View of the World - Masuhiko Hirobuchi

August 20, 2005

第十二回 マシュマロを焼く犬 -頭にちょっと風穴を

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クッキーと恋のいつわり
 
 二十世紀前半のアメリカが生み出した最大の人気キャラクターといえば、なんといってもミッキーマウスだろう。ポパイやドナルドダックがどんなにがんばっても、ミッキーの世界的な人気には遠くおよばない。
 では二十世紀の後半に生まれた最大の人気者はだれなのか。これもほぼ勝負(?)がついている。街にあふれるキャラクター商品の数と種類を見ても、単行本の売り上げからも、文句なしにスヌーピーだろう。とはいっても世の中は広いから、これに文句をつける人もいるかもしれない。しかしここはまあ、「大方のコンセンサス」ということで話を進めさせていただくことにする。
 スヌーピーはミネソタ生まれの内気な漫画家チャールズ・シュルツが生み出したビーグル犬である。一九五〇年にデビューした新聞の四コマ連載マンガ『ピーナッツ』に、はじめはごく普通の飼い犬として登場した。飼い主はチャーリー・ブラウンという名の丸い頭をした少年だった。初期のころスヌーピーはちゃんと(?)四本足で歩いていた。
 だがデビューから十年ほど経った六〇年代に、作者は彼に「頭脳」を与えた。この時から、彼の想像力は宇宙の彼方まで飛んでゆくようになった。人間並みに二本足で歩くようになり、人間と同じように物を考えるようになったのだ。その考えというのがじつに独創的で、人を飽きさせない。思いもかけない発想をする。彼は話すことはできないが、頭の中でしっかりした思想(?)や感情を言葉にしている。それがきちんとした言葉で画面にあらわれる。人は言葉によって考えるというけれど、犬だって気のきいた犬は言葉でいろいろなことを考えるものらしい。
 スヌーピーは遠く去った恋人ーーもちろん犬だがーーに、タイプライターで手紙を書いている。「君がいなくてボクはとても寂しい。昔ボクたちがあの公園に坐ってチョコレートチップ・クッキーを食べていたころをおぼえているかい?」。なかなか好調な出だしのようである。彼はつづける。「君がボクのもとを去って以来、ボクはただ一つのクッキーも食べていない」。甘く切ない恋の思い出に殉じて、大好きなクッキーを断っているというのだ。なんと純情な奴だと知らない読者は思う。しかし彼はしょっちゅうチャーリー・ブラウンのクッキーを食べているのである。そのことを事情通の読者は知っている。さすがに「これは言い過ぎた」と思ったスヌーピーは、ぽっと顔を赤らめて思わず胸の中でつぶやく。「恋する者は嘘をつくものなんだ!(Lovers lie !)」と。
 「恋する者は美しきいつわりをいう!」と見る作者の人間観察はただものではない。
 『ピーナッツ』の登場人物は子供たちと犬、それに小鳥だけである。大人は一人も出てこない。しかしこの例に見るように、これはまさに洗練された大人の読み物なのである。上品でユーモアがあるけれど、けっしてキザではない。多数の人々を満足させつつ、同時に知的な人々をも惹き付ける。文学的な香りがそこはかとなく漂い、孤独、挫折、愛、希望といったことがさらりと語られている。この作品はやがて、草の根のアメリカの民衆の心を理解するのに欠かせないといわれるまでになった。
 一九六九年、最初の人類を月面に着陸させたアポロ11号の飛行の二か月前、NASA(アメリカ航空宇宙局)はアポロ10号を月に送り出した。11号の成否をかけたリハーサル飛行だった。世界中の人々がテレビ中継に見入っていた。国の威信がかかったこの飛行の月着陸船にNASAが付けたニックネームがなんとスヌーピーであり、これを月の上空で管理し数々の指令を発する指令船のニックネームがチャーリー・ブラウンだった。少年と犬はそれほど幅広く愛され、アメリカ庶民の心を代表する存在になっていたのだ。それにしても、こういう重大なミッションにマンガの主人公の名前を付けたNASAの発想は、およそお役所らしからぬ柔軟なものであった。
  
郷愁のキャンプファイアー

 作者シュルツはけっして流行を追わなかった。生まれては消えてゆく泡のような現象を描くよりも、何十年経っても変わらない人間の心の本質的なものを描くことに心を砕いた。  
 楽しいのは、たびたび食べ物や遊び、歌などのシーンが出てくることだ。彼らはアイスクリームやピザが好きだし、なわとびに興じ、マザーグースのわらべ歌を歌っていた。
 そうした食にかかわる風景の中で、かなりの頻度で登場するのがマシュマロを焼いているスヌーピーの姿だった。彼は細い木の枝に、このふわふわした菓子を突き刺し、それを焚き火にあぶっている。
 大きな月を背に、キャンプファイアーの前に坐った彼はつぶやく。「マシュマロを焼くってのは簡単だよ。ただ串に刺して火にかざせばいいのさ」。口でいう割には、彼のマシュマロは火の真上にはゆかず、見当はずれの空間をさまよっていたけれど、マシュマロを焼くーー正しくは「焙る(ロースト)」ーー彼はじつに幸せそうな表情をしていた。彼の前には、親友でときには秘書役もつとめる小鳥のウッドストックが、チョコンと坐って兄貴分のスヌーピーの言葉を聞いていた。
 マシュマロを焼くという行動には、一体どういう精神的意味があるのだろうと私は考え込んだ。なにもそんなに生真面目に意味なんか求めなくたってよさそうなものだが、そこが我ながら因果な(?)性分である。どうも気になる。この犬の行動の中には、私たちが知らないアメリカのなにか大切な「気分」や「意味」が隠されているのではないか?
 いくら一人で考えていてもしようがない。こういう時は人に聞くにかぎる。いつものように隣の町に住んでいるボブに電話をした。状況をざっと話した。ボブは「分かった」といい、じつに楽しそうに説明してくれた。「僕らが子供のころ、ボーイスカウトのキャンプやなんかで、よくマシュマロを焼いたもんだ。その場面を思い出すとほんとになつかしい。キャンプファイアーが目に浮かんでくる。洗濯屋さんがくれるあの針金のコートハンガーがあるだろう。あれをまっすぐに伸ばして、マシュマロを突き刺し、火にあぶるのだよ」
 そうか、それで分かった。作者シュルツは子供のころの幸福な体験をこの犬に託して語っているのだ。そして人が(犬が)マシュマロを焼くというのは、それぞれに幸福ななんらかの思い、少なくともノスタルジックな思いに連なっているものらしい。
 そういえば日本でもかつて落ち葉の山に火をつけ、なかにサツマイモを入れて、子供たちが焚き火を囲んで楽しくおしゃべりをしていたものだ。これとマシュマロを焼く犬とが同じだとは思わないが、焚き火にはたしかに「詩」があり、郷愁の味があったのだ。

DNAの中に埋め込まれた(?)植物

 ここでやめておけばよいのだが、それだけではなんだか物足りない。悪い癖でもっとなにかを知りたくなる。そこであちら(欧米)の文化圏ではマシュマロはどういう存在(?)なのかを調べてみた。驚くべき事実が次々と出てきた。
 まずは英和辞典である。マシュマロというのは、「昔はウスベニタチアオイの根から作ったもので、今ではでんぷん・ゼラチン・砂糖などで作る柔らかい菓子」となっている。
 このウスベニタチアオイというのはなにか? 英文学に登場する植物を徹底的に調べた本によると八、九月のころ海辺の湿地に咲く淡いローズ色の花で、広い葉をもつ二年生草だという。「薬用になるマロウ」といわれ葉にも根にも消炎作用があり、根を煎じて乾しブドウや蜂蜜を加えて飲めば、風邪薬、気管支の薬になるそうだ。マシュマロは英語で「マーシュマロウ」(marshmallow)である。沼地のマロウとでもいった趣だろうか。
 ではマロウというのはなにかということになる。これはゼニアオイ科の植物で、花はハーブティーとして絶妙な味がするし、だいぶ前から日本でも若い女性の間で大人気だという。乾燥した花が大量に輸入されているそうだ。べつの本ではビロードアオイと訳されていて頭がこんがらかるけれど、マロウはシェイクスピアやテニスンの作品にも登場するそうで、向こうの人々にとってはけっこうなじみぶかい植物らしい。
 さらに古代ローマの軍団は、遠征の先々でマロウを植えたという。早く大きくなるし、根にも葉にも栄養素を多く含み、薬用にも用いられた。どうもマロウもマーシュマロウも親戚みたいな感じである。してみればユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の軍団も未開の地ガリア(今のフランス)を攻めた時に、マロウやマーシュマロウを植えたのだろうか? いかめしい甲冑を身にまとった兵士たちが、これらの植物の根から作った食べ物だか薬だかを焚き火にかざしてあぶっている姿がスヌーピーのポーズと重なって見えてくる。ちょっとコミカルで笑いを誘う情景である。だが故郷の親や兄弟を思って焼いているのだとすれば、これは哀愁の趣を漂わせた焚き火風景である。
 時代が下って中世の時代。西ローマ帝国を築いたシャルル・マーニュ(カール大帝)は、マロウの薬や栄養素としての価値に着目し、領民にかならず庭や畑に植えるようにとのお布令を出したという。マロウは非常に重要な作物だった。江戸時代の名君たちがベニバナや梅の栽培を奨励したことを思い出させる話だ。
 こうなるとヨーロッパ文化のDNA(遺伝子)の中には、あるいはウスベニタチアオイなどの根から作った食べ物を火にかざす仕草が埋めこまれているのではないかと思えてくる。スヌーピーがあんなに楽しそうにマシュマロを焼く行為は、もしかすると遠い祖先の記憶を引きずっているからかもしれない。いくらなんでもこれはちょっと考えすぎだろうと思うけれどーー。
 明治維新このかた、私たちの先輩は欧米文化の摂取にはげみ、紹介に精を出してきた。むずかしくてほとんど理解できないような哲学や、理論としては完璧でも役に立たないイデオロギーも紹介されてきた。
 しかし、欧米の人々の心の奥深くで、遠い祖先の記憶の中に埋め込まれ、郷愁や民族感情と一体となっている植物や食べ物のことは、どうもあまり紹介されていない気がする。思想哲学と同じように、こうした身近なことももっと伝えていただきたいと思う。一匹の不思議なビーグル犬の行動から、こんなことまで考えていると、「君もヒマだねえ」といわれかねない。この辺でやめておいたほうが無難のようである。

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COMMENTS

1 : MH : September 4, 2005 04:36 PM

ふわふわした大甘のマシュマロにそんな骨太な歴史があると意外です。今まで興味のなかったお菓子ですが、先日百円ショップで見つけ思わず手が伸びました。袋の外装もそのものズバリ、焚き火の前に何やらつきさした枝を持つスヌーピーでした。持ちかえって説明を読むと「あぶると美味しい」とのこと。半信半疑ながら荒野の開拓者を気取ってガスコンロにかざして実験。すぐにとろけてきてなんと美味しいこと!あぶらずに食べるのと段違いです。寒い季節には格別と思われます。ご存知ない方には是非お勧めしたいです。

2 : ラ・マンチャの男 : September 4, 2005 07:24 PM

すばらしいコメントをありがとうございました。マシュマロとスヌーピーが実生活の中に溶け合っていることが分かり本当に心強い感じです。ところで「湖の騎士」という名前はカッコよすぎると反省し、「ラ・マンチャの男」と改名しました。これでもやはりカッコよすぎるでしょうか? 

3 : いじわるじじい : September 6, 2005 02:12 PM

スヌーピーがマシュマロを焼くシーンからこれだけの文化的背景を調べ上げる根気と努力に敬意を表します。まだ、焼いて食べたことはなかったので、今度是非やってみましょう。
なお、「湖の騎士」はおやめになったとか、ドン・キホーテよりもよかったのに・・・。