View of the World - Masuhiko Hirobuchi

August 03, 2005

第四回 フォアグラと天ぷらうどん -頭にちょっと風穴を

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無人島への一冊と最後の晩餐

昔から学生新聞や週刊誌には、アンケートの二大定番ともいうべきものがあった。一つは「もしあなたが無人島に流されるとして、一冊だけ本を持ってゆくことを許されるとしたら、何を選びますか?」というものであり、もう一つは「もし命が明日で尽きると分かった場合、最後の晩餐で何が食べたいですか?」というものだった。
さて、第一の問いだが、地球がやけに狭くなり、通信手段が発達した現在では、どうも「無人島」というもののイメージがはっきりしない人間が多いようだ。若者の大半は本を読まないから、「一冊の本」といわれても全然ぴんとこない。中には「携帯電話さえあれば大丈夫だ」などと本気で思っている奴がいる。
椰子の木が一本だけ生えている無人島は、マンガにはよく登場するが、どう見てもリアリティは薄い。自分が政治犯などにされて、そういう所に流されるなんてこともまったく思い浮かばないし、携帯の電池がそのうち切れるなんてことには頭が回らない。無人島もキャンプ地かなんかのように錯覚しているふしがある。ましてや一生故国に帰れず、他になんにも読むものがない状況などは考えることすらできない。
昔の学生には、こうした状況はかなりの切迫感を伴って想像できた。彼らは『聖書』『論語』『ファウスト』(ゲーテ)『パンセ(冥想録)』(パスカル)などと大真面目で答えていた。
だが、究極の孤独というものがイメージできなくなったこのご時世に、「無人島と一冊の本」という問いはいつのまにか姿を消していったようだ。
そこへゆくと「最後の晩餐」の方は健在(?)である。この企画が人気があるのは、天下の有名人が、本当はどういう人物なのかを知る楽しみがあるからだ。自分の好みと比べることもできるし、立派な人物だと思っていた人が、意外につまらぬ俗物であることを発見する楽しみ(?)もある。キザの権化と見られていた人が、思いのほかに庶民的であるのを知ったりもする。

キザ路線と大衆路線
 
ま、答えどおりのものを最後の晩餐で食べたかどうかは、だれにも分からないのだから、適当に答えておけばよさそうなものだが、質問を受けた有名人にとってはそうはいかない。人間、見栄ってものがある。答えの内容によっては人々に軽蔑されたり、政治家の場合は大衆の反感を買ってかなりの票を失うかもしれない。ここはカッコよすぎてもいけないし、悪ければなおいけない。相当に緊張する一瞬である。
 私の知っているある音楽評論家は、かつて週刊誌のアンケートで、だれも知らないような超高級レストランの、これもだれも思い出せないようなヨコ文字の料理の名前を挙げていた。彼を知る読者は「いかにもあの人らしい」と思ったことだろう。本人は正直に答えたのだろうが、どうも少し無理をしているという疑念(?)は拭えなかった。
そこへゆくと、私が住む町の市長さんはじつに率直な考えの持ち主である。なんでも友人たちと夫人同伴の会食をした際に、話がたまたま最後の夕食に及んだらしい。外交官や商社マン、大学教授など海外生活の経験者はわれ先に難しい料理の名を口にした。市長は当惑していたが、友人たちに促されて、なんと「やっぱり、天ぷらうどんですかね。天ぷらは小えびと山菜で、めんは讃岐のしこしこしたのがいいですね」と答えたそうだ。皆がどっと笑った。あとで奥さんから「あんな恥ずかしいことはなかったわよ」とこぼされたそうだ。しかし市長は「だれしも人生最後の食事となれば、本当に好きなものを食べたいのが自然ではないか」と言い、「トゥールーズのフォアグラやカスピ海のチョウザメの卵なんかで人生の幕を下ろせるか」とご自分のエッセイを締めくくっている。
これは市の広報紙の連載コラムに載っている文章である。市民に愛されようとか、票がほしいから庶民に擦り寄るといった卑しい計算はみじんもない。あまりに大衆的なアイテム(?)を選んだことに対する羞じらいをにじませながら、深夜に独りでバッハを聴く知識人は、断固としてフォアグラ的路線を拒否していたのである。

フォアグラ漬けの日々

 「人さまのことはともかく、そういうお前自身は何が食べたいのか」と聞かれれば、「まだ考えていません」と答えるしかない。しかし、フォアグラとキャビアとトナカイの肉でないことだけはたしかだ。じつはなにを隠そう私はこの三つについては三日連続で食べた経歴(?)の持ち主なのだ。そんなことは自慢にもならないし、そのすべてについて書く気もないが、はじめの二つについてだけは語っておきたい。
 二十年以上も昔の話。ヨーロッパ放送連合(EBU)の番組委員会がフランスで開かれた。EBUというのは、西ヨーロッパの放送局が寄り合って作っている組織である。第二次世界大戦の末期に作られたもので、これが大戦の終結と戦後の冷戦構造の中で果たしてきた役割はきわめて大きい。だがそのことについて、日本では注目する人はまずいないのが実情である。新聞記者も学者も、国境を越える電波がヨーロッパの政治・経済・教育・文化にどのような影響を及ぼしてきたかを考えもしないようだ。ま、それはともかく。
日本の放送局はEBUの正会員ではないが、準会員として会議に出席することができる。私も自分が勤務するテレビ局の代表として参加した。議題は放送衛星についてだった。この衛星が稼動し始めれば、テレビ電波はいやおうなしに国境を越えてゆく。そのことと各国の主権に属する電波行政は衝突してくる。この問題をどう解決すべきかという、長い時間を要する議論だった。この時から十数年が経過して、やがてベルリンの壁を越えて、鉄のカーテンの彼方までテレビ電波が入っていったことを思うと、ここで行われていた論議の持つ歴史的意味はまことに重かったのだ。
 会議はリヴィエラ海岸の有名なリゾート地カンヌで始まり、翌日はトゥールーズへ移動、最後はパリで締めくくるという、なんとも粋なはからいにみちたものだった。カンヌでは、郊外の「ムージャン村の風車」というレストランでの昼食が待っていた。評判どおりの旨さで、フォアグラもしつこくなく、じつに美味であった。翌日は英国との共同プロジェクトで超音速旅客機コンコルドを製作しているトゥールーズで、これまた超美味の晩餐が待っていた。令名高いフォアグラにもまたお目にかかった。
昼間の会議ではしゃれたジョークが頻発した。イタリアのヴィットリオ、ノルウェーのヘンリック、イギリスのネヴィル(いずれもファーストネーム)といった常連が今回も参加していた。『ハムレット』の名句の引用があった。会議が終わるころ雨が降り始めた。議長のヘンリックはすかさずポール・ヴェルレーヌの「巷に雨の降るごとく」の詩の一節をフランス語で口ずさみ、現地の放送局から出席者一同に傘がプレゼントされた旨を伝えた。
高校や大学で受けた教育が、こうした国際会議でいかに役立つものかを痛感した数日間であった。昨今は若者に暗記を強いないことが先進的教育だと勘違いしている輩がいる。そうした人々は一度このような国際会議に出席してみるがいい。おそらく考えが変わるだろう。ヨーロッパの放送人というのは、じつに洗練された知性の持ち主たちであり、彼らと語り合うためには、こちらもそれなりの知的装備というものが必要なのである。
夜はモンテスキュー侯爵の城館で、ダルタニヤンや三銃士の扮装をした青年たちが、ラッパを吹き鳴らして迎えてくれた。翌日我々はコンコルドに乗って大西洋上を西に向かって飛んだ。このとき私は、はじめて「マッハの壁」を越えた。コンコルドはニューヨークへは行かず、大西洋上で方向を変えてパリに向かった。パリではまた超美味なる宴が待っていて、フォアグラとキャビアはここでも誠実に我々を迎えてくれた。「フォアグラとキャビアにはもう一生会えなくてもいい」という気になった三日間だった。
この時の思い出が鮮烈なのは、これら親愛なる美食のためのみではない。ヨーロッパの知的リーダーたちの間で交わされる文学的会話の実態に触れることができたためである。それは至福ともいえる輝きにみちた日々であった。

「食べ物も教養のうち」

私が少年のころは食糧難の時代で、子供たちはいつもおなかを空かしていた。日本が豊かになり、テレビ局の初代ニューヨーク特派員に指名されたころから、食べ物に関しては幸福な思い出の比重が増していった。すばらしい国際人の上司の薫陶を受けたのだ。その人は若手社員に「食い物も教養のうちだからね」と語り、西麻布や代官山の高級レストランへ我々をよく連れていってくれた。メニューの選び方にも食卓での会話にも教養というのは表れるという信念の持ち主で、紳士の会話というのがいかなるものかを、外国から来たお偉方と食卓を囲みながら、具体的に示してくれた。イギリスの紳士相手には、知識をひけらかしてはいけないが、フランス人と語るときには詩の一節も会話の端に乗せるくらいのことがあってよいことも教わった。外国語を用いる能力が平和の基礎であること、一つの言葉の選択のミスが、戦争を招くことがいかに多いかも、徹底的に叩きこまれた。食事が他国の人々とのコミュニケーションにはたす役割の重要さも、私たちは生きた偉大な教科書から学んだ。
 さて当時の上司をはるかに上回る年齢になったいま、後輩や学生たちに伝えうることは少ない。車寅次郎ふうに言えば「かえりみますれば恥ずかしきことの数々、ひたすら反省の日々を送っております」ということになるだろう。おしゃれなレストランに連れてゆく予算もない。せいぜいできるのはゼミの学生を有楽町の外国人記者クラブに連れていくくらいのことである。それでも彼らには、けっこういい刺激にはなるらしい。初めて目にするカクテルの名前を覚え、ヨコ文字のメニューを読む自信くらいはついてくる。他国のメディアの特派員たちと必死で会話をしている姿はほほえましい。
彼らをこういう場に連れ出すのも、かつての上司の「食い物も教養のうちだからね」という一言がいまも耳の底で鳴っているからだ。彼らがフォアグラを好むキザ派になるか、天ぷらうどん好みの庶民派になるかは問題ではない。ただできれば無人島に持ってゆく一冊の本を決めうる人間であってほしい。

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