View of the World - Masuhiko Hirobuchi

November 26, 2007

英語についての思い込み -

今の日本にはいろいろな「思いこみ」が力を得ていますが、英語についての思い込みも相当なものです。中でも「自分は読むのは相当にできるが、話せない」というものが多いようです。次に「自分が英語を話せないのは先生が悪いからだ。仮に外国人講師に習えば、たちまち上達する」という思い込みで、これが発展すると「英語の本場であるアメリカかイギリスに行けば、1年くらいでペラペラになってみせる」となります。さらに「むずかしい文法などは何の役にも立たない。現地人と身振り手振りで、知っている単語を並べるだけで、なんとか意思は通じるものだ」という思い込みもああります。

ご自分を冷静な第三者の立場に置いて、こうした思い込みを抱いている人たちをどう思われますか? 賛成意見・反対意見いろいろにあると思います。できれば自由なご意見を聞かせてください。

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COMMENTS

1 : 悠々 : November 28, 2007 11:27 AM

英語(語学)についての思いこみは、確かに先生のご指摘のような風潮が有りますね。
駅前留学のキャッチコピーで業績を拡大していた語学教室がありましたが、その思いこみを巧みに利用していたのだと思います。
海外に行って外国語漬けになっていると確かに発音とかは幾らか良くなるというのは私も体験していますが、それが万能ではなく、要はやる気の問題で、高い金を払っても、やる気がなければ金をドブに捨てるのと同じです。
海外留学や、語学教室は巧みにそれらの錯覚を利用しているのだと思います。
只で勉強できる放送局の語学講座でしっかり勉強して、外国語をかなりの所までマスターした人も居ますから、勉強したければお金を掛けなくても出来る訳です。
私も片言英語で海外を旅しては居ますが、もっと語学が出来たら、旅の感激も更に増すことだとは思っています。
如何せん、記憶力が減退しているし、生来の勉強嫌いですから語学の習得は諦めています。

2 : 湖の騎士 : November 28, 2007 12:39 PM

悠々様 日本人は語学について「オーラル学習がすべて正しい」という迷信から早く脱け出すべきです。私の経験からいうと、もっと古い時代の学習をしていた人の方が、はるかに外国語ができます。いきなりそれをいうと、自由な意見が言えなくなる方もいらっしゃると思うので、自分の意見は次回くらいに書きたいと思います。

3 : 悠々 : November 29, 2007 09:22 AM

幕末のジョン万次郎とまでは行かないまでも、漱石が留学してイギリスで立派な業績を残したり、明治の頃に渡欧した人達の語学はおそらく長い船旅の間に学習したのではないかと思いますが、立派な物ですね。
野口英世博士がアフリカの郷土病(黄熱病)の研究にアフリカへ赴いたときにも船中で現地の言葉をマスターしたというのを伝記で読んだことがあります。
テープレコダーどころかレコード盤も使わないでの書物から学習ですから驚きです。

4 : 湖の騎士 : November 29, 2007 10:27 AM

悠々様 明治大正時代の人たちの大多数は、書物を通して外国語を学んでいました。頭に入ってくる外国語はきちんとした紳士淑女の言葉でした。私たちが想像もできないくらいの消化力で、先輩たちは外国語を「丸ごと」吸収していたのだと思います。第二次大戦後は、「英語はしゃべれなくてはいけない」という「信仰」が幅をきかせ今日に到っています。これもある程度正しいことですが、「書物」から知識を得ることを軽んじた結果、「駅へ行くには」とか「ショッピングの仕方」とか「税関の通り方」とか、じつに下らない「実用英会話」ばかりが流行しました。こんなことを何年やっても英語ができるようになるわけがありません。一種の「ミーハー思想」が、日本人の外国語習得力を駄目にしています。

5 : dashi : November 29, 2007 07:00 PM

外国で暮らせば、必要に迫られて、日常生活に必要な言葉や俗っぽい言い回しは覚えるでしょうね。でもそれって、英語をマスターするということではないと思います。
日本人は、不必要にコンプレックスを持ちますよね。カタカナ英語でもいいから堂々としゃべればいいのにと思います。内藤千秋さんの英語みたいに(笑)。
ネイティブスピーカーであることと、よき教師であることは全く別物だと思います。また、基礎的な単語は覚えなければならないし、ある程度の努力はどうしても必要となりますよね。

私が中学校で英語を習い始めたときは、I have a book.からでした。This is a pen.から始まる教科書もあったようです。
それから20数年後、娘の教科書を見て驚きましたよ。その内容のなさに。「ハーイ、元気イ? どうしてた? その服ステキね!」みたいな、そんなノリでした。
こんなのいくら習ったって、英語をモノになんてできっこない…と思いましたが、案の定、基本的な動詞すら覚えないままに卒業してました。
「英語だけは塾に行かせた方がいいわよ」と忠告してくれた友人の言うことをきかなかったのを、正直、あとで後悔しました。

英語だけじゃなくて、全体的に、学校で習う内容ってレベルが下がってますよね。円周率を3にしたりとか(今は戻りましたか)。基礎学力は落ちてるんでは?
明治の頃の人がずっと努力もしたし、インテリだったと思います。学校に行ける人自体ごく少なかったということはありますけど。昔は少数精鋭、今は粗製乱造ってとこでしょうか。
文盲がいない社会ってすばらしいと思いますが、読むのがマンガや高級(?渡辺某などの)ポルノではしょうがないような気も…。

6 : dashi : November 29, 2007 07:03 PM

すみません、ミスがありました。
内藤千秋→向井千秋さんです。(旧姓)
それってダレ?? って言う人が多そうですね。

7 : 湖の騎士 : November 29, 2007 08:54 PM

dashi様 お久しぶりです。英語ができなくなってしまったのは、やはり文部官僚たちの間に巣食った「ミーハー主義」だと思います。お嬢さんの教科書にあるような、どうでもいいようなことばかり教えてきた結果が、今日の惨めな英語力を生んだのです。自分のことをいうと、キザとか言」われそうですが、高一のころ「アメリカはなぜ日本に原爆を落としたのか?」といった議論を英語でアメリカ人にふっかけていました。シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」の中で、アントニオが見事な論理展開でブルータス一味を追い詰めてゆく演説を何回も読みなおしノートに書き写すことで、英語の力は急激に上達しました。人生を決定づけ、歴史を変えるドラマに興奮するような英語に出会うことが、最も効果があると思います。