View of the World - Masuhiko Hirobuchi

April 18, 2008

聖火リレーに対する感度の違い -

長野市が聖火リレーのコースを変更することを決めました。これについて、記者会見をした町村官房長官のコメントに大きな違和感を覚えました。長官は、国によってリレーに「混乱を起こしている所とそうでない所がある」と言いました。明らかに「混乱を起こすのはよくないこと」で「混乱を起こさないのがよいこと」と言っていると思いました。これは世界の大方の認識とは、いちじるしくかけ離れています。表現の自由、言論の自由が保証されており民主主義が行き渡っている国々では、中国のチベット人弾圧に抗議するのも「表現の自由」の一部です。断定的に言えば、「まともな国」とされている所では、いずれも民衆が中国への「プロテスト(抗議)」として聖火リレーを妨害したのであって、それは健全な民主主義が行き渡っている証明でした。逆に言えば、抗議する者が一人もいなければ、それは「世界に対する恥」だと思うべきなのです。まさか「さくら」を使ってリレーを妨害するふりをするわけにはいきませんが、「もし一人も抗議者がでなかったらどうしよう」と考えるのが、長官の役目であるはず。ところが長官は「妨害者がいないのが善」「抗議者がいるのは悪」ときめつけてしまっています。なんと世界の常識と大きくかけ離れていることか! と嘆かわしくなります。このセンスで政権運営を行っていれば、内閣の支持率が下がるのは当たり前でしょう。

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COMMENTS

1 : 悠々 : April 18, 2008 11:17 PM

善光寺の僧侶の発言は真っ当でした。
「寺の文化財や参詣人の安全のため聖火リレーのスタート地点を辞退する、勿論チベット問題についての仏教徒としての意思表示も含まれる。」というものですが、短いコメントの間に、中国のチベット弾圧への怒りのメッセージが込められています。
近頃久々に聞いた歯切れの良い発言でした。
これに反して、政府や長野県当局の考え方はみっともないものでした。自民党の末期症状を見た思いです。

2 : 湖の騎士 : April 19, 2008 10:26 AM

悠々様 この記事を書いたあとで善光寺の僧侶の発言をあらためてテレビで聞きました。チベットでの弾圧が起きて以来、日本人として初めての立派な発言でした。これくらいの発言をもっと早くなぜ政府当局者ができないのか、そこに日本の大きな弱点があるように思います。町村発言もひどかったですが、夜のニュースでの福田発言はもっとひどいものでした。むにゃむにゃ言っていて、結局何が言いたいのか、まったくコメントになっていませんでした。残念です。

3 : alien project : April 19, 2008 11:34 PM

はじめまして。自国に誇るべき歴史と文化をもっている国の人々なら、他国から侵略され独自の文化を失うことの苦悩と悲しみを自分自身の痛みとして想像し感じることができるはずですよね。日本人ならできるはずですね。今、チベットの人々の痛みに寄り添えない人達は自分の国さえも大切にできないのではないでしょうか。でも、私自身の問題として、気持は焦るのですが今のところ見守るだけでなかなか行動として表現する一歩が踏み出せません。今までやったことがないからです。どんな小さなことでも行動しなければ知らないままでいることと同じになってしまうでしょうか。公の場で表現する機会のある方々には、自分自身を大切にするのと同じ気持で発言していただきたいです。

4 : 湖の騎士 : April 20, 2008 11:16 PM

alien project様 はじめまして。コメントありがとうございます。昨日から突然大量のジャンクコメントが入ってきてお礼を書くこともできませんでした。非常に誠実なお気持ちでチベットの人々の痛みを共感しておられるのがよく分かりました。希望が出てくるお言葉です。再びジャンクに襲われる可能性がありますので、十分に意をつくしたお礼になっていませんが、今後ともどうかよろしくお願いいたします。