View of the World - Masuhiko Hirobuchi

August 18, 2005

第十一回 「カスバの女」が狂わす距離感 -頭にちょっと風穴を

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松茸の意外な宝庫

ニューヨークに住んでいたころ、遠い西海岸のシアトルから運ばれてくる松茸(まつたけ)はきわめて美味であった。特派員としての任期を終えて東京に帰ってくると、松茸は信じられないくらいの高値になっており、めったに口に入らなくなった。それから三年半が経って、今度はロンドンに赴任した。イギリスにはシアトルにあたるような場所はなく、松茸を食べるなどという高望み(?)はとっくに捨てていた。だが世の中は広い。意外な近くに松茸の宝庫があったのだ。ほかでもない、アルジェリアの首都アルジェである。 
ある年、このアルジェで「アラブ首脳会議」というのが開かれた。イスラエルに向かって仕掛けた戦争の後始末についての会議である。アラブ諸国の首脳たちはマスコミに対してあまり物をいわない。だから会議の取材というのはじつにむずかしい。複雑なジグソーパズルのように、一つ一つのピースを組み合わせていっても、なにが会議場の奥深くで語り合われているのかの全体像がなかなか見えてこないのだ。
 この町に集まった新聞やテレビの記者たちは当然手持ちぶさたになってくる。ニュースらしきものはほとんど洩れてこないのだが、暇だからといって遊んでいるわけにはいかない。会議の事務局はいきなり重大発表をやらかすかも知れないのだ。
 こういう中途半端なときに、人間の考える公約数的なことは、「なにか旨いものを食おう」ということに落ち着く。日本人記者たちの間には情報通みたいなのがいて、「ここの松茸はうまいのだ」ということになった。こういう気のきいた食べ物情報を握っているのは大体がパリに常駐している記者たちである。私を含めロンドンにいる記者は、食に対してそこまで熱心(?)ではない。ジェントルマンというのは、粗食に耐えるのも人間修行のうちと思っているところがある。そこへゆくとパリの連中は欲望に対して素直である。「人間として生まれてきたからには、旨いものを求めるのが当然」と思っているし、食べ物に対する知的好奇心は旺盛である。
秋はまさにたけなわである。しかも会議場の名前が「松の木クラブ」(クリュブ・デ・パン)ときた。聞くからに周辺には松茸が生えている気がするではないか! 我々は勇んで市場におもむいた。みごとな松茸を売る老人がいた。それを大量に仕入れてきて、さてどのように料理したのか? たぶん偉大なる幹事役は、松の木クラブの料理人に話をつけて松茸を焼いてもらったのだ。我々はそのアツアツに焼けたやつをタテに裂き、レモン醤油に漬けて食べた。じつに美味であった。レモンはいくらでもあったし、醤油は用意周到なパリ特派員たちが、あの駅弁なんかについている魚の形をしたプラスティックに入ったのをしこたま持ってきていた。こういう時のためにわざわざアルジェリアまで醤油を持ってくる先見性というか根性(?)にはほとほと感心した。
この幸福な経験を、記者たちがメディアで伝えたのかどうかはともかく、やがてアルジェの松茸の名声は東京の大デパートの知るところとなった。このデパートはアルバイト学生を現地に派遣して松茸を大量に仕入れさせ「国産」と称して売った実績(?)があるという。食べ物の原産地について、いまほど厳密ではなかった時代の話である。
私もいつかは落語「目黒のさんま」のお殿様を気取って、「ヨーロッパで松茸を食そうとするならアルジェにかぎるぞ」と言ってみたかった。いまとなってはもうおそいし、こういうジョークはもはや若者の前では使えない。落語というものを一回も聞いたことがない大学生たちに向かって、「松茸はアルジェにかぎる」などといってみても、「さんまは目黒にかぎるぞ」とのたまった大名の胸中にまで頭が回る者はまずいないからである。

カスバは植民地時代の遺産?

アルジェではなぜ松茸を売っていたのだろう。まさか松茸大好きの日本人記者たちが大挙して取材しにくるという情報が事前に洩れていたわけではあるまい。彼らはふだんから松茸を採り、これを食べていたのだ。とすれば、なにも事はアルジェリアにかぎらないのではないか。松の木が生い茂っているところには松茸が自生するはずだ。香りはひじょうにいい。「ひとつ食べてみるか」という気になるのが人情というものだろう。地中海一帯には松の木が生えている所は多い。ギリシャ、イタリア、トルコ方面、さらにはエジプト、チュニジア、モロッコといった国々ではどうなのだろうか?
大新聞のカイロとパリの特派員を務めた牟田口義郎さんに電話で聞いてみた。牟田口さんの話では地中海一帯で松茸を食べる地域というのはアルジェリアの他には聞かないそうだ。念のため百科事典でも調べてみたが、松茸の分布地域に地中海方面は記されていない。
さて名にしおうアルジェリアまで来たからには、私にはどうしても訪ねてみたい場所があった。いうまでもなく伝説の「カスバ」である。迷路が入り組んだカスバ。往年のフランス映画『望郷(ペペ・ル・モコ)』)の中で、ジャン・ギャバン扮するお尋ね者を追ってパリからやってきた警部も、カスバの中にいる主人公には手を出せなかった。アウトローでも生きていける余地があるのがカスバだった。タクシーをその地域まで飛ばした。だが運転手は、もはやカスバは存在しないという。外国人にとってはロマンと郷愁の味がするカスバは、フランス植民地時代の名残であって、新生社会主義国のアルジェリアにとっては恥ずべき過去の遺産らしかった。それは情報省の役人も言っていた。政府はこの屈辱の過去を取り壊したという。私は無邪気にもこの情報を信じた。だがあとで聞くと本当はカスバは健在(?)だったのだ。過剰なる愛国心を抱いた運転手の術中に落ちたようだった。あるいは彼が言ったのは「かつての魔窟(まくつ)のようなカスバはもはや存在しない」ということだったのかもしれない。カスバはもともと「城塞(じょうさい)」というような意味である。モロッコその他にも中世の名残をとどめたカスバは残っている。だが我々が見たいのは、どうしてもアルジェのカスバなのだ。
日本人にとって、アルジェリアはけっしてなじみの薄い国ではない。ここはアメリカ映画『ボー・ジェスト』(主演ゲイリー・クーパー)の舞台でもあった。これらの名画を見ていない世代でも大ヒット曲「カスバの女」はおなじみのはずである。
だがこの歌にはどうにも気になる一節があった。そのことが私の頭を長いあいだ占めつづけていた。歌はアルジェリアのカスバの酒場にいる女性の気持を歌っている。彼女は昔はパリのムーランルージュ(赤い風車)劇場の踊り子だった。それが運命にもてあそばれてアルジェまで流れてくる。そして「ここは地の果てアルジェリア」と歌うのだ。彼女は遠く去ったシャンゼリゼ大通りを思い、そこに咲くマロニエの花を思う。いまはカスバの女として外人部隊の兵士と一夜の薄情けを交わす身の上に落ちている。日本人好みのセンチメンタリズムとノスタルジーの味が混じった歌詞である。

パリとアルジェはどれほど遠い?

ま、それはそれでいいとしよう。問題はかつてパリに住んだ女性にとって、アルジェリアははたして「地の果て」なのか、ということである。そんなことはぜったいにないはずだーーというのが私の思いだった。地の果てと思うのは、遠い遠い日本から見た距離であり、パリからは飛行機でひとっ飛び、船でもマルセイユから地中海をちょっと越えればアルジェではないか。アルジェリアは奥深いアフリカ大陸への玄関口にすぎないのだ。だが日本人のじつに多くが、この歌によって相当に距離感を狂わされている。その狂いが日本人の世界を見る目を曇らせ、何百万人もの「国際音痴」を生んでいる。この歌ひとつによって、我々は正しい遠近法(パースペクティブ)で世界や時代を見ることができなくなっている! 作詞家の大高久夫さんも罪なヒット曲をお作りになったものだーーー。
この歌の背景は一九二〇年代から三〇年代のはずである。しかしいくら交通の不便な昔とはいえ、パリジェンヌにとってのアルジェリアは、当時の日本の水商売の女性が上海の租界(そかい)に出稼ぎにゆくような感覚だったのではないか。彼女たちは上海をけっして「地の果て」とは思わなかった。
我々は熱砂の砂漠をゆくフランス外人部隊のイメージから、アルジェリアをはるかなアフリカ大陸の国と思いがちだが、首都のアルジェは松茸の名産地京都と同じ緯度に位置しているのだ。アルジェリアはヨーロッパ文明圏にきわめて近い国なのである。
さてアラブ首脳会議が開かれた当時のアルジェリアは、工場建設がさかんで日本企業が政府から注文を受けて建設に従事していた。若い社員たちが単身で現地に赴任していた。彼らは夜な夜なバーに集まり、旅情をなぐさめあった。酒が入った日本人たちが歌う歌は「カスバの女」ときまっていた。毎晩のように彼らは「ここは地の果てアルジェリア」と歌いまくった。しかしこの一節は第三世界のリーダーを自負し使命感に燃えているアルジェリア政府の要人に聞かれては困る個所であった。「我々は発展する第三世界の中心だと思っているのに、諸君はわが国を地の果てと思っているのか! きわめて不快である!」といわれかねない危険な歌だったのだ。もしここを聞きとがめられてアラビア語に翻訳でもされたら、次回からは注文がこなくなるかもしれないのだった。
現地の責任者はハラハラドキドキの連続だった。しかし上司のそんな気苦労もなんのその、若い社員たちは昨日も今日も「ここは地の果てアルジェリア」と歌いつづけていた。
ここであらためて牟田口さんのご著書『旅のアラベスク』を読んでみると、こうした駐在員たちの心の奥には、本社の出世コースからはずされ、「地の果て」に飛ばされたという感覚があったのだと書かれている。つまり彼らはアルジェリアで「配所の月」を見ていたのだと。いま、アラブ諸国にいる日本人たちの間に、こうした感覚がないことを祈りたい。
それにしても「カスバの女」は魅力的な歌である。「飛ばされた」などという感覚なんか微塵もない若手社員たちが、いまでも地中海方面はおろか世界中で歌っているような気がする。日本人の地球に対する遠近感覚は、当分なおらないのかもしれない。

編集部より :
このたびこの連載の第六回「ニューヨーカーは何を食べてる?」が、日本エッセイスト・クラブにより、昨年度発表の「ベスト・エッセイ」の一つに選ばれました。『04 ベスト・エッセイ集 人生の落第坊主』(文藝春秋)に収録されています。

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COMMENTS

1 : tiakujyo : August 19, 2005 10:47 AM

[「ベスト・エッセイ」の一つに選ばれました。]
そうした立派な作品を、こうしたかたちで、世界音痴どころか日本
さえも分かってない私まで、読み、触れさせてもらえてることを
ありがたく思います。
ほんのちょっぴりだけど、自分が変わりつつあるかもしれないと
思えることがあります。 こんな自分でも、社会の一員、世界の一員なんだから、と意識できなくてはいけないと言う気になりました。 目の前のことだけで、あたふたしてるなんて、、。
それに、こんど「カスバの女」を歌うときは、このメッセージを
心こめて、、。

2 : 湖の騎士 : August 29, 2005 09:35 PM

「カスバの女」についてお書きいただき本当にありがとうございます。もっと早く気付くべきでした。少しずつ何かが変わりつつるのかも、と感じていただけて嬉しいです。とにかくいろいろなことを考えているのですが、読んで下さる方に「楽しい」と思っていただけるように知恵を絞ります。どうかよろしくお願いします。

3 : tiakujyo : September 2, 2005 10:56 AM

あらあら、たくさんイラストが入ったのですね。
楽しくてたまりません。
画像の取り込み、簡単にできちゃうのですか?
私は、fujiminoさんに今教えてもらってるのですが、なかなか大変で・・・。

4 : 湖の騎士 : September 2, 2005 11:49 AM

いつもありがとうございます。イラストによく気付いてくださいました。雑誌の連載には毎回イラストがついています。それを取り入れてくれているのは、プロの方です。(私はまだそれだけの技術がありません)。あと第一回から九回まで、その方が「できるだけ今週中に」入れてくださるはずです。どういうイラストがでてくるか楽しみにしていらしてください。fujimino さまにもどうかよろしくお伝えください。一度ブログにおうかがいしなければいけないのですがーー。