View of the World - Masuhiko Hirobuchi

July 28, 2008

ケネディが訴えた「自由」への思い -

前回の「ニュースの中の意見の可否」を書いたとき、私はケネディ大統領のことはまったく考えていませんでした。ところがYSKさんのご意見に触発されて、ケネディの心境になっていきました。1961年の就任演説で彼は、(我が同胞たるアメリカ人諸君、)国家が諸君のために何をなしうるかを問い給うな。諸君が国家のために何をなしうるかを問い給え」と呼びかけました。それに続けて彼は言いました。「(我が同胞たる世界の市民諸君、)アメリカが諸君のために何をなすであろうかを問い給うな。そうではなくて、我らが共に手を携えて、人間の自由のために何をなしうるかを問おうではないか」(And so, my fellow citizens of the world,.Ask not what Amerca will do for you. Ask what together we can do for the freedom of the man.)と言いました。このアメリカ国民に呼びかけた前半部分は非常に有名ですが、世界中の(とくにアメリカの援助を待ち望んでいる)市民に向かって「アメリカが諸君のために何をするかを問うのではなく、人間の自由のために我らが共に何をなしうるかを問おうではないか」という呼びかけはまさに恰好いいきわみでした。若さゆえの気負いもあったでしょうが、理想主義の色が濃くにじんだ名演説でした。とくに「人間の自由のために」という呼びかけが意味するものは大きかった。そのころもちろん当面の敵であるソ連には自由はなく、中国もそうであり、東欧諸国にも北朝鮮にも自由はありませんでした。チベットにはもちろん自由はなかったのです。
この演説から1年半近くが経って、彼は西ベルリンを訪れました。悪名高く人権弾圧のシンボルとされたベルリンの壁が築かれてから1年後のことです。実質ソ連が管理する東ドイツの中にあるベルリンは、ソ連側の東ベルリンと米英仏が管理する西ベルリンに分割されていました。東ベルリンには自由がなく、人々は陰鬱な表情を浮かべて日々を送っていました。自由な西へ逃亡しようとして壁をよじ登り、背後から同胞である東ドイツ兵に銃撃されて死ぬ人々が後を断ちませんでした。西ベルリンの壁の傍には、粗末な十字架が立てられ、死者の名と没した年月日が記されていました。彼らを悼み新しい花が毎日手向けられていました。その西ベルリンの壁の傍で、ケネディはまた何万人という聴衆に向かって歴史に残る演説をしました。「自由な人々は世界のどこに住もうともすべてベルリン人である。ゆえに私は誇りをこめていう。私もまたベルリン人なのだ、と。All free people, wherever they live, are Berliners. Therefore,
I say with pride that Ich bin ein Berliner. とくにこの「私もまたベルリン人なのだ」というところを 「イッヒ・ビン・アイン・ベルリナー」とドイツ語で言ったのが利きました。この演説のインパクトがどれほどのものであったかを理解するためには、自由というものがどれほど人間にとってかけがえのないものであるかを理解していなければなりません。戦後恵まれすぎてきた日本人は、自由のない生活がどれほど耐えがたいものかを想像することもできていないのが実情です。言論の自由により、政府当局を自由に批判したり、役人の汚職を自由に報じたりする自由となると、「そんなの自分には関係ない」と思う人もいるでしょう。しかし、居酒屋で友人と一杯やって上司や会社の悪口を言い、政府の無能ぶりを口にした場合に、秘密警察の目が光っていて壁には盗聴器が仕掛けられているという生活を考えてみてください。まさに息がつまるでしょう。政府の批判をした者は間違いなく逮捕されて、国中にある強制収容所に送りこまれるのです。本音を言える友人というものは存在しません。友人はいつ当局への密告者となるかもしれないのですからーー。もっと分かりやすいのは「移動の自由」がなかったことです。モスクワからレニングラードへ行きたいと思っても、政府に申請書を出してそれが認められてから初めて移動が可能だったのです。
そういう状況の中でのケネディの演説は強烈なインパクトを持っていました。アメリカおよび西側はけっして諸君を見捨てないということを、西ベルリンの市民に約束し同時に東に住む人々にも「現状に耐えてくれ。自由な日はやがて来る」ということを訴えたのです。

2008年3月、チベットで自由を求める暴動が起きました。中国当局は武力でこれを弾圧しました。いまチベットの人々がどれほど自由を求めてうめき苦しんでいるかを、具体的に思い浮かべることができる人が世界にどのくらいいるでしょうか? 彼らに向かって「私もまたチベット人なのだ」と言ってくれる指導者はいません。ブッシュとケネディの器の違いもあるでしょう。核兵器もミサイルも十分に備え多数の潜水艦を持ち、経済の好調によりアメリカ国債を大量に保有している大国に向かって、チベット人への弾圧をやめよとは言えないのだろうと思いますが、せめて地球上でもっとも自由がない国の独裁者にもっと厳しくすることはできるはずです。アメリカはもはや世界の人々に向かって民主主義と自由の大切さを説教する資格はないと思います。凡庸な指導者が世界の超大国に君臨しているのは、まさに全人類の悲劇です。

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COMMENTS

1 : 職人希望 : July 29, 2008 07:13 AM

おはようございます。
朝一番から、情熱のあるセリフの紹介で勇気づけられるとともに、自由のない世界の悲惨さを具体的に想起させられる内容で、心の整理ができないままコメントを書いています。
戦後恵まれすぎたがために、ヒーローの出現が滞っていたのかしら、これからなのかな、とまた楽観したい気分です。
他力本願ではいけませんね。小さなヒーローを目指して、コツコツとやっていくしかなさそうです。

2 : 湖の騎士 : July 29, 2008 09:37 AM

職人希望様 自由のない世界がどんなに悲惨かを日本人はもっと考えてほしいものです。昨夜(28日夜)テレビ朝日の「報道ステーション」で、チベットの取材を放送していました。カメラの行く先々で中国当局の監視員が見張っていました。僧侶の姿は見えず、ラサの街中には隠しカメラが民衆の行動を逐一捉えていました。古館キャスターは「(取材活動が監視されている)異例の取材」と言っていましたが、中国では監視員がついているのが取材の常態なのだということが分かっていないコメントでした。それはともかく、この記事で元気を得ていただけたとしたら、本当に嬉しいです。

3 : 悠々 : July 30, 2008 10:46 PM

ケネディーの演説草稿は格調高く、名文で心打つものがあります。日本でこれに匹敵するものは日本国憲法の前文くらいでしょうか。日本の政治家の演説で教科書に載るような心打たれる名文を私は読んだ事も聴いた事もありません。
第二次大戦後のアメリカ主導による民主化で、日本には言論の自由があり、居住・移動の自由もあります。職業選択の自由も有るはずですが、これは最近怪しくなってきています。
いずれにせよ、現代の日本人には中国、ミャンマーその他自由を剥奪された国民の暮らしを想像する事も困難なぬるま湯に浸かり切っていますが、自由というものは与えられるものではなく、戦い取るものだという事を忘れてはなりません。
洞爺湖サミットの議長さんが「サミットは成功だったんではないですか。」なんて嘯いておいででしたが、アメリカ大統領に輪を掛けて凡庸な指導者を何時までも戴いている訳にはいきません。日本国民は無能ではないと言う事を知らしめねばなりません。

4 : 湖の騎士 : July 31, 2008 10:21 AM

悠々様 「言葉の力」がどれほど国民に勇気と希望を与え、世界の支持を得るかは驚くべきものがあります。古くはウィンストン・チャーチル英首相がそうでした。政治家を目指す者はもちろん、官僚ももっと「言葉力」を磨くべきです。そうした力は、歴史書と文学作品を読むことによって養われます。ところが日本では一般教養を軽んじ、超目先の「専門知識」「資格取得」のみを目的とする教育が推進されています。各大学はもちろん文部科学省の責任は重大です。

5 : YSK : July 31, 2008 06:58 PM

1979年、若かりし私は初めての海外への仕事で南米ペルーに参りました。当時のペルーは政情もとくに不安定ではなく、良好な対日感情で撮影の仕事も順調にすすみ、楽しい数週間をすごすことができました。現地でガイドをお願いした日系の方や、あちらの大学生などとも親しい関係を築くことができ、ペルーという国に対する友好的な感情をもって帰国致しました。

しかし、その後のセンデロ・ルミノソなどのゲリラ勢力や、至らぬ為政者による長期にわたる政情不安は心を痛めるばかりです。

我が国や世界がこの不安から解き放たれるために、私たちは立ち上がらなくてはならないと思っております。

6 : 湖の騎士 : July 31, 2008 08:49 PM

YSK様 初めての海外でのお仕事がペルーという経験を持つ方は少ないと思います。貴重なご経験でした。センドロ・ルミノサについては、大統領公邸が乗っ取られたとき、日本人はちょっとその存在を知っただけで、たちまち忘れてしまっていると思います。毛沢東思想に洗脳された、きわめて残忍凶暴な集団です。彼らが村長たちをいかに処刑したか、その恐るべき姿を書いているジャーナリストは高山正之氏くらいでしょう。週刊新潮の「変見自在」欄の2、3週間前にもこの集団のひどさが扱われていました。彼らをほぼせん滅したのが、アルベルト・フジモリでしたが、日本のメディアも政治家もフジモリのはたした大きな役割を理解していません。国は為政者次第で変わります。YSK様の果たされる役割に期待しています。

7 : にらいかない : August 1, 2008 12:09 AM

「言葉の持つ力」は果てしないと思います。
USや西欧のように理論的に伝えることも、日本のように
曖昧さをもって伝えることも、「口に出す」ということの
大切さと難しさを最近痛感しています。

ただ、どんなにご高齢でも、死の淵にいても、言葉を
投げかけると必ず相手には届いていると思うのです。

チャーチルから、昔大学で習った「テディベア」を
思い出しました。堅い政治家の印象と優しいクマの印象。

何度か前の「C'est la vie」のように、
ユーモアや茶目っけを持った政治家が
日本にも増えたらいいのにと感じます。

そして、私自身もそのC'est la vie の概念を忘れない
で生活したいと思います。

8 : 湖の騎士 : August 1, 2008 12:40 PM

にらいかない様 たしかに言葉の力というのは大きいです。人ひとりの運命をプラスにもマイナスにも変えかねません。できるだけプラスに働く言葉を身にまとって生きていきたいものです。テディ(セオドア)・ルーズベルトもチャーチルも、太っちょで人気があり、ともに印象的な言葉を残しました。ドゴール将軍もそうでした。日本では聖徳太子、後白河法皇、豊臣秀吉、徳川家康、西郷隆盛といったところでしょうか。現代政治家もがんばってほしいですね。