View of the World - Masuhiko Hirobuchi

January 19, 2007

硫黄島を訪ねて(3) 慰霊碑に水を注ぐ記者 -

擂鉢山(すりばちやま)の頂上近くには、日本軍の大砲の残骸がありました。この砲で米軍の戦車を撃破したために、砲の所在が分かり米軍の報復攻撃を受けたものだそうです。戦闘のすさまじさを物語るものでした。島のあちこちには、いまも砲弾があらたに発見され、掘り起こされてたいせつに保管されています。60年を経ても歴史はなお昨日のことのように息づいています。擂鉢山の頂上には米軍兵士の霊を祀る碑が建っています。報道写真で有名になった6人の海兵隊員が星条旗を山頂に立てようとしている様が石に刻まれています。そこから右に十数メートルのところに、日本兵士の霊を祀る慰霊碑があります。兵士の出身地はほぼ日本全国にわたっています。そこで碑の中心には日本列島を象った地図がはめこまれているのですが、それが各都道府県で産する「石」でできているのです。日本の軍隊が、けっして特定の県の出身者で構成されていたのではないということを、あらためて感じました。石は無言ですが、各兵士はなつかしい故郷の石でできた日本地図とともに眠っているわけです。
日米の兵士たちの碑にペットボトルの水を注ぐ記者がいました。彼は北部の顕彰碑でも水を注いでいました。共同通信の元ワシントン特派員松尾文夫氏です。彼とは40年以上の付き合いですが、東京に帰り新宿で食事をしたときに、「喉がからからに渇いた兵士たちのことを思うと、せめて水を注ぐことで渇きをいやしてもらいたいという気になった」と話していました。私はそこまで頭が回らず、自分のための水しか持参しなかったことを恥ずかしいと思いました。私にできたことは、死者たちの霊を鎮めるために派手な色の装いを避けることぐらいでした。(以下は次回とさせていただきます)

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COMMENTS

1 : dashi : January 19, 2007 02:01 PM

しみじみといいお話ですね。日本人らしい心遣いというか。
各地の石を集めた地図というのも、死者をいたわって敬う、そういう細やかな心配りが日本人には本来備わっていたような気がします。もののあはれ、でしょうか……。
こういうこぼれ話的なものも読めるがブログのいいところですね、次回も楽しみにしています。

2 : 湖の騎士 : January 19, 2007 09:55 PM

dashi様 コメントをありがとうございます。島にいるあいだはけっこう移動に忙しかったのですが、それでも「物事の本質」といったものは、感じたり見たりすることができたように思います。やはり全国で産する石が、各都道府県に位置にはめ込まれているところが日本人の感性だと思います。あと少しでこのシリーズは完結しますので、よろしくお願いします。

3 : 悠々 : January 19, 2007 09:56 PM

私が沖縄の戦績を訪れた時も、観光気分には成れず、水こそ供えませんでしたが、畏敬の念をもって手を合わせました。

沖縄での日本軍の沖縄住民に対する扱いは、とても同胞に対する態度ではなく、過酷で非情なものだったと沖縄の友人達から聞かされていたからです。
友人達は戦禍をくぐり抜けて生き延びた人達ですから、その話には実感がこもっていました。

私が最初に沖縄を訪れたのは未だ米軍の支配下にあった頃で、入域には米民政府の入域許可が必要だったし、通貨は米ドルでした。

沖縄は日本国土で唯一戦場になった場所です。そして多くの沖縄住民が戦渦に巻き込まれ、あるいは日本軍に徴用されて犠牲になったところです。
現在も多くの米軍と自衛隊の基地があり、沖縄の苦難は未だ払拭されていません。

硫黄島から離れてしまったコメントですいません。

4 : 湖の騎士 : January 19, 2007 10:40 PM

悠々様 沖縄が返還される前の日に現地へ行こうとしたのですが、果たせませんでした。沖縄出身者には、日本に対する恨みのようなものを抱いている人が多いですが、戦争時の軍人たちの態度に原因があったのでしょうね。しかしあんまり日本の悪口を言っていると、「もともと琉球王朝は中国の属領だったのだ」と主張している中国の領土に組み入れられる危険があります。日本への恨みも批判もよく理解できますが、中国領になった場合のことを考えている人はどのくらいいるのでしょうか? それはともかく、あれだけの激戦を経た日米の戦士たちの慰霊碑が並んで建っている硫黄島は、人間の理性の健全さを示しているように思います。過去は過去とし、恨みは恨みとして、なお未来に向かって生きる双方の英知といったものを感じさせる石碑でした。