View of the World - Masuhiko Hirobuchi

January 22, 2007

硫黄島を訪ねて(4) 白い十字架はどこへ行った? -

島の中をバスで移動する間、記者たちは寡黙(かもく)でした。当たり前といえば当たり前の話です。物見遊山に来たわけではない。ここで戦われた1945年2月から3月にかけての激戦の意味を考えるため、そして「事実」を確かめるために来たのです。だからといって、あまりにも過去に入れ込みすぎることは、事実を見る眼を曇らせます。理性と感情は峻別しなければ、ジャーナリストは務まりません。説明してくれる担当官の話が途絶えている時でも、彼らはじつに静かでした。
擂鉢山(すりばちやま)を降りて飛行場の方に戻る途中も、3メートルくらいの潅木の林がずっと連なっていました。何の木かはだれも尋ねませんでした。我々がバスにに乗る前に観たビデオでは、島にはたくさんの白い十字架が連なっていました。キャスターはそれらの十字架を背景に戦闘の様を語っていました。しかし、もうまもなく空港に着こうとする時になっても、白い十字架はどこにも見当たりませんでした。彼らは一体どこへ行ってしまったのか? そうした疑問が湧き起こる直前に担当官が言いました。「ビデオでご覧いただいた米兵の墓はもう島にはありません。1968年に施政権(しせいけん)が日本に返還される前に、米軍は遺骨を掘り起こしワシントン郊外のアーリントン墓地や、テキサス州ハーリンジンの海兵隊墓地などに運んで再埋葬したのです」。アメリカの将兵は、丁重に故国の土に埋められたのです。
さらに胸を打つことを担当官は言いました。「毎年、日米の遺族たちはこの島に集まり、ともに死者たちの霊を慰める儀式を行なっています。かつての敵同士の遺族が、こうした形で集まっている例は世界にもないそうです」。
思い出すのは、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で最大の激戦となったノルマンディー上陸作戦のことです。1944年6月6日、米・英・オーストラリア・カナダなどの連合国軍は、米将ドワイト・アイゼンハワーを総司令官として、フランスのノルマンディー海岸に殺到しました。フランスを占領したドイツ軍は、この海岸に強固な要塞を築いていました。夜明け前の暗闇をついて、英仏海峡を渡ってゆく圧倒的な艦船の姿を映画『史上最大の作戦』やドキュメンタリー・フィルムでご覧になった方も多いと思います。攻める側も守る側も必死でした。多くの将兵の命が失われました。海岸にはその後ずっと白い十字架が立ち並んでいます。その史上最大の作戦からちょうど50年が経って、記念式典が行なわれることになりました。当時のドイツ首相ヘルムート・コールは、50年も経ったのだから、恩讐を越え自分もドイツ国民を代表してこの式典に参加したいと申し出ました。ご存知のとおり、ドイツは平和の象徴であるEU(ヨーロッパ連合)構築の強力な推進国としてフランスと協力しあい、いまもEU成功への最大の貢献者です。しかし過去半世紀も平和に徹してきたドイツの宰相の申し出を、仏英米側は拒否しました。ドイツ首相が出席することは、各国の国民感情が許さないとの判断からです。50年を経ても「恩讐(おんしゅう)の彼方へ」とはならなかったのです。そこへゆくと、ノルマンディー以上の激戦だった(と思われる)硫黄島の戦闘の日米双方の遺族たちは、恨みをこらえ、共に相手を尊敬しつつ、明日の平和な世界のために毎年抱擁し手を握り合って死者たちの霊を慰めているのです。この対比がつよく胸を打ちます。
それにしても、日本であの激戦が行なわれたノルマンディー上陸作戦、暗号で「Dデー」と呼ばれたあの戦闘のことを知っている人はどれくらいいるでしょうか? 大学教授として9年間を過ごし、市の教育委員として8年間の見聞を経た私見では、Dデーのことを教えている中学高校はまずほとんどいないだろうと思います。大学生たちはDデーのことなど知りませんし、硫黄島の戦いのことも知りません。第一、これらの戦闘がその後の世界平和にとってどれくらい大きな意味を持ってきたかを、語れる教員はほとんどいないのではないかと思います。そうした過去のきわめて重要な事実を知らないで、平和が語れるのでしょうか? 平和を維持するためにはまず戦争のことを学ばねばならないというのが世界の常識です。しかし日本では戦争を感情的生理的に憎みこれを理性的に学ぼうとしません。
同行した台湾テレビの宣聖芳記者に私は聞きました。「ビデオで見た白い十字架群はDデーのことを思い起こさせますね。台湾ではDデーのことを学校で教えていますか?」。宣記者は即座に答えました。「もちろんですよ。どうしてですか?」。宣記者にしてみれば「こんな重要なことを教えるのは当たり前じゃないですか。どうしてそんな当たり前のことを聞くのですか?」と言いたかったのでしょう。私は日本人として本当に恥ずかしい思いをしました。「いや、日本の学校ではそういうことは教えていないのが現状なんですよ」と率直に言うしかありませんでした。平和を口にする人はいくらでもいる。しかし国政荷う政治家も、高級官僚も、未来を荷う子供たちを育てる責任ある教員たちも、一般の社会人も主婦も、どれだけ歴史を真剣に学んでいるのか? ウィンストン・チャーチル元英国首相は「過去を知らないものは未来を見ることもできない」という意味の有名な言葉を吐いているのです。台湾でもヨーロッパでもアメリカでも、第二次世界大戦のことは徹底的に教えています。中国でも韓国でも(あまりにも教える側の主観が入りすぎていますがーー)事情は同じです。だが日本人は、今後の世界で生き延びてゆくために不可欠の知識を欠いたままなのです。ともすれば情緒的に流されがちなこの島で、きわめて理性的に戦争と平和の意味、日本の教育と世論の危うさを考えた一日でした。(硫黄島報告は次回でいちおう完結するつもりです)

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COMMENTS

1 : 悠々 : January 23, 2007 11:43 AM

ノルマンディーには以前行って、戦跡も見てきました。
ドイツの巨大な大砲が洞窟に据えてあってドーバー睨んでいました。
レールに乗った長さが20mもある大砲で、戦艦の主砲のような大物です。
これが未だに以前の儘の状態で保存されていました。
第二次大戦の記憶は次第に薄れてきているし、戦後に生まれた人は知らない人が多いですね。きちんとした歴史教育がなされていない事も原因ですが日本人が忘れっぽい事もあると思います。嫌な事は早く忘れちゃおう!と思うのでしょう。
ドイツを歩いていて、ビストロで飲んでいた時に、隣の客が「お前は日本人か?ドイツと日本は一緒に戦った友達だ。」
と肩を抱かれて乾杯した経験があります。
そうだ、日独伊同盟があったんだっけ。なんて考えて感慨一入でした。
教育基本法を改正して「国を愛する心」を教え込んでも、きちんとした歴史認識を持たない子供には、正しい愛国心は育たないと思います。

2 : dashi : January 23, 2007 11:48 AM

Dデー、私も娘たちも学校では「全く」習ってません。私は明治時代あたりで時間切れになったような気がします。
学校での社会科教育ってホントにいいかげんで、いい先生に当たると素晴らしいけど、逆(ろくに新聞も読まないような人が先生してたし)だと悲惨ですよ。ほかの教科でも言えますけどね、社会科はのちのち実生活で深くかかわりますからねえ。
そもそも世界史を履修しないまま高校を卒業させないでほしい。
登校しないでネットサーフィンしている方がずっとためになる場合もあるでしょうね。見るサイト次第ですが、ここはお薦め(笑)。

3 : 湖の騎士 : January 23, 2007 08:53 PM

悠々様 ノルマンディー海岸の戦跡を実際にご覧になった方は少ないと思います。貴重なご経験ですね。ドイツ人は日本と共に戦ったことを割合と長く憶えていたものですが、今の若者はそういうことはまず知りません。ドイツと組んだことは判断ミスですが、それはそれとして事実だけははっきりと教えてほしいものです。このままでいくら口先だけの英会話を覚えても、外国の人々と心が通い合うわけがありません。

4 : 湖の騎士 : January 23, 2007 11:33 PM

dashi様 ご自身も令嬢も「Dデー」について学校で教わってないというのは他の方々の例からもうなずけることです。本当に細かいこと、どうでもよいようなことを力こぶを入れて教えるくせに、どうして肝心かなめのことは教えないのか? いちばん悪いのは文部省(旧)でしょう。世界史についての知識がない人々が、どうやって世界の人々とコミュニケーションができるのかが不思議です。学校教育を根本的に変えなければならないという認識が、与野党を問わず広まってほしいものです。