View of the World - Masuhiko Hirobuchi

January 29, 2007

硫黄島を訪ねて(5) キハダマグロの釣れる島 -

硫黄島の中を移動するバスの中で、自衛隊の説明担当者が語った話でつよく印象に残ったのは、この島ではキハダマグロが釣れるということでした。勤務時間外の自衛隊員が大物を釣り上げたところ、5尾釣れてそのうち4尾(4匹)はたちまちサメ(鮫)に食われてしまったということでした。私などから見れば、なにも人間が釣り上げたマグロを食わなくたって、いくらでも泳いでいる奴を食えばいいのにと思うのですが、おそらく遊泳中のマグロのスピードはサメのスピードよりも速いのでしょう。だからサメも効率(?)を考えて釣り糸にかかったマグロをガブリとやったのだと思います。その時はそんな詮索(?)などしている余裕はありませんでしたが、平和というものはいかにありがたいものかを身にしみて感じました。かつて日米両国の兵士たちが死闘を繰り広げたこの戦場で、非番の自衛官がのんびりと釣り糸を垂れてキハダマグロを釣っている。そのありさまを想像するだけで、心が和むものがありました。
擂鉢山(すりばちやま)から見下ろす太平洋は、波もなくじつに静かな大海原でした。太平洋というのは、英語では「パシフィック・オーシャン」です。「平和な大洋」という意味です。このもともとは平和であるはずの大海を舞台に1941年から45年まで、日本とアメリカは戦ったのです。悔いは双方にあるでしょう。その思いはとくに敗れた日本の側につよく残っています。日本は太平洋だけでなく中国大陸でも、東南アジア諸国でも戦いました。なぜこういう戦争が起きたのか? それを回避する具体的な方法はあったのか? 世論・国民は十分に賢かったのか? マスコミはフェアーに真実を伝えていたのか? 検証すべき点は多々あります。こうした重要な問題はいまもほとんど解決していないというのが、私の思いです。人々は情緒的に「戦争は嫌だ」と心の中で叫んでいます。しかし戦争を避ける具体的な手段については、考えていません。日本を侵略したり属国にしようとする意志が、他国に存在する可能性についても考えません。核ミサイルを搭載した潜水艦が、近海の海底にうごめいていることについても、他国の指導者が日本についてどう思っているかについても、いちじるしく想像力を欠いています。平和を保つためには、「国民が知的であること」が必須の条件です。核を持つ大国に、日本を侮らせないためには、世界に抜きん出た知的能力、世界の歴史についての抜群の認識力、他国の意図についての誤りなき判断力がどうしても必要です。教育水準の向上は、独立国家として生き延びるために、緊急の課題です。しかし文部科学省の役人たちの頭の中は、こうした認識とは遠くかけはなれたものです。教育や外交についての政治家たちの発言を聞いていると、あまりにも現状認識ができていないことに驚き、絶望的にさえなってきます。
悲観論は慎まねばならないと思います。しかし、だれもが認める人類愛の実践者で、「ランバレーネ(アフリカ)の聖者」と呼ばれたアルベルト・シュヴァイツアー博士は言っています。「私は認識においては悲観的である。だが意欲と行動は楽観的である」と。人間はたえず愚行を犯し、真の反省はしないものだと思います。博士のこの言葉はじつに重みがあります。私は遠い20代の昔から、この言葉を胸に生きてきました。今の日本を見ていると、認識はどうしても悲観的にならざるをえません。日本人の国際政治に対する感度の悪さ、他国を好き嫌いで判断する国民性、さらには他国から「過去を反省しろ」と言われれば、しっかりした検証もしないですぐその気になってしまう人の好さが、将来大きな禍根を残すだろうと思わざるをえません。
だが、「まだ希望はある」と思いたいです。そのために自分がなすべきことをするしかありません。まさに「意欲と行動は楽観的に」行きたいものです。凪いだ「平和の海」を見ながら、悲観と楽観の間を揺れ動いている自分を、もう一人の自分が見つめていました。季節によってはブーゲンビリアとハイビスカス、それに月下美人が咲く島だそうですが、12月の島には花の面影はなく、ススキとネムの木の葉が、穏やかな風にそよいでいました。(書きたいことはまだまだありますが、これでひとまずこのシリーズは終ります。ご愛読ありがとうございました)

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COMMENTS

1 : yoyo : January 30, 2007 09:43 PM

つい60年程前には 戦争の渦中にあった硫黄島、訪問記を通して 現在の日本の危うい平和を警告してくれました。日本の現状、勿論 世界の情勢も 日々変化していると思います。複雑な要因が絡み合い (私の能力では とても分析不可能ですが・・) 一歩踏み間違えると 恐ろしい舞台に駆り出されることにもなりかねません。"戦争は嫌!" 誰しも思うことですが それなのに 世界あらゆるところで 戦争は無くならない! 世界史、日本史、を振り返っても "戦争の歴史" です。何故でしょうか? 連綿とその繰り返しが 人類の歴史なのかも知れません。それでも平和を願う一市民のyoyoです。

2 : 湖の騎士 : January 31, 2007 12:09 AM

yoyo様 ブログにしては固すぎるかも知れない連作でしたが、お読みくださりありがとうございました。「平和」というものを考えるときに、参考になる例はたとえば「オランダ」です。ヨーロッパの大国に挟まれ、人口も少なく天然資源もないこの国が生き延びてゆくには「知力」しかありません。他国の歴史や国民性をよく知り、国民の80パーセントくらいは自国語のほかに英語とドイツ語はほぼ話せます。こうして他国の人々とよく交わり、他国の発想になじみ、オランダの信用とイメージの向上に国民一人一人が尽くしているのです。「ずる賢い」くらいのきびしさが備わっているのがオランダ人です。日本人はあまりにものん気で、善人すぎ、自国の歴史も他国の歴史も学んでいません。他国の侮りを受けやすい国民性が心配です。

3 : 悠々 : January 31, 2007 02:18 PM

日本は島国だし、一応は単一民族国家なので、以心伝心、と言った甘えがあるのが、外国人に誤解や不快感を与える一因になっていると思います。
人種も国も入り乱れている欧州では、自分以外の人間は皆、敵あるいは心を許せない他人だという観念で行動するから、自ずから相手の事を考える、理解しようと心がけるという訓練が出来ています。
日本人はその辺に油断があって、言葉足らずとか、相手の気持ちを汲めないで失敗するのだと思うのです。
今や日本も人の行き来も多いし、通信手段も発達しているから、島国とは言えない状態です。
国際感覚を磨かないとなりません。

4 : 湖の騎士 : January 31, 2007 06:28 PM

悠々様 他国の人々と緊張感をもって付き合うというのは疲れますが、我々が生きてゆくにはこの道しかありません。教育の大命題を「他国の人々といかに摩擦なく付き合ってゆくか」に絞れば、もっと生き生きとした教育ができると思います。今の「中教審」や「教育再生会議」のやり方では、結局は元のままだと思います。世界史も日本史も必修にすべきなのは当然です。口では世界の人々と仲良くするのだと言いながら、他国の歴史も自国の歴史も知らないで、仲良くできるわけがないでしょう。政治家の責任は重いです。