View of the World - Masuhiko Hirobuchi

December 07, 2005

イートン校の運動場 -学生へのメール

11月29日のこの欄で、「注意! 男の子横断中」という交通標識のことを書きました。名門男子校イートンの敷地内を走っている道路のことでした。今回はその続きです。
「ワーテルローの戦いはイートン校の運動場で戦われていたのだ」という歴史に残る名せりふがあります。イギリス軍の司令官ウェリントン公爵の言葉だといわれています。この言葉の意味は「ヨーロッパの天下分け目の戦いとなったワーテルローの戦いは、この戦闘の何年も前にすでにイートン校の運動場で戦われていたのだ」ということです。これではまだなんのことか分かりません。さらに説明が必要です。
フランス革命後の混乱の中から彗星のごとく現われ、軍事的天才ぶりを遺憾なく発揮して頭角を顕わし、フランスと戦うヨーロッパ諸国の軍勢を次々に打ち破ったナポレオン・ボナパルトは、たちまち国民的英雄となり、1804年にはついに皇帝にまでなりました。ヨーロッパ大陸の諸国は彼の威勢に屈服しましたが、イギリスだけはあくまで彼の野望の前に立ちふさがりました。
1805年、有名なトラファルガー沖の海戦で、ナポレオンとスペインの海軍はネルソンの率いるイギリス艦隊に壊滅的な敗北を喫しました。
それからナポレオンのモスクワ遠征があり、エルバ島への島流しがあり、そこからの脱出がありという慌しい日々が過ぎますが、ついに1815年、ベルギー中部のワーテルローという村で、ナポレオンの陸軍とウェリントン率いる英国陸軍が正面衝突します。このときの英軍の献身的な戦いぶりが、のちのちまで話題になりますが、総司令官であるウェリントンは、「戦いの勝敗は将兵たちが若き日に受けた教育の違いだ」ということを言いたかったのです。
ナポレオンの軍隊は世界でも初めての、国民皆兵思想に基づき、広く国民全体から徴募した軍隊でした。一方ウェリントンの英国軍は、イートン校のようなエリート養成学校で、ジェントルマンとしての行いや公のためにつくす義務感などを徹底的に教え込まれた者たちでした。頭脳の回転も、ノブレスオブリージュ(高貴なる者の義務)の観念も、フランス軍とはまったく違っていた。それは青少年期に受けた教育、精神形成のちがいであった。机上の勉強だけでなくスポーツを重視し、チームプレーを重んじ、フェアプレーの精神を大事にする「運動場 playground での教育」が物を言ったのだという意味です。
この名せりふをもって、イートンの卒業生たちが好戦的だったとか、戦争の専門家だったというふうに取られては困ります。本当の職業軍人はサンドハースト陸軍士官学校などで養成されていました。
「イートン校の運動場」というのは、イートンに代表されるパブリックスクールの教育全体、さらにはイギリス人の物の考え方全体を指す言葉と解釈していいでしょう。
イートンの男の子たちは、独得の燕尾服に身を包み、山高帽をかぶっています。時代おくれに見えず、けっこうサマになっています。もちろんイートンの卒業生がインドやビルマ(ミャンマー)、中国などで繰り広げた狡猾な外交や、アジア・アフリカ人への非人道的な行為は厳しく断罪されなければなりませんが、テーマを広げすぎるとなにがなんだか分からなくなります。今回はウェリントンの言葉と英仏両軍の比較だけに留めておきます。
ちなみに他の有名なパブリックスクールには、ハーロウ、ウィンチェスター、ウェストミンスター、ラクビーなどがあります。英国のパブリックスクールは「私立」校です。アメリカでパブリックスクールといえば公立校を指すのとは大きく違っています。イギリスのパブリックスクールにも、いまはだいぶ国の補助が入っていますが、私立校として独自の教育理念を持ち独得のカリキュラムで運営されてきました。教育には国家が介入しないほうがよいという見本です。これらの学校群で育った若者たちの多くが、オックスフォード、ケンブリッジ(総称してオックスブリッジ)といった大学に進学しています。
エリートを「楽な人生を送る特権階級」と見るのは誤りです。エリートというのは、庶民の味わう楽しみを犠牲にしてでも、公のために尽くすことを喜びとし、ノブレスオブリージュを果たし、辛い運命に耐えることのできる者のことです。日本にはこういうエリートはもういません。なぜそうなったのか? それについてはまたの機会に書きたいと思います。

[Post a comment]

COMMENTS

1 : 悠々 : December 7, 2005 03:24 PM

イギリスのエリート達がノブレスオブリージュを遵守して自らの生き方を律するというのは素晴らしいことですね。良いことを教えて戴きました。
ノブレスオブリージュとまでは行かないまでも我々一般の人間にもプロ意識は持つ必要が有ると思います。最低限得た収入に見合う働きをしなければならないというのが最低限のプロ意識だと思うからです。
倫理観とか、人間性とか、大袈裟なことを言わないまでも最低限必要なルールだと思うのです。
今も国会中継で論議されていましたが、構造計算の誤魔化しから始まった一連の破廉恥な行為は、設計事務所も確認行為をした者も、発注した会社も、施工業者もそれぞれが他人事のような無責任な発言に終始しています。
それぞれがその仕事に対して報酬を得ているのですから、最低限、その報酬に見合う仕事はしなければなりません。
ノブレスオブリージュなんて崇高なことでなくて良いから、まっとうな仕事をする日本人であって欲しいです。
高貴なる者の義務を果たす人が何故日本にないのか?次回の先生のお話が楽しみです。

2 : 湖の騎士 : December 7, 2005 05:36 PM

悠々様 たしかにご指摘のとおりノブレスオブリージュなどという高望みはしなくとも、得た報酬に見合う仕事はしてもらいたいと思われるのは当然です。人間としての最低限のことをしない人間が、なんだかんだと責任逃れをしている現状は心が滅入ります。この傾向を変えるのはメディアの力しかないという気がします。問題はメディアが自らの役割を自覚しているかどうかです。私は及ばずながらメディア人間の意識を少しでも変えるべく努力中です。

3 : rescue : December 7, 2005 06:58 PM

こんばんは、先生。
イートン校に通う若者にとって、オックスブリッジに進学することは、目標ではないでしょう。英国が誇る大学ですら、ノブレスオブリージュの観念を持つ彼らにとっては「通過点」あり、「踏み台」なのではないか、と私は考えます。国の遥か先を見通す力を10代のうちに身に付けている彼らだからこそ、後に政治家や大統領になり、国を正しい方向へ導けるのではないでしょうか。
何故、日本にはこうしたエリートを育てられないのか。それは日本の教育制度、文部省の教育理念に問題があるのでしょうか。次号を期待しています。

4 : 湖の騎士 : December 7, 2005 07:55 PM

rescue様 イートン校に通う若者にとってオックスブリッジに進学することが目標だとは一言も言っていません。「若者の『多くが』オックスブリッジに進学している」と言っているのです。そういう点は細心の注意を払って書いているので、読む側も細心の注意で読んでいただきたいと思います。イートンだけで学校生活を了える者ももちろんいます。さて将来ここを卒業した者で「後に政治家や大統領になり」とありますが、この「大統領になる」というのは、「外国から留学に来ている若者にかぎられ」ます。そういう意識が貴方におありでしょうか? イギリスには大統領がいないのです。けっして揚げ足を取っているのではありませんよ。これは根本的な知識の問題ですから指摘するのです。

5 : エセ男爵 : December 7, 2005 08:13 PM

英国の歴史構築からはじまる、民族性?国民性?英国流エリート、等にかかわるお話、私にとって興味深く面白い話題です。
拝読させていただきました。
たいへんありがとうございます。
さて、
教育、志、伝統、将来を賭ける、託す、云々、、、。
となれば(昨日より)、(三日間連載にて)たまたま小生の先輩から寄贈頂いた「写真」にかこつけ、格好のテーマを取り上げています。
「当らずといえども遠からず・・・」
と、思い、
さっそくTBさせていただきたく、宜しくお願いします。

6 : 湖の騎士 : December 7, 2005 10:23 PM

エセ男爵様 ウェリントン公爵の言葉とされている名言については他の人も何度か触れておられると思います。今回は一般的なことしか言いませんでしたが、学生にとっては頭の整理に役立つと思い、あえて載せました。ここで「論」をなすのは控えていますが、日本の現状と引き比べておられる読者もおいででしょうね。「坂の上の雲」の時代には、陸海軍の将校の間には黙っていても「ノブレスオブリージュ」の観念は十分にあったはずです。

7 : ゆっきー : December 8, 2005 02:21 AM

今回もまた質が高く大変ためになる話を読むことができ、有意義でした。ノブレスオブリージュの観念を持った者たちが好戦する様が少しは頭に浮かんだような気がします。そして、今の日本にはこのエリートが存在しないということ。それは何故なのか。なんとなく頭には思い浮かびますが、うまく言葉にできない自分がいます。。。次回の記事も真剣に読んで自分の中で消化できるようにしたいと思います。

8 : 湖の騎士 : December 8, 2005 09:56 AM

ゆっきー様 イートンという名前は好き嫌いにかかわらずこれからの人生に何度も出てくると思います。そういう時に、「あ、イートンならよく知ってる。まかしてくれ」といえるようになっておくと強みです。この記事からノブレスオブリージュという考えをはじめとして、最も本質的なことを読み取っていただきありがたく思っています。イートンの出身者は日本に来ているイギリス人の中にも多数います。英国大使館の中を探せば5人から10人はいるのではないかというのが私の推定です。

9 : おざわおざわ : December 8, 2005 04:31 PM

イギリスで日本の武士道が注目されている理由として、ノブレスオブリージュの価値観があるからなのではないかと感じました。特権階級にはそれに見合う義務が伴い、相応の能力があるということは当然のことであって、たどり着くことは非常に困難であると思います。昔の日本には己を犠牲にしてまでも組織を守る武士道の時代がありました。過去の日本にもノブレスオブリージュは存在していたのではないでしょうか。

10 : 湖の騎士 : December 8, 2005 05:35 PM

おざわおざわ様 この記事の本質を非常に正確に捉えていただいた名コメントです。昔の日本には、ノブレスオブリ-ジュの価値観はもちろん存在しました。武士階級の間にはもちろんですが、富裕な商人もそうした価値観を持っていましたし、庄屋とか大百姓といった有力な農民もノブレスオブリージュの実践者でした。それを純化した武士道がいま各国で高い評価を受けているのは当然です。国会議員や官僚、IT長者などに品性がなくなり、ノブレスオブリージュのにおいがしないのは残念です。

11 : callaway : December 9, 2005 12:11 AM

なんとレベルのお高いお話なのだと痛感しています。ノブレスオブリージュとは高貴な者の義務、高貴であるが故の義務、そして偉い地位の人ほど公衆のために働かなくてはいけないという考え方だと理解しています。 日本のメディアを見ている限りでは現在の日本にはノブレスオブリージュを果たしてる人間は数少ないと思います。前回の時代劇のお話になりますが、時代劇に登場してくる「武士」には「武士たるがゆえの精神、武士たるがゆえの使命」が強く伝わってきます。これこそが今でいうエリートなのかもしれませんね。テレビニュースをみていると、エリートをかいかぶり、自分のたてまえを一番に考えた人間しかいないように思えます。「武士たるがゆえの精神」をもち、公のために尽くす人間が増えれば世界全体も変わってゆくかもしれません。

12 : お代官 : December 9, 2005 02:30 AM

 私の頭の中に有ったエリートのイメージでは、その国の関係省庁や超有名な企業に勤務し専用の部屋を与えられて、豪華な装飾品に彩られた机があり、椅子に座ってふんぞり返っているイメージが圧倒的にありました。エリートとは、一般庶民が当たり前に謳歌している日常を犠牲にしてでも公のために尽くす。そんな人達のことを言うのですね。また一つ良い勉強になりました。ノブレスオブリージュ、立派な考え方です。
 先生の仰る通り、今の日本にはこんな立派な人間はそうそういないでしょう。特に政治に関係している人達あたりが、ノブレスオブリージュの精神から遠いような気がしてならないですね。
 ワーテルローの戦いはイートン校の運動場で行われていた。という言葉に若いうちの教育の大切さが伝わってくるように感じました。

13 : cobi : December 9, 2005 09:29 AM

前回の話の[男の子横断中]のイートン校にはこんなに壮大なエピソードがあったんですね。驚きです。天下分け目の戦いが校庭であったなんて歴史ってすごいなぁと感じられました。イギリスのノブレスオブリージュなんて言葉聞いたときも無かったので教えて頂いてありがとうございましたとても勉強になりました。庶民の楽しみを捨て公の為に尽くすと言った事を心に命じているなんてそうそう出来るものでは無いでしょう。日本においてエリート=楽 このような図式ができてしまってきているから今の日本経済は元気が無くなってきてしまっているのでしょうか?

14 : 湖の騎士 : December 9, 2005 09:48 AM

callaway様 この記事の本質を正確に捉えていただき、書いた甲斐がありました。歴史を見ているとノブレスオブリージュの観念のない社会というのは、大抵滅びています。人間という利己的で、時に無秩序に流れがちな集団には、他人のために尽くす存在、時には損な役回りを演じる存在が必要なのです。江戸時代の武士が、経済的にはきわめて貧しかったにもかかわらず、世人の尊敬を集めていたのは、ノブレスオブリージュの価値観をしっかり持っていたからです。貴方の捉え方は、的を射たものです。

15 : 湖の騎士 : December 9, 2005 10:01 AM

お代官さま 「エリート」についての根本的な誤解がこの記事で修正されたとしたら、それだけでも嬉しいことです。エリートという言葉を広めたのはマスコミでしょうが、世の親たち(とくに母親)がこの言葉を誤解しました。「うちの坊やをとにかくエリート校に入れなければ」というので、頭の悪い息子を無理に塾に通わせ、なにがなんでも東大へというように仕向けた結果が、変なエリート群を生んだのだと思います。使命感なき者、人々の幸福のために損な辛い役目を引き受けることができない者は、エリートでもなんでもないのです。それは単に「受験技術がうまかっただけ」の人間です。

16 : 湖の騎士 : December 9, 2005 10:11 AM

cobi様 「男の子横断中」という記事を書いたのは、もちろんこの「イートン校の運動場」へと話を進めるための「伏線」でした。前回の記事で「ああ、これは何かるぞ。次に本当に言いたい記事が来るのだな」と邪推(?)できるようになれば、相当なものですが、若いうちはあまり邪推はしないほうがいいでしょう。冗談はさておき、いまから200年近くも前の天下分け目の決戦に、これだけの歴史的に深い背景があったのだということを、知っていただいただけでも幸せです。「ノブレスオブリージュ」という言葉にはじめて出会ったそうですが、今後はしばしば出会うと思います。そういう言葉が社会のリーダー層の間に浸透している社会は強いです。知識だけの秀才が牛耳る社会はかならず破綻します。歴史を見ているとそのことがよく分かります。

17 : 恭華留斐 : December 9, 2005 02:52 PM

日本国内で「エリート」と呼ばれている人々が受けている教育では、机に向かって知識を入れていくだけというような勉強ばかりで、あまりスポーツをしていないのではないかと思います。スポーツをしていく上で身についていくものを軽視して、歴史や数学や国語など机に向かって勉強するものができればいいという考えがあるのではと思います。
私の通っていた高校のモットーは「文武両道」でしたが、実際その高校を卒業した人たちができていたかは別として、「文武両道」ができてこそ「エリート」と呼べるのではないかと思います。

18 : 湖の騎士 : December 9, 2005 10:40 PM

恭華留斐様 「エリート」という言葉をだれが取り違えて伝えたのか今となっては責任の所在はわかりません。それにしてもなんと表面的な捉え方が横行していることか! とくに世の親たちがこの言葉を取り違えています。そのことは「お代官さま」あての返書にも書いておきました。貴方の高校は「文武両道」を謳っている点がいいですね。願わくば「一人の生徒の中に」文武が両立していてほしいものです。「学校全体として」文武が両立しているのでは、生徒は「文」と「武」を「分業体制」で支えていることになりますからーー。そういう傾向はないのだと思いますが、またいつか詳しく教えて下さい。

19 : tiakujyo : December 10, 2005 10:06 AM

先生とコメンテーターとのやりとりを、素晴らしいと感銘をもって
読まさせてもらってます。私みたいな薄学なオバサンでも、みなさんのご意見が、ひとつひとつうなずけたり、唸ったり・・・。
ホントのエリートのお話、楽しみに待ってま~す。

20 : 湖の騎士 : December 10, 2005 04:02 PM

tiakujyo様 コラムだけでなくコメントをしてくれる若者たちと私の対話までお読みいただき本当に有難うございます。そういうふうに読んでくださっている方がおられるのを知れば、さらに張り切ってこの人たちの力もぐんぐんついてくると思います。いつもご自分のことを謙遜なさっていますが、これだけの励ましをくださるお力は大変なものです。

21 : リッキー : December 10, 2005 09:40 PM

 しっかりした教育を身につけているイギリス人と、一般の国民の集合体のナポレオン軍の違いを想像すると、一目瞭然ですね。腕力では両者同等であったと考えられますが、同じ局面で勝者となるためにはやはり基礎が大切なのですね。イギリスのパブリックスクールで教育を受けたエリートたちは心身共にエリートなのだと私は考えます。エリートを言うのは、日本でいう有名学校を卒業することではなく、自己の利益を優先するのではなく、自分に不利になろうとも良心に従って行動をする人をいうのだと思います。

22 : 湖の騎士 : December 10, 2005 11:02 PM

リッキー様 理解の仕方が「ポイントを押さえた」ものになっていて、このコラムを書いた甲斐があります。エリートという言葉ひとつをとってみても、我々はずいぶん欧米文化を誤解し、逆にまた彼らも我々を誤解しています。この誤解は中国韓国との間にもたくさんあります。情報が自由に行き交い、外国語をマスターする人がどんどんふえ、誤解の幅が縮小していってほしいものです。さて、英軍はこうして戦争に勝ちましたが、農民や町人出身の兵士のほうが、昔の武士で編成した軍隊よりも強かった例もあります。明治10年、西郷隆盛の反乱軍が政府軍と戦ったとき(西南戦争)、西郷軍は武士階級出身者ばかりでした。しかし敗れました。指揮官の質、装備などいろいろな原因がありますが、新しい国をつくるのだという意識に目覚めた庶民の軍隊のほうが強いというケースもあったのだということだけは頭に入れておいてください。世の中は複雑です。

23 : ボー・ジェスト : December 11, 2005 12:58 AM

今回の記事を読んで、本当のエリートと言われる人たちがどういう考えや、行動をとるのかということを知れてよかったです。私は、日本のマスコミでは間違った「エリート」の伝え方をしていると思います。例えば、インテリで自分たちが日本を支えているのだといったような。本来そういった人たちを指す言葉ではないと確信できました。エリートとは、ノブレス・オブリージュ(貴人の義務)であり、自らを犠牲にしてでも国家、国民のために出来る人だということ。ボー・ジェストのように。

24 : 湖の騎士 : December 11, 2005 10:57 PM

ボー・ジェスト様  このコラムで「エリート」本来の意味を正しく掴まれたようで、たいへん嬉しいです。どうも日本では「秀才」と「エリート」を取り違えています。この場合、秀才といっても単なる「受験巧者」であることが多いのですがーー。誤解はすこしずつ解いてゆかねばなりません。「ボー・ジェスト」をここに持ってこられたというのは、大いなる実力ですばらしいことです。しかし彼の場合は、エリートというよりは、叔母の犯罪を引っ被って外人部隊に身を投じる影のある「挫折者」という感じ。但し心は高貴で、行いは「麗しき振る舞い(ボー・ジェスト)という一筋縄ではいかない複雑な人物です。このコラムをきっかけにいろいろなことに思いを馳せられているようで、なによりです。

25 : cybridge : December 13, 2005 08:51 AM

日本で見てみると自由な時間をつぶしてまで、何かに取り組んでいる人は少ないかもしれません。それはエリートに限らず、最近の若者全体はそのような傾向にあるのではないかと思います。これから日本を復活させるには教育に力を入れていくことは言うまでもありません。

26 : 湖の騎士 : December 13, 2005 11:10 AM

cybridge様 「何かに夢中になれるものがあるかどうか」ーーそれがアメリカのエリート教育ではいちばん重視されていることだそうです。日本でも本当に将来大きな意義のある仕事をしたいと思っている若者は、何かに熱中しているのではないかと思いますが、貴方の言うのは「多数の」若者のことですから、当たっているでしょうね。「教育に力を入れていく」といっても、それを阻む勢力がいます。それはどういう人々でしょうか? そして彼らの抵抗を排除していくにはどういう手順・方法が必要でしょうか? それを考えて下さい。