View of the World - Masuhiko Hirobuchi

October 31, 2007

ハロウィーン -

ハロウィーンは日本でもずいぶんポピュラーになりました。お化けカボチャや骸骨のお面も街で目につきます。明日は「オールセインツ・デイ(万聖節)」。聖人(セイント)というのは死後に与えられる尊称ですから、聖者というのはすべて死者です。そうした死者の魂があの世から地上に帰ってくるという、古代ゲルマン人・ケルト人の民間信仰とキリスト教がミックスしたのが「万聖節」。しかしこのオールセインツ・デイは日本ではなじみが薄く、もっぱらその前夜の「ハロウィーン・ナイト」が有名です。ハロウィーンの夜には使者の霊魂は木の梢などに宿っています。なにかちょっと不気味で怖いような夜です。超自然的な何かが起きてもおかしくないような、子供の幻想をかきたてる雰囲気があります。妖精や悪魔の存在を信じ、神も複数だった古代と、神はただ一つ(一人)という一神教が広まった中世以降と、人々はどちらが幸せだったのか? 同じ根から出た一神教のユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が相争っている現代の姿を見るにつけ、いろいろなことを考えさせるのが、ハロウィーンです。

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COMMENTS

1 : 悠々 : November 1, 2007 08:53 AM

森羅万象全てが私にとっては尊いものでそれぞれに神が宿っていると思える程です。
私は無信心な者でキリストさんもモハメッドさんも信じたり拝んだりはしませんが、教会や仏閣があれば頭を下げたり賽銭を上げたりはします。賽銭は入場料のつもりで入れるのですが、、、ですから拝観料を取るところには賽銭は入れません。
原始的な宗教が、太陽を始めあらゆる物に神が宿ると信じていたのは私には納得できます。
日本でのハロウイン・ナイトは日本のクリスマスイブと同じ発想で、お祭りの一種と思って楽しめばそれはそれで結構なことではないかと考えています。それが直ぐ商業主義に利用されるのはどうかと思いますが、、、
ハロウインの来歴などはそっちに置いておいて、子供と一緒にカボチャに目鼻を切り込んで遊んだりするのは微笑ましい行事です。
神という存在があって、モハメッドも釈迦もキリストもその神の声を聞いた人であったなら、各宗派が相争うのは神の教えとは離反する事です。
今の宗教指導者と称する人達は自分たちの政争に宗教を利用しているだけで、神の導きとは違う物だと思うのです。

2 : 湖の騎士 : November 1, 2007 11:09 AM

コメントありがとうございます。全くおっしゃるとおりで、ごく自然に神社仏閣に手を合わせたり、御賽銭を上げたりするのは人間的な行為だと思います。ところが一神教の神は嫉妬ぶかくて「汝、我のほかにいかなる神も拝むべからず」と禁じています。地中海の南岸には、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコなどのいわゆる「マグレブ」と呼ばれるイスラム教の諸国がありますが、砂漠の中に首を切られた胴体だけのローマ時代の神々の像がいくつも横たわっています。「偶像崇拝の禁止」の、目に見える実例です。古代のゲルマンの森の中で、あるいはローマ帝国の領土内で、人間的な神々と触れ合っていた人々のほうが、一神教を奉じる人々よりもはるかに現代の日本人の考え方に近いような気がします。ハロウィーンはそういうことを考えさせる行事です。