View of the World - Masuhiko Hirobuchi

February 26, 2006

自分がニワトリだと思い込んだワシ -学生へのメール

自己啓発書というのがはやっています。この分野ではアメリカがいちばん進んでいるようです。数ある類書の中から最近読んだ最も印象深い一節をご紹介します。
あるお百姓さんがワシの卵を見つけたのですが、それをニワトリの卵と勘違いして、鶏小舎に入れました。メンドリは他の卵とともにこれを抱き、間もなくワシの子が生まれました。彼は自分はニワトリだと信じ込んで育ちました。ある日空を見上げると、大きな鳥が空を舞っているのに気づきました。「あれは何?」と聞くとメンドリは「ワシだよ」と答えました。「ボクもあんなふうになりたい」というと、「それは無理だ。お前はニワトリなんだから」とメンドリは言いました。彼は「そうだね」とうなだれて言いました。結局彼は大きくなっても自分がワシであることに気づかず、一度も空を飛ぶことなく生涯を終えました。
この話は、もし私が教育にたずさわっていなかったら、そんなにも身につまされることなく読みすごしたかも知れません。しかし現実には、私は何羽ものワシの子を見てきたのです。いくら教師がはげましても、自分がワシの子だと生涯気づかず、飛んでみる努力さえもせずに、小さな空間の中で生きることに満足しています。そしてあまりはげます教師をわずらわしくさえ思っているようです。ワシやコンドルになるのは無理としても、せめてスズメのように自由に空を飛んでみようという気になってほしいものです。
ちなみにこの本のタイトルは『自分を磨く方法』(ディスカバー社)です。

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COMMENTS

1 : 紙飛行機 : February 26, 2006 09:31 PM

 自分が鷲であることに生涯気がつくことなく、その一生を終えた鷲はある意味不幸だなと感じます。やはり生まれてから、今にいたるまでの環境によって、その生き様が変わって来ると言う事の一つのたとえのように感じます。今の若者は周りと違う行動をとることを極端に恐れる傾向にあると思います。現状維持が一番よいと考える人達が多数を占めているのではないでしょうか。うまくいえませんが、現代という時代を象徴しているように感じます。
 このような中で、どのような形でも今の空を飛ぶことが出来ればいいなと感じる今日この頃です。

2 : 湖の騎士 : February 26, 2006 11:06 PM

紙飛行機様 この文章に共感を寄せていただき書いた甲斐がありました。本当に若者たちがどうして他人と同じ行動を取りたがるのか不思議です。型にはめないとよほど怖い仕置きが幼少期を通してあるのでしょうね。群れから離れることを恐れるなという教師が必要です。しかし小学校の先生方がまた、自分の価値観を子供に押し付けているのが現状です。それにしても「度胸」のある若者、空を飛んでみようとする若者に会いたいです。貴方も力を蓄えてやがてはばたいてください。

3 : エセ男爵 : February 26, 2006 11:53 PM

進歩成長は、またそれを促進するものが、我々の周囲に存在します。
すなわち、それなりの環境と周囲に「肩を押してくれる」心ある先輩や指導者があればこそ、成り立つ「機会」だと、つくづく感じる今日この頃です。
心ある先輩、優秀な指導者、すべて良き環境整えば整うほど、人は育つのだということ、理解できます。かくして伝統と環境に恵まれた「名門校」に所属していればこそ、それだけ自己啓発される機会が高まります。
しかし、しかし、
チャンスを逃さず、トライするのは、やはり自分自身だということ。自ら進んで「認識」し、且つ行動しなければ意味を成さんこと、あらためて身にしみます。
あたらずといえども遠からず!にて、
本日関連記事という位置付けにて、
「世界に発信する日本の伝統と文化」なるテーマにて、
恐れながらTBをかけさせていただきます。 

4 : 悠々 : February 27, 2006 12:09 PM

鷲であることを気付かせる教育、素晴らしいですね。
高等教育は学生側も自覚を持てる年齢ですから、教育者の責任は学問に集中しても良いのだろうと思いますが、幼児教育は相手の自我が未だ目覚めていないから、教師のやり方次第で刷込が出来る状態です。
子供の絵画展などを見ると、発展途上国でも先進国でも、子供達が実に伸び伸びとした絵を描いています。
日本の場合、残念な事に「こまっちゃくれた絵」が多いのです。これは指導者側に問題があります。個性の強い絵は異端として見られ、才能の芽を摘んでしまうのです。いわゆる上手な絵を描く子は褒められて、個性の強い絵を描いたら、矯正されてしまうから、こまっちゃくれた絵が氾濫することになるのです。
私の子供達も幼い頃は、頭足人形から始まって、色んな楽しい絵を描いてくれました。ところが、幼稚園に通い出した途端に
描く絵は画一的な詰まらないものになってしまったのです。
私が伸び伸びした絵を描かせようとしても、子供にとっては先生の指導は絶対だし、仲間と同じような行動をするのは、子供同士の付き合いもあって、親の指導は受け入れては貰えなくなってしまいました。
幼児教育に携わる先生達に、廣淵先生のこのブログを読んで欲しいです。

5 : 湖の騎士 : February 27, 2006 03:06 PM

エセ男爵様 この記事はきわめて平凡な日常の中にあって見聞きすることと密接に関連しています。とにかく「自分はできない」と思い込んでいる若者が全国に驚くほど多数います。その原因はここにあるメンドリみたいに「君にはできない」という初等中等教育の先生方なのです。男爵様の幼少年期には想像もつかないような「画一化」教育が行われていて、それには文部科学省の「学習指導要領」も大きな責任があります。さらに「親の子に対する教育」が不在ということもあるでしょう。ちょっと一朝一夕には解決しない問題です。

6 : ラ・マンチャの男 : February 27, 2006 03:13 PM

悠々様 的を射たコメントをありがとうございます。この8年間は大学で教えるだけでなく、市の教育委員を務めてきましたので、初等中等教育の現状はいささか心得ているつもりです。とにかくご指摘のようなことが起こっています。先生方は自分が子供を「画一化」しているとは思っていません。しかし実際にはしているのです。この現状をどう変えるか? 小泉首相も郵政民営化などでなく国家百年の大計である教育の大変革をやってほしかったです。「教育には興味がなかったのだろう」と言われても仕方がありません。

7 : のりまき : March 1, 2006 03:26 PM

わたしは本を読んでいて自分が感動したり影響を受けた言葉をメモして保存してあるのですが、このストーリーと似た言葉を以前に本から抜き出し、その言葉を励みに毎日を送っています。
その言葉は、
「自分にそれだけの値打ちがないって知ることになんの値打ちもない」
この言葉を書き留めた時から、誰かに何度「無謀な挑戦」と言われようが、「身の程を知れ」と言われようが、へこたれなくなった気がします。自信過剰になってはいけないけれど、さらに、あきらめも肝心と言うけれど、自分の可能性を心の底ではいつまでも信じて行動していようと思っています。
こんなふうに思っている自分を、いつも無駄にポジティブだなあと感じることもありますが…!

8 : 湖の騎士 : March 2, 2006 12:05 AM

のりまき様 「なにがなんでも!」と思い込む人間ほど強いものはありません。まず「何かを願わなければ何事も実現しない」し、「人間は自分が思ったもの以上のものにはなれない」のです。無謀と言われようとなんと言われようと、まだまだ粘ってください。かならずいいことが起こってきます。

9 : 元室長 : March 5, 2006 12:00 AM

自分はアルバイトで塾の講師をさせていただいているので、「思い込みの強さ」についてよく考えさせられます。こちらのワシのように、自分に十分な力があっても”自分にはできないもの”と投げやりに問題にぶつかる生徒。逆に、”ひょっとしたら簡単で自分にもできるかも”というような積極的に問題にぶつかる生徒。こうした時、問題そのものを解いてそれを理解させるのは簡単なのですが、「この問題は君にもできるんだよ」と自信をつけさせるのは大変難しく感じます。
人間の固定概念というのは人に説明できないような曖昧なものではありますが、個々の思いとしては確固として強固なものばかりだと思います。

こういった固定概念を除いて”自分に何ができるのか”、”自分が何をしたいのか”をシンプルに捕らえ、行動していくことは自分の可能性を広げていく方法なのではないかと思いました。

話が少し脱線してしまい申し訳ございませんでした。

10 : 湖の騎士 : March 5, 2006 10:25 AM

元室長様 嬉しい驚きです。私の記事は「最近の大学生の傾向」を対象に書いたものですが、貴方の場合はそれよりも10歳以上年下の小中学生を教えていて気付いた体験を語っています。大学の教師から「飛ぼうとしない」と見られている大学生が、今度は小中学生を見ていて同じようなことを感じているというのは、実に新鮮味があります。しかし感心してばかりはいられません。これは日本全国を覆っている憂うべき兆候です。なんとかしなければなりません。よい知恵を出し合いましょう。