View of the World - Masuhiko Hirobuchi

June 21, 2008

いつも魚が釣れると思って育った子供 -

秋葉原連続殺人の容疑者(本当は「犯人」と呼ぶべきでしょう)は、「なにもかもうまくいかない、皆が俺の邪魔をする」などと語っています。これに対し、北海道大学の山口二郎教授は、「こういう人間を作り出した社会が悪い」という意味の発言をしています。これはとんでもない錯覚ですが、ここでは詳しくはこの発言内容には立ち入りません。その他多くの論客もそれぞれにこの事件についての意見を述べていますがどうもステレオタイプで物足りません。そこでだれも語っていない視点から、この事件を眺めてみたいと思います。

もう10年以上前から、いくつかの地方自治体では子供の日などに、川に魚を放流しています。子供たちが下流でこうした魚を釣ったり捕まえたりして、楽しく一日を過ごせるようにという配慮からだといいます。私はこれはとんでもない「愚行」だと思い、そのことを東京新聞で担当したコラムにも書きました。こういう環境で育った子供はどうなるでしょうか? 「魚が釣れるのは当たり前」と思うようになるでしょう。「人生には一匹も魚が釣れない日もあるのだ」という貴重な真実を、けっして学ぶことなく成人した彼らは世の中に対する根本的な錯覚を抱いたまま日を送ります。「自分が期待したものが手に入るのは当たり前」と思い、期待していたような成果が得られないと「それは世の中が悪いのだ」と思うのが常です。今回の秋葉原殺人犯の精神形成にこうした幼児期の体験がどのくらい影響しているかは分かりませんが、日本社会全体に「魚が釣れるのは当たり前」というような、いわば「遊園地的な感覚」が浸透していて、こうしたムードや価値観が大きく影響している気がします。自治体も子供のご機嫌をとるために魚を放流するような愚挙はやめるべきです。こうしたことのために使う予算は20万円くらいだそうですが、金額は大したことはなくても、このような行事がいかに子供をスポイルし、子供の成長にいかに有害かを考えるべきです。魚の放流にかぎらず、子供の機嫌を損ねることを恐れて、なんでも買い与え甘やかしている親たちも「甘やかしの代償」の大きさと恐ろしさに一日も早く気付いてほしいと思います。

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COMMENTS

1 : 職人希望 : June 22, 2008 03:00 PM

“頭にちょっと風穴を”増刷を大変うれしく思っています。反面、独り占めしたい気持ちも少し感じております。
こちらは梅雨も明け、脳天を焼くような日差しの強さです。本日は幼少時からの友人とBBQをしてきました。巷はもう夏です。
 私の子供の通う幼稚園でのチャリティーバザーで、妻が福引の準備をする際に感じることがあります。はずれを極力なくそうと、100円ショップなどで景品を購入したりします。これには妻も私も非常に不満で、何度か妻から先生に申し入れました。しかし、はずれでは子供が可愛そうとの親御さんからクレームがあるとのことで、なかなかやめられないとのことです。個人的にはキャンディー1個程度でいいのかな、と思うのですが。はずれを隠そうと景品を与えたところで、翌日にはゴミ箱いきです。ものを大切にする心も育たなくなってしまいます。
 学校の生徒の評価も絶対評価になったようで、誰もが5をとれる状況です。体育も、音楽もある程度まじめにやっていれば、高い評価になります。私はどうも違和感がぬぐえません。
 かけっこでは負けたけど、鉄棒では勝った。音痴だけど、絵を描かせたらすばらしい、など少しずつ自信をつける教育をすればいいのに、と思います。
 先日、私の住む県のある市で、小学校の演劇の題材で集団自決に関連する劇が開かれたようです。当然、学校教育で歴史としてはっきり決着がついていないテーマを題材に、子供たちを指導するのはいかがなものか、という意見もでたようです。私も別に右側に寄っているわけではないと思いますが、思想教育のようですっきりしません。
 私の住む地域では、自衛隊を擁護するような意見も言うことができません。この国では、平和を守るための装備も絶対悪のようで、言いたいことが言えない、言論統制の厳しい国家なのでしょうか?
 平等は良、身分や貧富の差はすべて悪、丸腰は良、軍備は悪、という教義の新興宗教国家のような感じがします。
 日曜日なので、愚痴はこのぐらいにしたいと思います。お付き合いありがとうございました。

2 : 湖の騎士 : June 22, 2008 03:26 PM

職人希望様 世界の他の国々では「当り前のこと」「常識中の常識」が日本では通用しなくなって久しいです。まともに物を考える人がノイローゼになってしまうような愚行が繰り返されています。奥様が、幼稚園のチャリティーバザーでどの子供にも景品が行き渡るような安っぽい景品のばら撒きに反対なさるお気持ちは本当によくわかります。しかし「外れをなくすことが善」と信じ込んだ教師の頭を切り替えさせるのは、ほぼ不可能です。「集団自決」について、学童たちに無理矢理ひとつの価値観を植え付けようとするのは、本当に恐ろしいことです。それに異を唱えることができないというのは、まさに「自由なき国」であり、カルト集団化する国のような恐怖を感じます。なんとしても、自由に物が言える社会を維持しなければなりません。拙著の増刷を喜んでくださってありがとうございます。「反面独り占めしたい気持ちも少しあります」というのは、著者にとっては最高の褒め言葉です。

3 : alien : June 23, 2008 12:52 AM

湖の騎士様 こちらのコラムは私にとってゆらめく熱波の中で差し出される冷たいお水のようです。今回、おもしろく感じましたのは、このテーマについては見方が真逆のようです。私が若い人達に心を込めて伝えたい言葉は、「取り乱すな。魚が取れる日もきっとある。」


「ロープを知っている本屋さん」に、また、御著書が入荷していました!
スヌーピーはありませんでした。私は、今まで、スヌーピーの原作自体を読んだことがなくて彼に愛着がもてなかったのですが、先日のGrowth様やりッキー様のコメントを拝見しまして、是非、街まで出かけて求めたいと思っています。とても楽しみです。

4 : 悠々 : June 23, 2008 09:24 AM

先生の仰るご主旨は分かりますし、大いに賛同致しておりますが、「もう10年以上前から、いくつかの地方自治体では子供の日などに、川に魚を放流しています。子供たちが下流でこうした魚を釣ったり捕まえたりして、楽しく一日を過ごせるようにという配慮からだといいます。」の部分には些か疑問を感じています。子供たちが少々の魚を放流した程度のことでは下流でいつでも魚が捕れるなどと言うことにはなりません。漁協が大量に鮎の稚魚などを放流しても大人の釣り人が苦労しなければ釣れないのですから。
子供の日に稚魚を放流するのは、自然に親しむためのきっかけ作りが目的だと思います。
そのことは脇に置いて、子供たちの躾に関しては全く同感です。
私が以前自分の息子と友人とその息子の4人で海水浴に出掛けたことがありました。
海岸に着いて駐車場からビーチまで、遊び道具やおやつなどを運ぶのに友人の子にも一緒に荷物を運ぶよう頼みました。
その子は嫌だというのです。親も子供に指示はしません。
仕方ないから私と私の息子で荷物を運びました。
ビーチで友人の子が言いました。私も遊びたいけど、貸して呉れない。私の息子に貸すよう行ってくれと言うのです。
「君は運ぶのは嫌だと言ったよね。自分で貸して下さいと頼んだら?」と言いました。友人の息子は今度は自分の親に言いつけています。私は知らん顔していました。
気まずい雰囲気になりましたが、権利と義務についての教育だと思い敢えて突き放したのです。
一寸お灸を据えたから、息子に貸してあげるよう話しました。
その友人とは今はお付き合いが途絶えています。

5 : FUMIHITO : June 23, 2008 01:41 PM

お久しぶりです。

先生のおっしゃっていること非常によくわかります。
私も以前悩むことがございました。
中途入社で入ってきた女性社員に10の仕事を与えてもすべてをこなすのは大変だと考え、5、6、7と序々に仕事量を増やしていき足りない部分は仕事を手伝っておりました。
他の部下にも「彼女はまだ入ってきたばかりで大変だから、これは私がやるから、こっちはあなたが手伝ってあげなさい。」と仕事を割り振って手伝っておりました。
ところがある日いつものように新入社員の女性に仕事を与えると「嫌だ!!」と言って自分の仕事をしません。
それどころか「それは手の空いてる人がやればいい。」とおかしな発言をしています。
私は好意で部下達と一緒に仕事を手伝っていたのですが、それを彼女は『手伝ってもらって当たり前』と受け取っていたようです。
恩着せがましいことを言うつもりはさらさらないのですが、何だか恩を仇で返されたようで、悲しくなりそして甘やかした自分がいけないのか?などと一晩中考えさせられました。
十人十色、彼女でなければ受け取り方も違ったのかもしれませんが、私にとっては大変いい勉強の機会になりました。
子育ても同じですが『~してもらって当たり前』という考えを相手に抱かせてしまうのは危険なことです。

6 : 湖の騎士 : June 23, 2008 11:32 PM

alien様 私のコラムを「ゆらめく熱波の中で差し出される冷たいお水」と呼んで下さり、光栄です。今回の件について見方が逆ということをはっきりと言って下さって気持ちがいいです。東京新聞に2週に1度書いていたコラムでは、「苦い野菜を全く食べない子供がいる」ということを知った驚きも書きました。苦い野菜を作っても全く売れないので(子供が食べないため)、農家は甘味のある野菜しか作らなくなった、というニュースを見たからです。念のためにいくつかの農協(JA)に電話しましたが、「このままで行くと苦味のよさが日本から消えてゆく可能性もある」との答えでした。人生には楽しいことも苦いこともあるのだということを、幼児の舌に覚えこませることも必要ではないかと思います。子供や孫がいやがることは一切しないという大人がふえ、それを愛情だと錯覚しているのが今の日本です。ロックフェラーのような大金持ちでも、子供には無駄なものは買い与えないし、「ほしければ自分で働いて買え」と躾けているそうです。これが本当の親の愛情だと私は思うのですが、今の日本では少数派でしょうね。

7 : 湖の騎士 : June 23, 2008 11:48 PM

悠々様 この時の情景を正確に記したものを次回に再現します。ご納得いただけると思います。上流下流といっても、「水を堰き止めた一定の区間内で」のことだったと思います。私は「なぜそんなことをするのか? と自治体の職員に電話したのですが、「子供たちが喜ぶから」との答えであり、「他の自治体でも同じことをしている」と言われました。子供もさることながら、自治体がそういうサービスをすることを、半ば強制している親たちがいるようでした。私の危惧は「魚がうじゃうじゃいるのが当たり前」という「仮想現実」の中で育ってしまうと、人は「本当の現実の過酷さ」に耐えられなくなるということです。ちょっとでも辛い目に合うと、すぐに切れてしまうのは「辛いこともあるのが人生だ」という、当り前のことを肌身にしみて体験していないからだと思います。やたらに根性を強調するのは嫌いですが、「もう少しまともに」というのが願いです。海に同行された悠々さんのご友人もその息子さんも、よくある「勘違い人間」の部類だと思います。こういう人がふえてくると、まともな人が息をするのが苦しい社会になってしまいますね。

8 : 悠々 : June 24, 2008 12:12 AM

川の仕切った中へ魚を放すのなら納得です。渓流の釣り堀でも同じ事をしています。
人には耐える、我慢する、と言うことを覚えなければなりません。それをさせるのは幼少時の躾です。今の親はそれを放棄しているというか、出来ないから、学校教育にそれを求めたりして、教師を追いつめていると言うこともあるようです。
又躾といじめの区別が出来ない親が居て子供を虐待死させたりと言うこともあります。
何でこんな事になってきたのでしょうね?嫌な世の中です。

9 : 湖の騎士 : June 24, 2008 09:13 AM

FUMIHITO様 またとない貴重な体験をされましたね。「手伝ってもらって当たり前」と思う女性が多い気がします。男子の部下なら一喝できるものが、女性の部下にはそれができない。叱られると泣き出す馬鹿もいます。おそらく幼児のころから、自己中心で育ってきているのでしょう。そういう状況でも、「甘やかした自分が悪い」と反省するところが立派です。ご苦労が多いでしょうががんばってください。

10 : 湖の騎士 : June 24, 2008 09:22 AM

悠々様 給食費を払わなかったり、なんでもかでも教師に要求して自分の子供が悪いのはすべて学校や教師のせいにする馬鹿親が増殖中です。ブラックバスやカミツキガメが猛烈な勢いで増殖し、生態系を壊しているということがよくテレビで取り上げられていますが、馬鹿親もきわめて有害です。困るのは外見が普通の人と同じということです。もっと見るからに獰猛で凶悪な顔をしていてくれれば、それなりに周囲も注意を払うのでしょうがーー。ふつうの外見に潜む危険な病に警戒を怠れません。

11 : alien : June 26, 2008 11:27 PM

湖の騎士様 こんばんは。イタリアの大聖堂に落書きをした大学生のニュースを聞いて愕然としました。裏返せば、「愕然」とするほど若者を信じていたということでしょう。私は、学校の先生ではありませんので一般的な若者に大量に接する機会はありません。周囲を見ていると「生まれた時はすでに不景気で日本の良い時は知らない」という青年や、親の会社が不景気で進学を諦めた人、「今の時代、仕事があるだけでもありがたいと思え」という経営者の横暴のために過酷に働く人達、実力主義という欺瞞で会社の気分次第でクビになり続ける人達ばかりで、若い人も「毎日魚は取れない」ことはすでによく知っていると思いました。ワーキングプアに陥ってゆく悪循環の仕組みもよく分かります。ひずんだ社会に黙々と適応しなければならいことを「怖い」と感じて足がすくむ若者の方が「まとも」なのに、そんな人達をテレビのコメンテーターが「甘い」と切り捨てるのを辛く思っていました。大聖堂に落書きをするのほほ~ん組みはショックでした。おばかさんにしろ、まだ、平和でゆとりがあるのだなぁと隔世の感がしました。これはニュースになるほど極端な例としても、一般的にも若い人達はこんな感じが大勢ですか?

12 : 湖の騎士 : June 27, 2008 09:58 AM

alien様 むずかしいご質問です。若者といってもさまざまであり、挫折の仕方も現状認識もさまざまです。ただ、「そういう認識では絶対に就職などうまくいかない」と思う事例にはいくつか遭遇しました。「なに、就職ぐらい、履歴書を書いて面接用のスーツを買えば一発だよ」と言ったことを平気で口にする若者がいました。親に甘やかされて育ったことを自慢げにいう者もいました。彼の就職はうまくいきませんでした。教師が少しでも辛いタスクを要求すると「そんなことはできない。親にもいわれたことがない」といって逃げるのです。親が子を溺愛するというのは教養のない証拠であり、溺愛されたということを口にするのは恥だという感覚がないのです。この場合も就職は成功しませんでした。そうした事例を総合的に判断した結果が今回の文章にも反映しています。常識を身につけ、なすべきことをきちんと行った上で就職して、なお会社に理不尽に痛めつけられているという若者には、心から同情し、不当なる会社や社会に怒りを感じますが、問題を起こす若者は「物事を深く考える能力がない」場合が多いのです。具体例はまだまだありますが、それを語ると支障が出てきます。内容を薄め、第三者から「聞いた」という形で発表するのが最適と思っています。それから「先行きに希望が持てない失業中の若者」に70年代のイギリスで出会った時の感動をいつか書いてみたいと思います。彼は一日中、白い壁の中で暮らしていましたが、けっして社会を恨むことなく、じっと孤独に耐えていました。その強さがどこからくるのか? インタビューした日のことを思い出します。好況に沸く日本と比べ当時のイギリスは本当に絶望的なくらい落ち込んでいたのですがーー。

13 : alien : June 27, 2008 04:58 PM

湖の騎士様 「一日中白い壁の中で」という視点でお書きになるエッセイを楽しみにしています。実は、くしくも私が日本の若い人達の先行きを心配する象徴的な場面とは「壁」のことなのです。私が、社会を見る時には、どうしてもイギリスとの比較になります。私が言う「壁」とは日本の1ルームマンションのことです。土地の経済効率をいっぱいいっぱいに上げるために狭い容積にできるだけ沢山部屋を詰め込んだような1ルームマンションは亡国の独房です。小さなキッチンも自炊を前提に設計していませんから食事はコンビニのお弁当です。以前、ホリエモンが収監された独居房をテレビで映していましたが、私の目には1ルームマンションと大した違いはありませんでした。その上、会社では2,3日続けて休むにも随分勇気がいることでしょう。イギリスでは、大抵、数人でフラットや一戸建てをシェアして、十分なスペースと人との繋がり、時には庭さえ確保します。人づきあいも磨かれてゆきます。そして年に4~6週間の休暇を2~3回に分けて全て消化するのが当たり前で時間的な圧迫感も全くありません。
イギリス人が心身の健康を保つために必要な「ゆとり」は、同じ人間として日本人にも絶対に必要なはずです。日本人が最低限のゆとりも無く暮しているのは、ただ単に、その存在を知らないだけなのです。狭い壁に囲まれて日本の若い人達の心が壊れてゆくのが気が気ではありません。そのことがいつも頭にあるので、私は若い人達にとても同情的なのです。

14 : 湖の騎士 : June 27, 2008 11:33 PM

alien様 若者のことを本当に心配し、やさしい眼差しを向けておられるのはすばらしいことです。私は自ら努力せずに運命に背を向けられている若者を数多く見てきたので、どうしても見方は厳しくなります。そして「こういう見方もまた偏っているのかも知れない」と思うこともあります。人間性を否定するような白い壁の中で暮らす若者への同情を語っておられますが、このことについては改めて書かせていただきます。私がロンドンで出会った若者は、本当に孤独な生活をしていました。