプル)賛成だ」と言ったのである。原則どおりには行かない場合もありますよ、と釘をさしたのだ。重点はむしろこの一言にあった。その真意が読めないのでは話にならない。
ところでかの『虚栄の市』は、あまりにも大部のため最近では読む人も少ないようだが、題名だけはいまでも有名である。洗練された記事と写真それにおしゃれな広告で知られるアメリカの雑誌『ヴァニティ・フェア』は、この名作の題をそっくりそのままいただいたものだ。東部の名門大学で教育を受けたジョージ・ブッシュ大統領とその仲間たちには、サッカレーの世界はおなじみのはずである。
日本で夏目漱石や森鴎外が、いまでも知的な人々の間で愛読されているのと似ていると思えば分かりやすい。

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COMMENTS

1 : monkey : August 2, 2005 04:44 PM

中々いいブログに仕上がりましたね。内容多岐に亙って、平易で読み易いです。一つ注文を付けるとすると、写真がほしいですね。最近、特にヴィジアルの世界ですから、やはり視覚にうったえるものが入ると、柔らかい感じが出て相乗効果が期待出来るのではないでしょうか。君から言わせれば素人が何を云うか、かも知れませんね。暴言多謝。


[from Hirobuchi]

monkey様

さっそくご親切なコメントをいただきありがとうございます。ご指摘のとおり、もう少し写真を入れてゆきたいと思います。全般に伝えたいことが多くて、とかく観念的になりがちです。テレビのキャスターをしていたときは、どんな簡単なことでも写真テロップを入れていましたので、その初心を忘れずに発信してゆきます。フジミノ 様からもご感想をいただきました。ご紹介くださり感謝にたえません。今後ともよろしくお願いします。

2 : tiakujyo : August 6, 2005 10:29 PM

私も、monkeyさんのブログ友です。でも、NHKのこどもニュースが
ファンくらいの脳みそのオバサンなので、貴方の書き込みは高尚すぎるかとも思ってましたが、「頭にちょっと風穴を」シリーズは、
私でもよーく分かり、とても楽しいお話です。いろいろと、気が
多くて、ろくに読書もしないけど、これからは HIROBUCHI World
から、脳みその引き出しに、いろんないただきものを納められると
楽しみです。これからも、こんなオバサンのためにも、楽しいお話
を聞かせてくださいね。ありがとうございます。