View of the World - Masuhiko Hirobuchi

February 03, 2006

バイリンガルであることの悲劇 -学生へのメール

前回の「ハウスボートでヨーロッパ自由自在」の続きです。とにかく第二次大戦中はもとより、平和が訪れてからでも、まさか21世紀の初めにはハウスボートでヨーロッパ中を自由自在に往き来できるなどとは、ほとんどだれも思いませんでした。みんな疲れ果てて、その日を生きるのに精一杯でした。
さて、私がJさんに送ったEメールで「とにかく平和とEUとお二人に乾杯!」と書いたことは前回お伝えしましたが、それに対して返事が来ました。それによるとボートを繋留してあるロレーヌの小さな村の一方の端には第一次大戦で戦死したフランス人兵士の墓地があり、他方の端には同じく第一次大戦で死んだドイツ兵の墓地があるそうです。そしてアルザス・ロレーヌ地方には、こうした小さな墓地が数多く点在しているとのことでした。昔から私たちは教科書や小説で「アルザス・ロレーヌ」とワンセットで覚えてきました。ドイツとフランスの国境にあるこの地帯は、いつも戦争の勝者の側に帰属したのです。住民はしたがって完全にバイリンガルです。バイリンガルというと日本ではカッコイイとだれもが思いますが、アルザス・ロレーヌの住民たちにとっては、ドイツ語とフランス語が完全にできるということは、悲劇の象徴でした。19世紀にフランスがプロシア(のちのドイツ帝国の主体)との戦争に敗れたために、「今日がフランス語で行う最後の授業」というアルザスの小学校を舞台にした小説がありますが、感動的な物語です。
そうしたアルザスもロレーヌも、私にとっては遠い時の彼方の一コマでした。しかしJさんのメールを読んで、この悲劇の舞台はぐっと身近に引き寄せられました。小さな墓地が点在するフランスの運河に繋留されている船から見える風景は、さぞ複雑な思いを人に呼び起こすのだと思います。悲劇が起こる前にそれを回避する知恵を、人間はまだ身につけていない。人はいつも悲劇の「後から」、少しずつ賢くなってゆくもののようです。

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COMMENTS

1 : リッキー : February 4, 2006 08:26 PM

 バイリンガルであることについて羨ましいという感情以外私には今までありませんでした。しかし先生のこのお話を読み、戦争によって起こる征服した側とされた側の悲しい現実を知ることができました。毎日変わる戦争の状況によって、話し言葉も変えなくてはならないということは、戦争を経験していない私にとって分かりにくいことではありますが、明日から○○語を話さなければならないと義務付けられたら、きっと私は無口になるでしょう。戦争によって激しく戦い合ったフランスとドイツの今の関係や状況。EUに加盟していることによる同じ通貨の使用など、現在の状況は戦争直後考えられないことだと思います。バイリンガルにも悲しい歴史があることを知ることができました。

2 : 湖の騎士 : February 4, 2006 10:02 PM

リッキー様 この記事の本質を正確に読み取っていただき、書いた甲斐があったと感じています。今の日本では物事を表面的にしか見ない人が多く、バイリンガルと聞くと「わあー、カッコイイ!」くらいにしか思いません。しかし我々が割合とよく知っているドイツとフランスの国境地帯にこういう悲劇の歴史があったのです。この地域に生まれてのちにアフリカのランバレーネで住民たちの治療に当たり、「ランバレーネの聖者」とか「アフリカの聖者」と呼ばれたアルベルト・シュヴァイツァー博士(ノーベル平和賞受賞)も、「自分の母国語は独仏どちらなのか?」と長いあいだ悩んだそうです。そのことが彼の自伝『わが生活と思想より』に出ています。博士はみずから「ドイツ語だ」と決められたとのこと。世界からあれほど尊敬された博士にもそういう悩みがおありだったのです。

3 : rescue : February 5, 2006 07:10 AM

バイリンガルの悲劇、拝読させていただきました。
確かに日本人に対して、
「バイリンガルに憧れますか?」
という質問をしたら、間髪入れずに
「はい」とか「そりゃ、ねぇ・・」
と、返ってくるでしょう。もちろん私もその一人です。
2ヶ国語を自由自在に使い分けること、それ自体には憧れます。しかし先生の記事にあるような悲劇がバイリンガルを生むことは、全く知りませんでした。
言葉は大事だ、とよく聞きますが、それでも敬語だとか使い分けだとか、日本語の範囲内です。
先日も会社の研修で「コミュニケーション」について勉強してきたのですが、正直「難しいな」という印象でした。しかし、「外国語を使わなければいけない」というわけではないのだから、戦争時のアルザス・ロレーヌ地方の方々の辛さ、難しさから考えたら「私の苦悩などちっぽけなものだ」と思えてきます。

4 : 湖の騎士 : February 5, 2006 04:45 PM

rescue様 この記事の狙いは「バイリンガルという言葉ひとつを取っても、さまざまな思いも痛みもあるのだ」ということを知ってほしかったためです。何事もすべて表面的に捉え、「きゃー、カッコイイ!」という精神状態では世界は見えてこない。もういい加減で思慮ぶかくなろうよーーというメッセージです。その意図を正確に捉えていただけて幸せです。社会に出ると「コミュニケーション」の比重はいちだんと増します。人の心をよく読み、自分の意思を正しく伝えることができるように祈っています。

5 : 悠々 : February 5, 2006 07:21 PM

韓国や台湾の老人が流暢な日本語を話し、時には日本の軍歌まで歌って見せるテレビ番組を何度も見た覚えがあります。
日本のテレビ局の取材で、そうゆう老人を捜し出して、出演をお願いするのだろうと思いますが、老人達がどんな気持ちでテレビに出演し日本の軍歌を歌うのだろうか?と、考えたことがあります。彼等にとって民族の誇りを踏みにじられ、母国語を禁じられて日本語の使用を強制された、悔しい想い出を、殊更日本のテレビ局によって抉り出されるのはさぞかし辛いことだと思うのです。
彼等の堪能な日本語や軍歌とか童謡を歌うことを、観光的な視点で捉えるのではなく、日本の植民地政策を反省する視点で捉えて欲しいと思うのです。
ヨーロッパ人のバイリンガルのお話から、そんなことを思い出しました。

6 : 湖の騎士 : February 6, 2006 10:09 AM

悠々様 韓国はともかく台湾の人々の「親日」感情はは本物という気がします。『台湾万葉集』という歌集も出ていますし、今でも日本語で和歌を詠む人が相当数います。日本は台湾では「善政」を布いたのでしょう。ダムの建設などでも八田(ファーストネームを思い出せませんが)さんという人はかぎりなく貢献をされたのだそうです。オランダによる支配と比べても、大陸からやってきた蒋介石の強権政治と比べても、人々が日本による近代化を恩恵と感じていることは間違いないと思います。韓国については、日本を弾劾する気持ちはよく分かりますが、一切の親日的言論を封じ(本を発禁にするなど)、公職から追放している現状はどういうものでしょうか? 「反日」「親日」がともに自由に物が言え、議論を戦わせながら、国民的コンセンサスを得てゆくような国になることは不可能なのでしょうか?

7 : mix : February 7, 2006 09:36 AM

国際交流のボランティアをしていて、アジアからの留学生や研修生を大勢お招きしていました。当たり前のことですが、どこの国の方たちも我が家では決して日本の悪口を言いません。とても親日的な態度で接してくれます。でも、先生のおっしゃるように台湾の方たちの親日の感情は本物のように思います。
>日本は台湾では「善政」を布いたのでしょう。
そのあたりなのでしょうね。
歴史は巻き戻せませんが、中国や韓国で、もう少しいい政策をとっていてくれたなら、今のこのギクシャクとした外交が少しよかったかも何て思います。

8 : 湖の騎士 : February 8, 2006 09:45 AM

mix様 国際交流のボランティアとして、アジア各国の留学生や研修生をご自宅に招いてこられたとのこと。本当によいことをなさっておられますね。招かれた人たちが日本の悪口を言わないとうかがい、招待主への礼儀もあるでしょうが、これはかなり「本音」だろうという気がします。一昨日の新聞に、日本はアジア各国で相当に評判がよいということが具体的な数字を挙げて報じられていました。中国・韓国での行いについては、私もメディアが伝えるくらいのことしか知りませんが、父が民間人として駐在したインドネシアでは、人々は本当に日本を尊敬していたそうです。350年にわたるオランダの圧政を経験した人々が、日本をどう見ていたかをもっと知ってほしいものです。