View of the World - Masuhiko Hirobuchi

January 16, 2007

硫黄島を訪ねて(2) いまも活発な火山活動 -

本土からの飛行機が離着陸する周辺には質素なオフィスビルが数棟と、昔の団地ふうの宿舎が数棟建っています。ここに駐屯している自衛隊員たちは、適度に規律正しく(つまり過度に緊張もしていず、だれてもいない、ごく自然体の規律を保っているという意味)、業務連絡用の日本語は簡潔です。すさまじい戦闘が行なわれた場所だという感じはあまりしません。外国人記者団は、まず米軍が作ったビデオを観ました。偏見も誇張も過度の愛国心も入っていない、ドキュメンタリーです。ここで戦った栗林忠道司令官らの賢さ、勇気、公に奉ずる心といったものが、アメリカ人にもよく理解されていると思える作品でした。
ビデオの前に食事をしましたが、これは炊き込みご飯が缶詰になったものです。それを電子レンジで温めたものと、イワシの缶詰を食べました。缶詰の色は、米軍の戦時食「レイション」を思わせるものでした。1945年の戦闘当時だったら、まちがいなく大ご馳走です。平和な島に来て、日米の食文化を凝縮した昼食を食べられることのありがたさを噛みしめる思いでした。余計なことかもしれませんが、この昼食代は各記者の自己負担です。国民の税金を無駄にしないという防衛庁の理念が感じられる昼食でした。
島の中はバスで移動しました。北部にある顕彰碑を見て、栗林中将の司令部のあった塹壕を見ました。たちまち口が渇き、60度を越す暑さが襲ってきました。仮に団扇を片手に、パンツ一丁で過ごしたとしても、とても耐えられない暑さと渇きです。こんな劣悪な環境の中で、軍服を着て、自らの数倍の戦力を持つ米軍と36日間も戦ったというのは、まさに信じられないほどの意志力です。この意志力と規律、戦略眼に対して、米軍は明らかに畏怖と畏敬の念を抱いただろうということがよく分かりました。
塹壕を出て、島の西南端にある擂鉢山(すりばちやま)に向かいました。ここの山頂に星条旗が立ったことで、アメリカの世論は「我が軍勝てり」と勘違いし、その勘違いを大統領も財務長官もうまく利用してゆく過程は「父親たちの星条旗」に描かれているとおりです。
島を移動しているあいだに、たえず鼻をつくのは、強烈な硫黄のにおいでした。火山活動はいまも活発で一日見ないと岩の裂け目が変わっていることがあるそうです。ここはまさに「硫黄の島」です。年間の降雨量が極端に少なく、水はなによりの貴重品でした。この間の事情は、フジテレビの「戦場の郵便配達」によく描かれていました(以下は次回)とさせていただきます。写真を添えていないのは申し訳ないですが、想像で補ってください)

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COMMENTS

1 : tiakujo : January 17, 2007 10:33 AM

一昨日映画をみてきたばかりなので、臨場感100%で読むことができました。戦争未亡人の母子家庭でそだったのに、ろくに戦争のことは知らず、知ろうともしませんでした。
戦争は、人間を人間でなくしてしまいます。いけないに決まってます。でも現実は、、。
NHKの掲示板に、「戦争は硫黄島だけでない、ほかもTVで報道すべき」との意見がありました。

2 : 湖の騎士 : January 17, 2007 03:10 PM

tiakujo様 父上を戦争で亡くされたとは存じませんでした。お悔やみ申し上げたい気持でいっぱいです。戦争はいけないにきまっていますが、もしこちらがいかに平和を望んでいても他国が戦争を仕掛けてきた場合はどうするのか? ということが日本ではほとんど語られません。こちらに平和への意志が強烈でも、相手は日本と戦うのだと決めている場合があるのですね。日本が日露戦争に勝ったころから、アメリカは日本を叩きつぶすという壮大な計画をたてていて、40年かかって日本を追い込んでいったという説が有力です。物事を多方面から見る習慣がほしいところです。

3 : 悠々 : January 18, 2007 09:05 AM

硫黄島にいらして実地の体験をなさった先生のお話は臨場感と説得力があります。
灼熱地獄で戦った将兵の強靱さには頭が下がりますが、他の戦場でも飢餓と闘い、マラリアなどの疫病に苛まれ、地獄の苦しみの中で死んでいった多くの兵隊が居ます。これは日本兵だけではなく、対戦国の兵隊達も同じ苦しみを味わっていた訳ですから、戦争はしてはならないと言う思いを今更ながら再確認しています。
アメリカが40年掛けて日本打倒の計画を立てて居たと言う事ですが、今のアメリカのやり方からは想像できない思慮深い計画性です。
ベトナムでの失敗に懲りずに未だ強権を振りかざす政策を、日本打倒計画に40年掛けた昔のアメリカの思慮深さに学んで、考え直して欲しいと思いました。

4 : 湖の騎士 : January 18, 2007 10:25 AM

悠々様 硫黄島だけでなく他の戦場で亡くなった将兵および他国の戦死者に対する思いを馳せることも本当に必要だと思います。アメリカは、1905年に日露戦争で勝利し新興勢力として急速に力をつけてきた日本をかならず滅ぼさなければならないと決意し、「オレンジ計画」というプロジェクトを推進しました。日米がやがて戦うというシナリオがすでにアメリカによって書かれていたのです。そういう歴史的事実をまったく知らなかった日本の軍部は徹底的に責められるべきです。しかし同時に「いかにして戦わずに独立を守れるか」ということを考えずに、ただひたすら「願い」「祈り」だけで平和が保てると思っている戦後の日本国民も、ここらでもう少し理性的にならないと、今度は別の他国に攻められて国を滅ぼしてしまう可能性が高いです。国を守り、平和を守るためには、「知力」しかありません。