View of the World - Masuhiko Hirobuchi

July 30, 2006

ダイアナの心を解くキーワードは「脆さ」だった -

英国のダイアナ皇太子妃がパリでパパラッチに追い回されて交通事故死を遂げてから、間もなく9年になります。多くの人は「なぜ今ごろそんな古いことを取り上げるのか?」と思われるでしょう。実はこれを書くのは彼女の葬儀について、日本のマスメディアはきわめて重要な事実を伝えそこねたという思いからです。この一つの決定的な言葉が伝わらないために、彼女の生前の行動の謎も心の内も、彼女を失った英国民の心の本当のところも日本では理解されていないと思い、今後も起こってくるもっと重要な出来事についても、「キーワード」というものが、いかに大切かを訴えたいためです。

ダイアナ妃の葬儀はウェストミンスター寺院で行われました。弔辞を述べたカンタベリーの大主教(英国国教会ではこの呼称のはず)も、弟のスペンサー伯爵も、ともにダイアナの心の「脆(もろ)さ=脆弱(ぜいじゃく)性」(ヴァルナラビリティ)ということを言いました。彼女は「自分はこういう高貴な身分でいるにふさわしくないのではないか」と常に悩み、自問していたというのです。心はいつも不安定でした。夫の浮気ということもあって、彼女も報復的に不倫騒動を繰り返し、恋人と避暑地にいるところを写真撮影されたりで、エリザベス女王から見れば、けっしてよい「嫁」ではありませんでした。しかしこの「ヴァルナラビリティ」という言葉を聞いたときに、私は彼女の行動のすべてが一挙に理解できたと感じたものです。「そうか、そういうことだったのか!」と。

スペンサー伯は、自分が幼い日々のことにも触れました。父と母が離婚したために、幼い姉弟は毎週週末に父の家を訪ねなければならなかったこと。長い汽車旅行の間じゅう、姉はどんなに僕にやさしくしてくれたかと語りました。「彼女は僕をまるで赤ん坊のように『お母さんしてくれた』」(She mothered me
as a baby.)と言いました。この「お母さんする」(「マザー」を動詞として使う)という表現が説得力がありました。けっして姉を理想化したり、褒めすぎたりはせず、ごく自然体で出てきた言葉でした。まだ幼くて父と母の離婚の意味もよく分からない弟に対して、お母さん代わりに面倒を見てくれたという言葉が共感を呼びました。こうした一部始終を私はBBCテレビの中継で見ていました。
翌日の日本の新聞で、この「お母さんする」という言葉と「ヴァルナラブル(脆弱な)」という言葉を探しましたが、一紙もこれを伝えていなかったと思います。私にとっては死活的に重要と思える言葉でも、頭の中を素通りしていく記者もいるのだなと思い知らされた次第です。
これは「感性」の問題です。微妙な心の領域を伝える際には、ひとつの言葉が決定的な意味をもってくるということを申し上げたいと思い、あらためてこの事件を取り上げました。

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COMMENTS

1 : 悠々 : July 30, 2006 10:59 PM

蝋細工のような脆弱な心を持った人が夫の不倫に苛まれて、自分までが人の道を踏み外していく課程が良く分かりました。
ダイアナ妃が、幼い頃から過酷な家庭環境に置かれて、弟を庇って母親の役まで果たして居たという事もその後の人格形成に影響していたのですね。
イギリスの上流階級の持つ共通の脆弱性が有ったのかも知れません。
報道に携わる人達がナイーヴな心を持って事件の記事を書くという基本を忘れ、独り善がりな記事を伝えたら、読者は正確な事情を知る機会を失う事になります。
記者諸氏は奢ることなく、平常心で事に当たって欲しいものです。
廣淵先生の今日の記事で、私の疑問が氷解したのはとても嬉しいです。

2 : 湖の騎士 : July 31, 2006 10:00 AM

悠々様 この記事がお心にひっかかっていた疑問を解くことができたとすれば、たいへん嬉しいことです。私の耳に届いた「ヴァルナラビリティ」という言葉は、あるいはメディアの現場にいる人には聞き取れなかったのかも知れません(私は当時はテレビ局を卒業し大学教授でした)。しかしあの葬儀の一部始終を見ていれば、重点はどの辺にあったかは分かったはずです。同じ現象を見ていても「感じるポイント」は違うのですね。

3 : tiakujo : July 31, 2006 11:09 AM

「感性」の問題
ひとつの言葉が決定的な意味をもってくる
「感じるポイント」は違う

私への大切なポイントは、これらとしました。

4 : 湖の騎士 : July 31, 2006 11:06 PM

tiakujo様 ここに書いたのは「日本のメディアが時として感知しない重要情報」についてであり、後輩たちに対する激励でもあります。視聴者や読者の皆さんはそんなに重要にお受け止めにならなくていい話で、「外国のメディアはこう伝えていましたよ」という参考情報としてお受け取りくだされば十分と思います。