View of the World - Masuhiko Hirobuchi

August 25, 2005

第十四回 ピザとピロシキ -頭にちょっと風穴を

tyotto_14.jpg


時代で変わる価値の基準

いまこんなことを言ってもだれも信じないだろうけれど、かつて日本でピザは超高級食品だった。それはほぼ「すてきなこと」と同意語だった。お金もかかったし、食べにゆくからにはそれだけの覚悟(?)が要った。あまり昼間から同性同士でぼそぼそと食べにゆくような食品ではなかったのだ。カッコイイ異性と食べにゆくのがピザの正しい食べ方だった。
関西のことは知らないが、東京でピザを食べさせるのは六本木と飯倉の間にあるイタリア料理店ニコラスだけだった。「いや違う。もっとほかにもあった」という方はぜひご教示いただきたい。客はテレビタレントやその業界のプロデューサー、ディレクター、脚本作家といった人々が主であった。彼らはこれも当時は高級飲料だったキアンティワインを飲み、料理に舌鼓を打っていた。照明は適度に暗くて、深夜の店には妖しい洗練の味が漂っていた。
だがピザは、これを生み出した本場のイタリアでも、イタリア人が大量に移民したアメリカでも、きわめて庶民的大衆的な軽食だった。なにも気取って、わざわざ都心まで出掛けて食べるような代物ではなかったのだ。欧米で生活した人の目には、この食べ物が近い将来どの街角でも売られるようになるであろうことが容易に予見できた。これはもう議論の余地のない、確実に訪れるであろう未来の姿であった。しかし当時ピザを高級と思い込んでいる人々は、そう素直にそんな説は信用しなかった。「ここは日本なのだ。日本は欧米とはちがうのだ」というのが、その人々の信念(?)だった。
帰国者たちは、友と喧嘩してまで自説を主張する気はなかった。第一、ピザに対してそれほど義理があるわけでもない。そんなことをしてもイタリア政府から感謝状の一枚も来るわけがなかったのだ。
そのころの日本では、「ルイヴィトン」「グッチ」などというブランド名はだれも知らなかった。だれかがハンドバッグの現物を見せて、「これはヨーロッパでは超有名ブランドだよ」と説明したとしても、聞くほうは半信半疑だっただろう。現在の両社製品の人気を考えれば信じられない話である。食べ物でもバッグでも、それを生み出した現地と日本との認識の差は大きいのだ。
認識の溝がピザやバッグくらいですんでいればまだよい。しかし国家の存立にかかわるような、あるいは社会全体の根幹を揺るがすような思想やイデオロギーについて、さらにはある国の「国民性」について認識が食い違っているとなると、ことは重大である。いままでも日本人は他国を理想化したり、見当はずれの幻想を抱いたりしてきた。それでもまだ我々は懲りていない。

「文化」を食べる人々

東京タワーの近くにはロシア料理店ヴォルガがあった。いまも営業している。この店はけっこう高くて、そう簡単には行けなかったが、ロシア文学が好きだったり、政治体制としてのソ連が好きそうな客たちでけっこうにぎわっていた。狸穴のソ連大使館からは歩いて行ける距離であった。ロシア人外交官も新聞記者を装ったスパイも客の中にいたはずだった。東京は熾烈な諜報合戦の場でもあったのだ。
ここではボルシチやピロシキが食べられた。ロシア料理の素人(?)にも分かるなじみのメニューといえば、いまでもこの二品が有名である。ピロシキはロシア風揚げパンともいうべきもので、けっこう美味であり簡単に作れそうだった。だれか知恵者がその気になってこれを売り出せば、けっこうはやるのではないかと、私はひそかに思っていた。だがピザの隆盛にくらべると、ピロシキの伸びはにぶい。
それについて長年の友人で博識そのもののNはいう。「かつて共産主義がまだ元気だったころは、ボルシチもピロシキもそれなりの『文化』の香りを放っていた。客たちは食べ物そのものよりも、食べ物と店が共にかもし出す雰囲気を愛していた。そこに行けば文化や思想に会えると思って出かけたのだ」と。
なるほど、共産主義(コミュニズム)がまだ輝いていたころ、ロシア料理にはそれなりの精神的な魅力があったのだろう。でも、日本人が「輝いている」と思い込んでいたコミュニズムは、西ヨーロッパやアメリカではすっかり色あせていた。最近になって分かったのだが、本家本元のソ連でもこの思想は完全に魅力を失っていたらしい。
でもねえ、普通の人々にとってはそんなことはどうでもよい。食べ物はただうまいかまずいかが最大のポイントのはずである。それと手間隙のかかり方、持ち運びの簡便さ、値段などがからんでくるだけのことではないか?
それでもいま、原宿あたりでクレープをこよなく愛している若い女性たちは、単に味だけを好んでいるわけでもなさそうだ。やはりフランス渡来の「文化の香り」といったものを愛しているふしがある。そういえば、八〇年代に寿司が世界に広まったのも、単にうまいとかヘルシーだとかいうだけではなくて、世界でいちばん勢いのよかった日本経済と切り離せない気がする。寿司には力強い経済とすばらしい工業製品を生み出した日本文化のエッセンスが凝縮されていた。そういうメッセージ性が含まれていればこそ、世界の人々はこの食品を愛したのではないか。
とにかく、東京オリンピックのころ、同じような簡易食だったピザとピロシキは、東京港区の夜に関するかぎりそう大きなシェアの違いはなかったのだ。だがその後の両者の運命は大きく差がついている。
同じように粉でできており、共に頭に「ピ」の字がつく二つの食べ物が、なにゆえにかくも差がついてしまったのか? ま、無理にこじつけるとすれば、ピザは市場経済(?)の原則にまかせてここまで来たのであり、ピロシキの方はちょっと文化とか思想の放つ力に依存しすぎたのではないかという気がする。
ピザは生まれはイタリアだが、ここまで世界中に普及させたのはアメリカ人である。宅配のシステムもチェーン店の発想もきわめてアメリカ的なるものだ。

「ロシア人はスティンジー」

一九七九年、イランで革命が起きた。パリに亡命していたホメイニ師が帰ってきて、米英の傀儡政権と見られていたパーレビー皇帝を追放したのだ。世界第二の産油国であるイランに、西欧文明を憎む政権が出来たということで、世界は緊張した。もちろん冷戦のさなかである。米ソいずれの陣営がイランを味方に引き入れるのだろうと、世界は固唾を飲んで見守っていた。首都テヘランには、ソ連KGBの工作員五千人がいると噂された。もちろんアメリカのCIAもイギリスのMI6も腕利きのスパイを放っていた。イランがどちらの陣営に入るかは、世界の運命を決めるほど重要なことだったのだ。
そうした中でアメリカのエネルギー事情を取材した。ヒューストンでエクソン社の海中油田をヘリコプター上から撮影し、テキサスで最初に石油が噴き出したスピンドルトップの丘にも行った。かつての油田にはススキが生い茂り、ドンキーと呼ばれる自動ポンプが過去の栄光のシンボルとして細々と原油を汲み上げているだけだった。最も大きな収穫は、ロスアンゼルスで行なったジェイムズ・エイキンス氏とのインタビューだった。氏はアメリカ国務省きってのアラブ通であり、アラビア語を操る能力は天才的といわれた。駐サウジアラビア大使を務めていたが、噂ではヘンリー・キッシンジャー国務長官と衝突して国務省をやめ、石油関係のコンサルタントになったとのことだった。七大国際石油会社の興亡を扱ったアンソニー・サンプソンの名著『セブン・シスターズ』に、さっそうと登場するアラビストである。
私はいちばんの気がかりである質問をした。「イランをはじめ、全中東が、このままだとソ連の手に落ちるという見方があるが、これについてどう思うか?」。エイキンス氏は、おどろくべき明快さで「そんなことはぜったいにありえない」と断言した。
「どうして?」といぶかる私に対して彼は、自信にみちて「なぜならロシア人はけちだからですよ(ビコーズ・ルッシアンズ・アー・スティンジー)」と答えたのだ。したたかなイスラム教徒たちを懐柔し味方につけるには、ロシア人は吝嗇すぎる。つまり金離れが悪すぎる、というのだ。もっと気前よく、使う時にはバーンと金を払えるようでないと、中東の連中の支持をえることはぜったいに出来ない、というのである。
まさに目からウロコが何十枚も落ちた気分だった。なんと分かりやすい話ではないか。レーニン全集を何冊読もうと、学術論文をどんなに精読しようと、まずは書いてない情報である。日本のソ連通たちからは、こういう話を聞いたことがない。外務省や自民党の実力者で、ソ連と北方領土の返還交渉をする当事者が、はたしてこうした認識をもって事に臨んでいるのだろうかと思った。
こういうキーになる認識が一つ欠けているというのは、写真に映った人間の顔のいちばん大事な部分が切り取られているようなものだ。その部分がないと、人物の特徴はけっして浮かんでこない。
大新聞もテレビもこういうことは伝えない。だが思い当たるふしはいっぱいある。かつてのソ連の「衛星国」とされたポーランドでもハンガリーでも、チェコ・スロバキアでも、さらにはアメリカと戦うための武器援助をソ連から受けたベトナムでも、なぜみんなあんなにもソ連を嫌ったのか? いちばんの根幹には、この「銭おしみ」をするということがあったのではないか。
共産主義・社会主義というのも一つの「商品」と考えれば、それを世界に広めるマーケティングには当然お金がかかる。日本のように知識人たちが理念だけで共鳴してくれて、なんの見返りも求めない国というのは世界にそうあるものではない。
数々の文明や民族の興亡を目の当たりにし、リアリズムに徹した中東の人々は、けっして美しい理念などには惑わされない。彼らを動かすためには、金を惜しんでいるようでは駄目だとエイキンスは言ったのである。その後の世界の動きを見ていると、ことはまさに彼の見通しどおりに動いている気がする。
親愛なるロシア人を貶(おとし)める気はまったくない。ただ時にはこういう鋭い観察も、今後の我々の物の見方になんらかの役に立つだろうと思うだけである。

[Post a comment]

COMMENTS

1 : monkey : August 26, 2005 10:43 PM

初めてカキコするよ。
貴方の説の通り東京では「ニコラス」が一番早くからピザを出してました。
僕が最初に行ったのが昭和35年位で、未だ六本木から飯倉に抜ける道に面していた頃でした。(今は高速の脇に引っ越しましたが)今でもやっているのかな?
昭和40年頃火事になったりしていたけれど。

2 : 湖の騎士 : August 27, 2005 12:17 PM

コメントありがとうございます。ニコラスはいまも高速道路沿いで営業しています。かつては六本木から飯倉へ向かう道の右側にありました。そのころ貴方もあの辺を彷徨(?)しておられたのかと思うとなつかしさひとしおです。高速の下をくぐってすぐの所に、「キヤンティ」がいまも営業しています。その美味さは健在でした。どうかお元気でぶりかえした暑熱に負けないでください。 [from Hirobuchi] (湖の騎士は、かっこよすぎるニックネームです)