View of the World - Masuhiko Hirobuchi

May 17, 2008

自信を取り戻しつつある日本人 -

だいぶ気の早い話ですが、日本人は少しずつ自らの文化と現状についての自信を取り戻しつつあるのではないかと思います。「ああ、あの時が最も落ち込んでいたのだな」という最悪の状態からようやく脱しつつある感じです。地震や台風などの自然災害に逢っても、整然と行動するし、援助物資の奪い合いなどはしません。自分が不幸だからといって、やたらに他人のせいにもしない。言葉は冷静で抑制がきいている。行動はきちんとルールどおりに行う。災害時に暴行や略奪といったことが起きない。「なるほど、日本人というのは、そういう人々だったんだ」という認識が、あらためて世界に広まり、日本人自身もそのことを自覚し始めているように見えます。けっして偏狭なナショナリズムで言っているのではありません。戦後63年、あまりにも自虐的でありすぎたか、その反対に経済の好調に奢り、いわれのない優越感を抱いてきた日本人が、ここに来て自分の長所と欠点を冷静かつ公平に見ることを学びつつあるのではーーと思います。この上は経済を復興させる大きなビジョンを持ち、政治の劣化を食い止めることです。それについては、またあらためて書きます。

[Post a comment]

COMMENTS

1 : alien : May 18, 2008 11:57 PM

私も北京オリンピックのある2008年をしっかりと意識して記憶しておきたいと思います。転換点は、計算ばかりでなく内外の偶然も重なってもたらされるのではないかと思います。今年、オリンピックがきっかけとなり全国の人々が初めて真剣に中国の実態について考え、身を引き締めました。その矢先に四川で未曾有の大地震が起き、中国も国際スタンダードをアピールするために海外の人的援助を受け入れるなど変わらざるを得ません。国内でも、過去の劇場型政治の大騒ぎに乗っかった反省に立ち、生活がかかる政治の行方を一人一人が真剣に選び監視しなければならないことが骨身に沁みてわかりました。先日、思わず見入ってしまったテレビの学園ドラマでは「友情」「信頼」「情熱」「夢」を気恥ずかしいぐらい前面に押し出していました。社会のモラルも底を打つほど荒廃しきった今、照れずに善良な価値観をもう一度思い出してみようという動きの予兆であればいいと願っています。大きな変化のうねりも、目にみえないような小さなところから音も無く少しずつ始まるのだと思います。2008年を見守り覚えていたいと思います。

2 : 湖の騎士 : May 19, 2008 10:22 AM

alien様 貴重なコメントをありがとうございます。この記事が私の一人合点でないことを祈っていましたが、ご共感いただき非常に心強く励まされています。ご覧になった学園ドラマで「友情」「信頼」「情熱」「夢」などが前面に押し出されていたというのも、作者やプロデューサーが世の中が変わる前兆を見たからでしょう。そうであればいいなと思います。私は「歴史が変わる予兆」というものを、1981年の夏にハンガリーで見たように思いました。ブダペストの橋の上を歩く若者たちがドイツ語、英語、フランス後などでワイワイを語り合っていました。建国記念日の花火を見るために集まった群衆でした。「ツーリズムが情報の流れを変える」とその時感じましたが、8年後にベルリンの壁が崩れるとまでは予見できませんでした。しかしあの時、ドナウ河の上で感じた「手ごたえ感」というものは、確かなものがありました。今の日本でも、何かがよりよい未来に向けて動き出している気がしています。

3 : 悠々 : May 19, 2008 04:32 PM

戦後の復興期からつい先頃まで、日本全体が懸命に全力疾走してきたと思います。バブル景気がはじけた頃から、立ち止まって後ろを振り返る必要に気付いた人が出始め、団塊の世代がリタイアしたここ数年になって、自分たちの姿を冷静に眺める余裕が出てきました。団塊の世代の人たちは自分たちが辿って来た足跡を、やや自慢げに評価していると思います。
そんな自信が世の中の空気を和らげ、良い面の評価も遠慮しないで出来る雰囲気が出てきました。
若い世代にも親の七光り全盛から、実力のある才能豊かな人たちが台頭してきたのも、良いものを見定める多くに人の眼力が養われてきたからです。
文学、美術、芸能などの実力の評価がしやすい分野からそうゆう芽が育ってきました。
二世議員花盛りの政界にもこの波が早く及んで欲しいものです。

4 : 湖の騎士 : May 19, 2008 07:01 PM

悠々様 仰せのとおり、文学、美術、芸能などの実力の評価がしやすい分野から「良いものを見定める眼力」が養われてきているのを感じます。二世議員花盛りの政界にもこの波が早く及んで欲しいというお気持ちは非常に切実に響きます。どの分野であろうと、もっと競争が自由にできるようにならないと「本物」が育ちません。ともあれ、一時期の「なにもかも悪い」の自信喪失・過剰な自虐意識から脱しつつあるのは喜ばしいことです。

5 : alien : May 19, 2008 11:25 PM

ひとつ、危惧を思い出しました。それで、また、送ります。日本や日本人が自信と誇りを取り戻して閉塞感から開放されてゆく兆しはあると思います。でも、一つ気にかかっていることがあります。数年前から少し戦争関連の本を読みました。靖国のことなど世間で問題になっていることについて自分なりの考えを持っていたかったからです。そして行き着いた結論は、国家存亡の危機だったあれほどの悲劇を招きながらその責任の所在を一度も日本人自身の手によって総括していないということ。また、逆に原爆など不等なやり方に対する抗議の総括もしていない。危惧とは、勇気をもって総括して腹を決めないかぎりいつまでも足元が定まらず、本当に一新して国として自信をもって次へ進むことができるのだろうかということです。難しいのは分かります。でも、だからといって口をぬぐって戦争を知っている人がいなくなるのを待って何事もなかったことにするのでは情けないし、そんな民族のDNAから誇りは生まれない、なによりも過ちをまた繰返すと思います。
と、このように「ウザイ」ことは普段は口にしませんが、心の中にわだかまっていたことなので一度だけ送らせていただきました。でも、今はそれよりも力強い変化の予兆を感じます。きっとこのような過去のことも勢いよく爽やかに洗い流してゆくと思います。私達は過去の総括の機会を失ったのだと思います。それでも、前向きに進んでゆける時が来たのだと思います。

6 : 湖の騎士 : May 20, 2008 12:06 AM

alien様 非常に貴重なご意見を再度ありがとうございます。過去を総括した人々はいたと思います。1950年代まではそうした作業はずいぶんなされました。しかしその総括の仕方が特定のイデオロギー(左も右も)に支配され、そのイデオロギーに「仕える」性質のものであったために、多数の良識ある国民の支持を得られなかったのです。そのうちに国民はそういう不毛の総括に倦んでしまい、考える能力も段階的に低下してきたために、ここ30年くらいはきちんとした総括がなされないままに時が過ぎました。ご指摘の懸念は私も持っています。あまりにも過去の経験を軽んじ、物を考える手順や論理を反省しない態度は、「再び過ちを繰り返すのではないか」と思わせることしばしばです。しかし今は今回の記事に書いたように、せっかく芽生え始めた「自信回復」という芽を大切に育てることに力を入れたほうがよい段階だと思います。

7 : alien : May 20, 2008 07:11 PM

湖の騎士様 ありがとうございました。心にわだかまっていた疑問が溶けました。そうですか、1950-60年代に検証・総括の動きがあったのですね。当時では、いろいろな意味で、なまなましくて無理だったのでしょうね。いつか研究者が歴史の検証という形で取り組み、一番説得力のある説が定説として受け入れられるかもしれませんね。歴史に委ねるという意味が、はじめて府に落ちました。自虐史観の影響を受けない冷静な後世の日本人にお任せするということで、わたしもhappyです。
不思議ですね。「この国は数十年で滅ぶのではないか」と感じていた私が、今、無意識に「歴史に委ねよう」と言っている。
きっとこれも、湖の騎士様がおっしゃる自信回復の兆しですね。
気分よくTokajiでも飲みますか。ハンガリーの勇気と、親しみを込めて彼らのモウコ班に乾杯!

8 : 湖の騎士 : May 20, 2008 11:31 PM

alien様 前回もずいぶん重いことを書きましたが、私は「世論」というものがあまりにも情緒的にぶれる傾向を心配していました。「理性」や「論理」で物事を考えない人が増殖しすぎて、どんなにすぐれた総括をする人がいても、そういう意見は力を持たないものだーーと。おっしゃるとおり、この国は数十年で滅ぶということを私も考えました。教育現場にいるとひとしお強くそれを感じたものです。しかし『頭にちょっと風穴を』の最終部分で書いたように、悲観的になる自分を叱咤し励まし続けているうちに、この十数日間に「何かがプラスに変わる」胎動のようなものを感じたのです。それははっきりとは説明できない「何か」です。この着眼に共感して下さり、本当にありがたく思っています。それにしてもハンガリアンたちのことを実によくご存知ですね。感心というより感服しています。

9 : 職人希望 : May 21, 2008 10:29 AM

御著書“頭にちょっと風穴を”を読み返しアクセスしました。
少しずつ記事を読んでいるところです。
今回の記事とだいぶ離れかも知れませんが、自信回復とういう意味では最近の商品偽装関連ニュースとの連動している感じを受けます。
同関連の問題はおそらく内部告発からでてきていると思います。ということは、それらの不正に我慢できない社員が増えてきた証拠ではないでしょうか。身を賭して行動に出る、という大げさなものでなくとも、ウソをつくことに耐えられない正常な感性の持ち主が増えてきたのではないでしょうか。もちろん、そうでない逆恨みなどがきっかけの告発者も含まれるとは思いますが。
同じ組織である以上、仲間を守るということも必要だと思います。それ以上に不正に目をつぶれない思慮深い人間が増えていると願いたいです。このような問題も見方を変えれば、自信回復の一兆候ととれないでしょうか。
災害時の冷静さ、思いやりの気持ちと遠いながらも関連性を感じ、投稿した次第です。

10 : 湖の騎士 : May 21, 2008 11:23 AM

職人希望様 拙著をお読みくださりありがとうございます。お楽しみいただければ幸いです。さて企業内の「内部告発」が増えていることと「自信回復」を結びつけられた視点は、大いに参考になります。学ぶところが多いです。自分が所属する企業だけを守っていればよいという、仲間内の規範だけで行動することに耐えられず、もっと大きく社会全般を見渡して、不正義は許さないとする会社人間が増えているのはたしかです。それが「自信回復」とただちに結びつくかどうかは別として、当り前のことを当たり前に行って行かなければ企業も存続しえない時代が訪れています。これも「健全化」への一歩前進だと思います。