View of the World - Masuhiko Hirobuchi

July 05, 2008

壁の中の青年(2) 「それはフェアではない」という言葉 -

一日中白い壁を見つめながら孤独に耐えている青年に向かって、私は聞きました。「政府と労働組合(炭鉱労働組合が主)は、ずいぶん長いあいだ対決を続けている。これを不毛な対決と見る見方も多い。両者ともあまりにも柔軟性を欠いており、頑なすぎるように見える。ために経済は疲弊し、そのしわ寄せが若年労働者に及んでいる。あなたもその被害者の一人だと思う。この長期にわたる政府と炭鉱労組との対決をどう思うか?」と。すると青年は答えました。「政府は国民が選んだ政府だ。信念に基づいて正しいと思う政策を実行する自由がある。同じように労働組合も、自分たちが正しいと思うことを法律に許された範囲内でやっている。今ここで僕がいずれかを非難し、それが民衆の声として日本のメディアで放送され、それがまた東京発として我が国に打ち返されてくると、政府・労組ともに何らかの影響を受けるかもしれない。その結果、みずからの信念を曲げて変な妥協に走るかもしれない。僕が苦しいからといって外国のメディアに向けて発言することは、彼らの自由を奪うことになりかねない。それはフェアではない」。
 この言葉は私には大きな驚きでした。もう何か月も失業しており、政府に対しても労組に対しても恨みつらみは山ほど溜まっているはずです。言いたいことはいっぱいあるに違いないのです。しかし苦しさのあまり、議院内閣制に基づいた正統な政府の足を引っ張ったり、労働組合の闘争の自由を奪うような発言をすることは「フェアではない」と言い切ったのです。彼は大学教育を受けておらず、いわゆるブルーカラーに属する人で、少年時代からあまり恵まれた人生を送ってこなかったことは明らかでした。このストライキのために最も大きな被害を受けている一人であることは間違いありません。しかし、「自分が外国のメディアに対して物を言い、その結果がこちらにはね返ってきて、そのために両者いずれかの方針が変わるようなことがあれば、自分は彼らの選択の自由を奪ったことになる。それはけっしてフェアではない」というのです。「何とまた民主主義のお手本のような、格好いいことを言っているのだ。あまりに偽善的で嫌味ではないか」と思われるかも知れません。しかし彼はけっしてそんなキザな、いい格好しいの青年ではありませんでした。訥々と、それこそ腹の底から絞り出すような声で、苦しみながらこれだけのことを語り了えたのです。
外国のテレビカメラに向かって、日本のあることないことを悪しざまに語る日本人がいっぱいおり、しかも議会で決着をつけるべきことを、場外でしゃべりまくる政治家や「有識者」が多い日本の状況を考えた場合、この青年の見識というのはひときわ光ってみえました。そして思ったのは、「これは彼ひとりの考えではないはずだ。こういうことを語らせる精神的土壌がこの国にはあり、とりわけ初等教育の現場でこういうことを教えこまれているのだろう」ということでした。さらに彼は「自分はこの状況には耐えられる I can tolerate this situation.」と言いました。経済的にも精神的にもそんな余裕が生まれるような状況ではないことが、一目瞭然でしたが、彼は日本人にはずいぶん古い言葉に響く 「耐える」という言葉を使いました。「自分はなんとかこの苦しみに耐えられる。弱音を吐いて外国のメディアに政府と労組の非を訴えることはフェアではない」というわけです。そういえばこの国の人はよく「耐える tolerate」という言葉を使います。自分たちは「耐えることができる国民だということを、誇らしげに語るのを今でもしばしば耳にします。
さてこの国とはどこでしょうか? 「フラット」とか「フェア」とか「トレレイト」といった言葉から推測されたことと思いますが、これはイギリスでの出来事です。ずいぶん昔の、1970年代のオイルショックのころの話ですが、今でも考えさせられることの多い体験でした。後日談を付け加えますと、国民もメディアもいつまでも時の政府や労組に対して黙っていたわけではありません。世論は内閣の失政を問う方向に動いていきました。下院が解散され総選挙が行われました。与党は多数派工作をすれば政権の座に留まることが可能でしたが、「憲政の常道に従って」野党第一党に政権を譲って退陣しました。過半数を取れなかった党が、多数派工作までして政権を維持するのはフェアではないという考えが広く各層に浸透している証拠だったと思います。

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COMMENTS

1 : 職人希望 : July 6, 2008 07:23 AM

おはようございます。大変勇気が出るお話でした。
孤に耐えながらも、心の赴くままに行動することがやはり大切なんですね。きっと辛くとも、それが本当の幸せなのでしょうね。
私自身も満点はとれずとも、恥ずかしくない程度には信念をもって行動したいと思います。

2 : 職人希望 : July 6, 2008 07:30 AM

追申です。
あまりご無理をなさらにように、長く書き続けてください。

3 : 湖の騎士 : July 6, 2008 08:53 AM

職人希望様 コメントありがとうございます。この話はテレビ・ニュースではもちろん伝えましたが、まだ活字では発表していないものです。イギリス人の「フェア」好きというのは生活のあらゆる面に及んでいて、「フェアでない」といわれるのが最大の恥になります。体の大きな子が小さな子と喧嘩すれば勝つにきまっています。そんなことをする奴は「フェアでない」とされ、仲間から軽蔑されます。もしこういう観念が日本にも普及すれば、「いじめ」などはなくなるはずです。このコラムで元気を得られたとのことで喜んでいます。書いた甲斐がありました。私の健康にまで気を使っていただき、感謝しています。

4 : 悠々 : July 6, 2008 05:59 PM

続きを早く拝見したい等と申し上げながら、内容が大きすぎて私にはコメントを書く勇気が出ないでウジウジしていました。
この青年を頑固者とか頑迷な考えの持ち主と切り捨てることも出来るでしょうが、その一徹さは尊い物だと思います。
国は違いますがハイジのおじいさんのような人物は欧州を旅していると度々出会うことが出来ます。ほんの少しの接触時間しかない旅行者に対してもキチンとした態度で対応してくれるのは国民性なのかも知れません。
先生のお話の、「付け加えられた後日談」のように潔いフェアな政権運営が出来る政党とその国は素晴らしいです。
何処かの国の総理大臣が第二院で野党が多数となり重要法案を否決したときに「あなた方のやり方は多数の横暴という物ですよ」と、天に唾するような発言をしていました。多数派の横暴ぶりは自分たちがさんざんやってきた事なのにそれを忘れたかのような、あっけらかんとした表情で宣われたのには開いた口が塞がりませんでした。
第二院で野党が多数を取った時点で第一院を解散し国民に信を問うと言うのがフェアなやり方という物です。
先生の長文の「壁の中の青年(2)」末尾の後日談に絞ったコメントしか出来ず申し訳ありません。

5 : 湖の騎士 : July 6, 2008 10:33 PM

悠々様 この記事はコメントしにくい記事だったと思います。でも勇気を出してコメントして下さり、本当にありがとうございました。イギリス人の「フェア好き」は、時に「まさか?」と思うこともあります。何世紀ものあいだ、はたして植民地の民衆にフェアに対してきたのかと疑問に思うこともあります。しかし同じ原則が通じ合う人間同士の間では、「あいつはフェアじゃない」といわれることは致命的です。学校でも世間でもいかに「フェア」な人間を作るかに力を注いでいます。我が国の総理の場合は、とにかく「基本的な教養が欠落している」ために、先進各国の首脳からも「同じ原則が通じ合う相手」と看做されない可能性があります。国会での発言などは情けないかぎりです。

6 : alien : July 7, 2008 08:56 AM

湖の騎士様 読んでいて胸が熱くなりました。自分の境遇や感情を乗り越えてでも人々のあるべき自由や権利、意志を尊重するという原則が浸透していると思いました。この原則は双方向に機能しミックの自由や権利、意志も同様に周囲から尊重される社会だと思います。このエピソードの場合も与党は世論の選択を尊重して潔く退陣したことでミックの思いを裏切らなかった。やはり、自由の尊重が行き渡っている社会だからこそ相互に成り立つtolerateであり強さだと思います。彼の地で私が最初に、そしてその後たびたび度肝を抜かれたのも彼らのこの強靭さでした。彼らだって人間ですから生木を裂くような苦悩と葛藤した末に、それでもThis is how things should beと言って感情を乗り越えて、自分の意志を大切にするのと同じ気持ちで、自分以外の人の自由や権利を全力で尊重するのです。家庭では、その苦悩に満ちた葛藤から強靭な結論にいたるまでの過程を子供たちが見ています。イギリスの悪行も知っていますが、やはり成熟した凄い国だなぁと思います。国の威信って、数千億円、数兆円の支援金をばら撒くことではなく、普通の人々の生き様の断片から伺い知れるものですね。ミックの国際関係をも視野に入れた見識は本当に立派でした。感動しました。彼が、今、どこかで幸せに暮らしていますように。

7 : 湖の騎士 : July 7, 2008 03:07 PM

alien様 イギリスの事情をよくご存知の貴方様にはこの青年が目に浮かぶことと思います。私はまったくの偶然で彼にめぐり合ったのですが、彼はけっして無理をしていませんでした。「地」のままでした。この話に感動を覚えてくださって、書いた甲斐がありました。ありがとうございます。ところで、記事中に出てくる「ミック」というのは、この青年ではありません。炭鉱労働者組合の過激な書記長(あるいは委員長=調べなおす必要があります)で、社会主義にかぶれ、ソ連の意を受けてイギリスを共産化するという時代錯誤の野望を持っていたため、「赤いミック」の綽名で呼ばれていたものです。壁の中の青年はミックのような過激さはもちろん持ちあわさず、我慢強いイギリスの美徳を備えていました。その後サッチャー政権により見違えるほど活気を取り戻したイギリスで、よい仕事を得て幸せに暮らしていることを、私も心から祈っています。

8 : alien : July 7, 2008 11:26 PM

湖の騎士様 ミックのこと、混同してしまってすみませんでした。私は一度だけ出会った「ミック」のことも思い出し、その人の幸せも一緒に願っているうちに白い壁の青年と混同してしまいました。ミックは当時30代ぐらいで素晴らしいテーブルを作る大工さんでしたが、かつて麻薬に溺れ、麻薬代欲しさにライフルを持って仲間と銀行を襲撃して捕まったそうです。私は同僚の家で素晴らしいテーブルを見て同じのが欲しくなりミックを紹介してもらいました。作業場兼住まいの彼のフラットを訪ねると、やはりカウンシルハウスの無機質な白い壁の一室でした。家具も無かったと思います。結局、私はテーブルの形が思っていたイメージと違って購入しませんでしたが、ミックは嫌な顔をせず、近くの食堂で夕食をご馳走してくれました。今でも懐かしく思うぐらい楽しく話がはずみました。銀行強盗なんて想像もできないほど穏やかで、いい人でした。あの時、テーブルの形など気にせず買えばよかったと思うと今でも少し胸が痛みます。彼は、現金収入が必要だったんだと思うから。内心、彼はどんなにがっかりしていたでしょう。あの時の私にはわからなかった。今、ミックが、どこかで幸せに暮らしていますように。白い壁の青年達がみんな幸せになっていますように。

9 : 千里 : July 8, 2008 02:26 AM

壁の中の青年が恨みつらみを言わず自暴自棄にならなかったのは、国を信頼していたからでしょう。あるいは確固たる信念を持っていたからかも知れません。「フェア」に関しては私も常々考えさせられることがあるので、自分のブログに書いてみました。それを廣淵様へのコメントとさせていただきます。

10 : 湖の騎士 : July 8, 2008 11:48 AM

alien様 ミックという大工さんの青年が麻薬ほしさにライフルを持って銀行を襲ったという話は痛ましいです。彼が作ったテーブルを買わなかったことで心が痛んだというところに、表面的な外国観察者(傍観者)には語れない真実が滲み出ています。そして「白い壁の青年達がみんな幸せになっていますように」という最後のお言葉に感動しました。この記事を書いて本当によかったです。

11 : 湖の騎士 : July 8, 2008 11:59 AM

千里様 「フェア」についてのご考察を貴ブログで拝読しました。私のブログ・アドレスまでご紹介下さり、ありがとうございます。「フェア」という言葉は、ドイツ語にもフランス語にも、スペイン語、イタリア語にも、もちろんロシア語にもないそうで、英語にしかない言葉だそうです。ということは、フェアという観念なり理念は英語でしか表現できないものです。これを「公平」とか「公正」とか訳すと原意からかけ離れることが多いですが、日本人は「フェア」の本当の意味をよく理解している民族だと思います。