View of the World - Masuhiko Hirobuchi

August 09, 2005

第八回 禁酒の国の赤ワイン -頭にちょっと風穴を

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ウナギを食べない人々

かつて私が働いていたテレビ局に豪快な上司がいた。酒とウナギが大好きだった。有名な赤坂のウナギをこよなく愛していた。要人との会合ではこの店をよく使った。外国からのえらい人もこの店に連れてゆくことを好んだ。「せっかく日本に来たのに、こんなうまいものを食べさせないで帰せるか」というサービス精神からだった。
友情と善意には一点の曇りもなかった。通訳を兼ねた部下たちも喜んでお供をした。中には自らもウナギが大好きで、ボスを焚きつけて(?)この店に行こうとした者もいたようだった。だが私はこの店に外国人を連れてゆくことには慎重だった。
外国のメディアの幹部にはユダヤ系の人たちが多いからである。ユダヤ教徒もイスラム教徒も豚肉を食べないことは割合と知られているが、彼らがともに「ウロコのない魚」を食べないことまでは、当時はあまり知られていなかった。四年余にわたるニューヨーク勤務で、ユダヤ系の人々の生活を見て私はこのことを学んだ。だから来社予定の外国人の姓名で、この店に連れてゆくべきでない人をそれとなく選んだのだ。
日本の国際化ということがいわれて久しいが、異文化圏の人々との付き合いで食物に気を配る習慣はまだまだである。世界に十三億人いるといわれるイスラム教徒との接触ではこれに酒がからんでくる。彼らの聖典『コーラン』は飲酒をきびしくいましめているという。
しかしこの戒律をどのくらい厳密に守るかは、国によって違う。サウジアラビアのよう
に聖地メッカを擁し宗教そのものが国家であるような所では、酒はまずぜったいにご法度である。だがエジプトでは、ビールなどはいくらでも売っている。さらに外国人相手のホテルで酒が自由に飲めるイスラム教国は多い。戒律の度合いは、どうやらその国をべている理念や最高指導部、さらには最高指導者の性格と物の考え方によるようだ。

名は体をあらわさぬのも文化

そこで思い出すのは、かつて中東の暴れん坊といわれたムアマル・カダフィ大佐が治めるリビアのことである。ここではたとえ外国人(多くは異教徒)専用のホテルであっても、酒は出さない。カダフィが信心あついイスラム教徒だからである。
私が大佐との会見のために、テレビ・カメラのクルーとともに首都トリポリを訪れたのは、一九八一年の四月だった。カダフィがマンハッタンに原爆を仕掛けてアメリカをすというサスペンスあふれる小説『第五の騎士』が、世界的なベストセラーとなっていたころである。小説の中でとはいえ、カダフィはそれほど危険な男だった。私たち取材班を迎えたリビア側の警戒はきわめて厳重であり、会見の日時と場所はけっして知らされなかった。行動予定が事前に洩れれば、カダフィは暗殺される危険があったのだ。
じりじりしながらいつ実現するとも知れぬ会見を待っているのは辛い。気晴らしに町の大衆レストランに出かけることにした。隣国のチュニジアから来たというウェイターたちはきわめて陽気だった。
「うちにはヴィノロッソ(赤ワイン)がありますよ」と彼らはいった。ヴィノロッソはイタリア語である。リビアはむかしイタリアの植民地だったのだ。独立を達成してからもこの国とイタリアとの結びつきはつよい。
「そいつをもらおう」と私たちはいった。ウェイターはグラスに妙な液体を注いだ。どろりとしていて赤ワインとは似ても似つかぬものだ。
「なんだこれは?」とけげんな顔をする私たちに向かって、ウェイターはにやりと笑い、「それが当店のヴィノロッソですよ」といった。なんのことはない。オレンジジュースなのだ。彼らの笑いは、まるでいたずらっこが大人をからかって喜んでいるのに似ていた。
ウェイターはさらに悪乗りしてきた。
「ヴィノビアンコ(白ワイン)もありますよ」
今度もインチキにきまっているのだが、そのだましかたにどれだけセンスがあるかを知りたいと思った。「それをもらおう」となった。カラフェに入った透明な液体が出てきた。一見まさに白ワインである。だがそんなものの正体はたちまちばれる。
ウェイターたちは「恐れいりやした」というふうにウィンクをし、その白ワインが水道水であることを白状した。そういえば日本でもむかし、水道の水のことを「鉄管ビール」などと呼んで面白がっていた時代があった。酒の一滴も飲めない国で、彼らがこういう罪のないジョークを交わしていられるところに、私は欧米のマスコミが伝える狂信的なイスラム教国というイメージとは違うリビアの一面を見る思いがした。
トリポリ市内や周辺の取材にも出かけた。その一つが地中海に面したズリテンという地区のセメント工場の建設現場だった。日本と韓国の技術者と労働者がともに働いていた。地鎮祭のような儀式が行なわれていた。道教でいう修祓式(しゅばつしき)というものであり、大地に酒を撒いてに工事の無事を祈るものだ。だが、そのための日本酒が輸入できない。智恵を絞った日本企業は、を輸入した。「米の粉(ライスフラワー)」という名目でだった。日本人の主食が米であることは、税関の役人だって知っている。少しくらい怪しいと思ってもこれは通さないわけにはいかない。かくて幾多の曲折を経て、酒粕は無事にズリテンまで運ばれてきた。日韓の責任者たちはこれを水に溶いて酒を作り、大地に注いで工事の無事を神に祈った。
この様子を見ていて、私は落語で聞いた話を思い出した。酒を「」と称して山門の内に運び込み、これをたしなんでいた不埒なる僧侶たちのことである。酒にこんな優雅な名前をつけて警戒厳重な囲みを突破した先人たちの悪智恵は大したものであった。おかげで私たちは「呼称と実態の違い」を若くして学んだのだ。ウィットとユーモアに富んだズリテンの工事責任者たちも、なんだか落語の中の大らかな人物たちに見えた。

カダフィが拭った汗       

四日目に情報省の担当者がいきなりホテルにやってきて「いまから大佐が会う」と告げた。夜の九時ごろだった。私たちを乗せた車は、何度も同じ道を通った気がした。こうして運転手は尾行をまいているのだろうと思った。着いたのは広大な体育館のようなところだった。階段を昇り降りし、廊下を何度か曲がった。ここは人民議会の建物だった。いくつもの廊下の果ての一室に、お目当てのムアマル・カダフィはいた。弱冠二十七歳で腐敗した国王を放逐して政権を握って以来、冷酷非情に徹し数々のを行い暗殺を逃れてきたカリスマがそこにいたのだ。
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私たちは儀礼的な握手を交わした。通訳は元ローマ大学の教授という老人だった。私はいきなり聞いた。
「あなたは国際社会では二つの顔を持つ男と見られている。一つは神を敬い民衆を愛するなイスラム教徒としての顔である。もう一つは自分に反対の意見を持つ者を粛清し国外に亡命した者まで執拗に追いかけて暗殺する冷酷な男としての顔である。西側の人々はどちらの顔が実像に近いのかをはかりかねている。貴方はほんとうに刺客を放って国外に逃げた反体制派を『消す』命令を下したのか?」
じっと考えていたカダフィはおもむろに口を開いた。教授はこれを英語に訳した。みごとな英語だった。私がマフィアなみに使った「消す」(ワイプアウト)という英語は「除去する(エリミネイト)」に変わっていた。まさに「漢文の素養がある人の日本語」みたいなもので、教授の用いるはラテン語系の言葉が多く使われていた。
 「彼らを除去する命令を下したのは私ではない」とカダフィは言った。
 「来たな!」と思った。言い逃れをしようというのか? と一瞬思った。だが彼はすかさず「命じたのは革命委員会だ」とつづけた。つまり亡命者をエリミネイトする命令を下したのは、自分個人ではなくて、リビアの革命委員会だというのだ。しかしその委員会の委員長は名目はともかく実質的にはカダフィ大佐その人ではないか? 頭のいい男だと思った。
 インタビューはこうした調子で約二時間つづいた。始まってから間もなく教授の額には大粒の汗が浮かんできた。なにしろ恐ろしい独裁者に、遠慮なく質問を発する日本人記者がいるのだ。適当に加工して訳すわけにはいかない。カダフィは英語を完全に理解している模様である。ひとつ訳し間違えば、命にかかわることもありうるのだ。額の汗はますます大きくなっていった。
 そのときカダフィは、とっさに机上にあったペーパータオルで教授の額を拭った。ごく自然な動作であった。「あまり緊張するなよ。責任は問わないよ」という年長者へのいたわりが、その仕草にこもっているように思えた。我が練達のカメラマンは、この一瞬の右手の動きをすばやくクローズアップで捉えた。血も涙もない男という欧米のメディアが伝える顔とは別の顔がそこにあった。
この会見全体を通じて、私はカダフィがけっして「狂犬」などではなく、非常に慎重で、繊細な気配りをする人であり、全体を冷静に見ることができる男だという印象を受けた。アラファトのような二枚舌は使わず、フセインのような愚かな強がりも言わず、国家国民およびみずからの安全を常に考えているリーダーだと思った。しかしこの日から五年後に、彼はレーガン大統領の怒りを買い、アメリカ軍の空爆によってあやうく一命を落としそうになった。彼は明らかにレーガンの真意を読み誤り、越えてはならぬ一線を越えたのだ。この教訓がよほど身にしみたのだろう。それ以後の彼は、けっして冒険をしなかった。
二〇〇三年の十二月、リビアが核兵器、生物化学兵器の開発を全面的に中止し、国際査察を無条件に受け入れるというニュースが世界を驚かせた。米英の文句なしの外交的勝利であった。これがイラン、シリア、北朝鮮に与えた衝撃ははかりしれない。
こうしたことのすべては、二十三年前のあの四月の夜にさかのぼることができると私は思っている。極度の緊張感に耐えながら、必死で正確な通訳に徹した老教授の額の汗を拭うほどの気配りの男が、米英相手に負けると分かっている喧嘩をするわけがないのだ。
日本人の多くは、メディアで伝えられる数行の記事だけで、世界を判断しがちである。とくに「大義」などという美しい理念に弱い。だがこの世の中はもっと複雑なものだ。赤ワインがオレンジジュースにすぎない文化圏もあることだけは知っておいてほしい。

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COMMENTS

1 : エセ男爵 : November 10, 2005 07:25 PM

「禁酒の国の赤ワイン」
(ウナギを食べない人々)

廣淵ブログより抜粋(2005/11/10)
読書感想文:
まず、Themeの整理をしてみました。

話題―1
*宗教と食文化の話し、鰻の落ちが無いので少し寂しい。是非、「鰻の話の落ち」がほしかった。例えば戒律的に食べれない誰かに誰かが出したとか、、、。椿事がおきたとか?あると面白いですが如何でしたか。
概してこの話の落し所は、その国のリーダー達によってイスラムの戒律による「実質的・戒律拘束現状」の違いが出る。
(戒律の遵守の程度とその違いは、イスラム化された、その国の民族性にもよると思う。インドネシアの場合、緩やかな戒律、いい加減な民族性、多分、そのいい加減さは気候風土によると思う。断食を美とする戒律はおおよそ砂漠の民の生活に合わせ定められた戒律であろうから、インドネシアに向くわけがない。合わせてインドネシアの広大な地域それぞれの風俗習慣にも影響されているようである)

話題―2a <タガフィーの話(1)> イスラム社会に於ける「禁酒」の話。
*通して、食文化の話であるから「知らない人」が聞いたら、非常に面白く、ウイットに富んだ話である。ちなみに小生、「知らない人」の範疇でこの話を読んでいるから、面白い。実体験の話が挿入されており、酒の麹の密輸入の話は、特に面白く読めました。


話題―2b<タガフィーの話(2)> タガフィーの有能にして類い稀なる「リーダーとしての資質」を描き、他の中東諸国とのリーダー達より秀でている事、話の主題である。
*有能なリーダーの姿を形容するに、これまた練熟した通訳すなわち元ローマ大学教授を話の中に旨く挿入され、臨場感溢れるタガフィー像を浮き彫りにされているから、ストーリー展開が面白く読めた。

以下引用文:
>>じっと考えていたカダフィはおもむろに口を開いた。教授はこれを英語に訳した。みごとな英語だった。私がマフィアなみに使った「消す」(ワイプアウト)という英語は「除去する(エリミネイト)」に変わっていた。まさに「漢文の素養がある人の日本語」みたいなもので、教授の用いるはラテン語系の言葉が多く使われていた。

とある。が、
暗殺をもろに使うと assassination
消す、は、日本語としてもいささか隠語的か?
となると、一国の頂点に立つ人物に対する受け答え、まして、そういう敬意本田湯原始無ければならぬ人物に対してwipe outを使用するのは、あまりにも失礼で、直接質問の言葉としては下品すぎる。
となるとeliminate(除去する、排除する=現代英和辞典/研究社;おおよそ日本で出版された英和辞典には、この単語に「殺傷する」、「暗殺する」などという意味は、一向に見当たりません)は、最も適切である。しかも、敬意を込めるまでには至らないブリティッシュイングリッシュとしては、(包括的にヨーロッパ大陸ならびに英国の影響を受けた元英領植民地及びEU周辺諸国においてして、生きている常用語であり、古語でもラテン語でもない。と、思います。むしろここは、このエッセイの作者が、米語中心に英語を使用してきた弊害であると、この本文の中に明記されたほうが、(読者として)より納得できますが、如何。
さらに、
<引用:Oxford American Dictionary p.310より>
*eliminate v.tv.
1. (a) remove; get rid of. (b) kill; murder.
2. exclude from consideration; ignore as irrelevant.
3. exclude from further participation in a competition, etc., on defeat.
4. Physiol. discharge (waste matter).
5. Chem. remove (a simpler substance) from a compound.
6. Algebra. Remove (a quantity) by combining equation.
などと、解説されていますから、
すでに米語においても、エリミネイトは「殺す」意が常用されているといっても差し支えないと思います。ですからワイプアウトの方が、よりcolloquialな表現であるます。したがって、たとえ(暗殺者)タガフィーに対して質問する言葉の用法といえども、このワイプアウトの仕様は「ジャーナリストの傲慢」とおもえる「恥ずかしい英語用法」だと思います。この文面を書いている今の自分は、むしろ通訳の方が「何故、汗をかかれたか?」。「通訳の汗を拭いた、タガフィー」の心境が窺え、こちらまで冷や汗をかく?というより、状況を想像するだけで恥ずかしくなり、赤面します。

さらに、この「エッセイの結び」を拝読し、昔ロンドン滞在中に観た(日本封切前)ショーンコネリー主演キャンディスバーゲン共演の映画「風とライオン(A Lion and the Wind」を思い出しました。日本ではあまりヒットしなかった?(良くわかりません)映画です。
時代背景は第一次世界大戦前後?(いや、以前でしょう)、ジブラルタル海峡をはさんだ北アフリカの軍事的要衝の地、タンジールの港町を、ショーンコネリー扮するアラブ人の族長が突如として英国大使館を襲い、キャンディスバーゲン扮する2人の子連れのアメリカ人女性を誘拐するところから、この物語が始まります。
当時の米国大統領ルーズベルトは、未だ発展途上にあるアメリカの威信を賭け、わざわざアメリカ本土より海兵隊一個連隊をかの地に派兵し、誘拐された3人(内、子供2名)のアメリカ人救出に向かいますが、一向に埒が明きません。
アメリカ人女性とその子供を誘拐した族長は、彼らと同行の旅路にてあらゆる危険に晒されながらも断固として凛として、アメリカ人家族を守り抜きます。
結果として、ショーンコネリー族長は同イスラム教の他の部族に「騙され」、逆に拉致されます。さっそく人質交換というプロセスの中、アメリカ海兵隊に反してドイツ陸軍はショーンコネリーを開放しないという作戦を立て、この際一挙に反先進国部族を撃滅しようとします。が、誘拐されたアメリカ人家族の息子の機知に助けられ、ショーンコネリーは無事拘束された牢屋から自力で脱出し、あわせて無事にアメリカ人家族を解放し、米軍海兵隊に引き渡したのち、以前と変わらない砂漠の生活に戻ります。
称して、ショーンコネリーを「砂漠の風」、アメリカ大統領ルーズベルトを「ライオン」と称し、文章にて共に「エールを交換」を交換した、という最期のくだりがあります。
小生、役者も砂漠もストーリーも、大きく評価する大好きな映画です。
この映画を観たのはすでに27~8年も前の話です。
当時は未だ、対キリスト教ターゲット的国際テロ戦争は、予想だにしなかった時代。第二次世界大戦以降の、西側諸国とソ連の間の冷戦の延長線上にある中東内部の紛争多発の時代でした。そして、この映画を観た後、思いました。
「こりゃたいへんだ。産油諸国であるこの中東地域は一筋縄ではいかぬ。いまから大いに勉強すべし!知らなければならぬこと多いそ~」
昔観た「よき映画」のストーリーを思い起こさせ髣髴させられ、そして感想を述べたくなる。あらためて砂漠の民の末裔、タガフィーについての記事、そしてその結論、決して一筋縄には往かない対中東諸国外交の難しさと、それを取材されるジャーナリストの「命がけ」の仕事、理解できます。
さらに現在、もっとも近未来において、日本人ジャーナリスト達のモラルと錬度を高め、より高次元での活躍を期待するところであり、ゆめゆめBBCに至らなくとも、よりそれに接近すべき総合的包括的な高品質の報道を期待するものであります。
すばらしい記事を拝読でき、たいへんありがとうございます。

2 : エセ男爵 : November 11, 2005 11:15 AM

申し訳ありません。
急ぎコメント書いたもので、読み返せが恥ずかしき表現言い回し等、多々あります。
(出来損ないの文章たるもの、書き直せば切がありませず、数週間かかる?)
しかし、どうしても訂正しておかなければならぬ箇所があります。訂正コメントを付けさせてください。

小生コメント内の
下記、センテンス・・・

>>とある。が、
>>暗殺をもろに使うと assassination
>>消す、は、日本語としてもいささか隠語的か?
>>となると、一国の頂点に立つ人物に対する受け答え、まして、そういう敬意本田湯原始無ければならぬ人物に対してwipe outを使用するのは、あまりにも失礼で、直接質問の言葉としては下品すぎる。

X=敬意本田湯原始無ければならぬ人物に対して
O=敬意を表現し表意なければならぬ人物に対して

と、なります。
申し訳ございません。

3 : ラ・マンチャの男 : November 11, 2005 06:01 PM

エセ男爵様 コメントを有難うございます。1.ウナギについての結末を書いていないーーとのご指摘ですが、これは話を進めるためのマクラというか、「全体を構成する一部」なのです。読者に「こういうこともある」ということを知らせつつ本題に入ってゆく一過程です。 2.カダフィについての「語法」の問題。言葉は生きています。現場の雰囲気との関係で変化します。当時のカダフィはそれこそ「狂犬」と呼ばれていた人です。インタビューの手法としては、わざと相手を怒らせて本音を聞き出すこともあるのです。外交官が使うような儀礼的英語を使っても、彼の本音は聞けません。時に持ち上げ、時に怒らせるというのが常道であり、ここでの「ワイプアウト」は適切だったと思っています。 3.元教授の用いたギリシャ・ラテン的言葉というのは、「エリミネイト」ではありません。彼のギリシャ・ラテン的言い回しはいたるところに出てきました。次に「エリミネイト」は「この地上から除去する(=消えてもらう)」ということで、この表現は政敵の抹殺の場合によく使われています。アサシンとかアサシネイションなどという言葉は「そのものずばり」であり、「みもふたもない」表現で、これは使えません。euphemism (婉曲表現)と現場感覚の組み合わせが必要です。 4.「風とライオン」のご紹介を有難うございました。
5.この連載は毎回「4000字」という制約の中で書いています。一行も多くなくかつ一行も少なくないように書かねばなりません。何から何まで書くわけにはいかないのです。逆にいえば制限がないということは、それだけ冗長に流れる危険もあります。この制限を尊重し、はみ出した分は情容赦なく切り捨ててこの行数に収めつつ、過去18回書いてきました。17回目は12月初めに載せる予定です。引き続きよろしくお願いします。

4 : エセ男爵 : November 12, 2005 12:54 AM

拝読しました。
状況、制約、英語の(現場の)用法、実に良く理解できました。
ありがとうございます。
こんな読者がいて、こんな質問をして、それでなくともお忙しい廣淵先生のお手間を取らせてしまい、たいへん恐縮致しております。
ありがとうございました。
今後とも、引き続き宜しくご指導のほどお願い申し上げます。