View of the World - Masuhiko Hirobuchi

February 11, 2006

シュルツさんのいない冬 -学生へのメール

今から6年前の2月13日、一代の天才チャールズ・シュルツ氏が癌で亡くなりました。丸い頭をした少年チャーリー・ブラウンと彼の仲間たち、そして彼の愛犬で人間並みに物を考える不思議なビーグル犬スヌーピーを生み出した漫画家です。彼の描き出す人物たちはいずれもいうにいわれぬ繊細な心を備えどこかにペーソスの味を漂わせています。主人公のチャーリー・ブラウンは、負けてばかりいる少年野球チームの監督兼投手です。それでも彼は「いつの日にか勝てる」という夢を捨てず、挫折感にさいなまれながらも新しいシーズンになると勇躍球場に向かいます。アメリカ人というのは、みんなタフでラフで(神経が粗くて)、挫折といったものをあまり経験しない人たちだという誤解が広く行き渡っていますが、実際の人生ではみんなそれぞれにほろ苦い思いや孤独感を抱きながら生きているのです。
そうした人々の心が漫画集『ピーナッツ』に描かれています。この漫画を読まなければ20世紀後半のアメリカは語れないとまで言われてきました。しかし日本では、この漫画のもついわくいいがたい味わいを理解する人は少なく、スヌーピーと聞けば「きゃー、かわいい!」という人たちが圧倒的多数でした。
私はこの文学的香り豊かな読み物の。本当の価値を知ってほしく思い、『スヌーピーたちのアメリカ』(新潮社)を書きました。1993年のことです。95、96年と続けて講談社からも『ピーナッツ』を扱った本を出しました。シュルツさんとの文通は続き、98年にははじめてカリフォルニア州サンタローザ市の仕事場で、この偉大な漫画家とお会いしました。しずかで控えめで、どこか寂しそうな微笑を浮かべておられました。
それから1年半後に、シュルツさんは帰らぬ人となりました。そのことを講談社からの電話で知らされた午後、寒い風の中を歩きました。私は彼が描いた長編の中の少女ジャニスが、白血病を克服して奇跡の回復をとげたように、偉大なるシュルツはきっと回復すると信じていました。秘書の女性の話では、シュルツさんはだいぶよくなっておられるということだったので、安心して手紙もあまり差し上げなかったことを悔やみました。自宅の庭にウグイスが来たとか、近所の白梅の花が開いたとか、どんな些細なことでも毎日知らせるメールを送るべきだったと心から思いました。何時間か歩き回って気がついたのは、午前中に見た風景とシュルツさんのいない冬の風景はまったく違って見えたことです。これはけっして誇張とか、私の思い入れ過剰なためではありません。本当に不思議なことに、冬景色はまったく違って見えたのです。

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COMMENTS

1 : リッキー : February 11, 2006 10:37 PM

 連絡を取りたいと思っても、忙しかったり少し面倒だと思ったりしているとなかなかできないものです。しかし、それは時に取り返しのつかない後悔をすることがありす。連絡を取ろうと思ったらなんでもいいから連絡を取ることが必要なのだと思います。それは先生がおっしゃったように、どんな些細なことでも良くて、連絡を取り続けることが大切なのだと思います。

2 : cobi : February 12, 2006 01:53 AM

 私にとっての先生の最初のイメージは、スヌーピーでした。なんで大学の授業にスヌーピーが?と疑問がわき、その好奇心から授業を受講し先生に魅かれゼミに入りました。
そんなきっかけになったのはスヌーピーであってシュルツさんであったと思うので今回のお話はどこか悲しい感じがしました。

3 : 湖の騎士 : February 12, 2006 10:12 AM

リッキー様 そうです。「そのうち連絡すればいいや」とか「わざわざこんな些細なことで連絡するのは迷惑ではないか?」などと考えていると、時に取り返しのつかない後悔をすることになります。連絡したいと思うことがあった場合は、迷わず行動することです。私のシュルツさんへのご無沙汰の後悔を、生きた教訓として前向きにとらえてくれたようで嬉しいです。

4 : 湖の騎士 : February 12, 2006 10:26 AM

cobi様 人はきわめて大きな意味を持つ文化現象を自分の感性や教養の範囲内で勝手に解釈して捉えるものです。スヌーピーをただ「かわいい犬」としか見ないというのは、全くの誤解です。あの犬はそんな単純なものではありません。彼の周囲の子供たちを通して、日本人の思っているアメリカとは違うアメリカが浮かび上がってきます。そのことを伝えたくて、私は何年も苦労(?)してきました。そうした苦労の一過程が大学での授業でした。それを聴いてくれてありがとう。シュルツさんが亡くなったとき、クリントン大統領はそれこそ最大級の賛辞を彼に贈りました。『ピーナッツ』の文学的香りを語り、アメリカの人々がいかに彼を誇りに思っているかを語りました。時は過ぎてゆきますが、価値ある作品はいつまでも生きつづけます。

5 : 悠々 : February 12, 2006 06:36 PM

大切な人を亡くした空虚感と、冷たい風が吹き抜ける風景とが相俟って、廣淵先生のお気持ちは、さぞかしお辛いものだったろうとお察し致します。
私も妻を初め、大切な人を何人も見送っています。
遺った者の空しさとか、切なさは経験しないと分からないものですね。
今も三人の知人が、それぞれ残り少ない余命を医者に告げられています。本人も告知されているし、私にも知らされています。
私としては毎日でも見舞いに行きたい思いですが、一方で、方や幾ばくもない命を見つめている人であり、こちらは一応元気に日常生活をおくっている者です。
彼等が元気な私を見てどう考えるのか?
妬ましいだろうか?羨ましいだろうか?
頻繁に見舞う事が彼等に却って辛い思いをさせるのではないかと思うと、見舞いに行きたい気持ちが萎えてしまうのです。
廣淵先生が、頻繁に便りを書かれなかったことを、お悔やみになっておいでのことをお書き下さっているので、私も重い腰を上げて、見舞いに行くことにします。


6 : 湖の騎士 : February 12, 2006 09:49 PM

悠々様 奥様を見送られたということをはじめて知りました。今までお書きになった文章の中で、母上のことやハウスボートのことは出てくるのに、奥様が登場しないのは、男性に特有のはにかみかと思っていました。迂闊でした。心からお悔やみ申し上げます。三人もの知人の方が余命を知らされているというのは、悠々様にとってさぞお辛いことだとお察し申し上げます。さり気ない話をして帰ってくるだけでも、見舞われた方はまた気を遣うことでしょうから。私には余命を知らされた友を持った経験がありませんが、やはり皆さんはお見舞いにきてほしいと願っておられるのだと思います。

7 : 元室長 : February 13, 2006 01:33 PM

文章中に書かれている「冬景色はまったく違って見えた」という言葉に先生の感慨の念、空虚感を強く感じました。
手紙というのはつい面倒くさいというのが先立ってしまい、なかなか取り掛かれないものですが、だからこそ出る「あなたのことを気にしていますよ」、「私は元気です」などの文面からは隠れた味わいというのが”手紙の良さ”であり”連絡をする”というなのだと思います。
今日思いついたことは今日やる、というような行動力が大切なのだと感じました。

8 : 湖の騎士 : February 13, 2006 02:45 PM

元室長様 本文中にも書きましたが、「風景はまったく違って見えた」というのは、けっして「感情移入」が強すぎたわけではないと確信しています。まったく自然体で見ていたつもりですが、外界全体の色といい形といい、午前とは違って見えたのです。人生には不思議なことが起こるものです。さて「連絡すべき」と思ったことは、できるだけ早くしたほうがいいというご意見に賛成です。私もまだまだ一日延ばしにしていることが多いのが実情です。相手は貴方の便りを首を長くして待っていることが多いものです。