View of the World - Masuhiko Hirobuchi

November 21, 2008

「私にはその資格がない」という考え方 -

欧米で街の人にインタビューしようとしてマイクを向けた時に、しばしば出会う回答が「私にはその資格がありません」という言葉です。たとえばある経済問題についてうかがいたいというと、「私はそれについてコメントする資格がない(コメントするに値いしない)」と言って断る人がけっこう多いのです。「 I am not qualified to 」とこの人々は言います。 to のあとには 「comment on that.」が略されているのです。「私はその件についてコメントするだけの資格がありません。私のコメントはテレビで放送されるほどの価値あるものではございません」ということで、じつに奥床しく、昔ふうにいえば「分を知った」態度です。
ところが今の日本では、ろくなコメントもできなくとも、恐れを知らぬというか恥を知らぬというか、ほぼ誰でもなんらかのことをしゃべります。それが放送されて公衆の耳に届くことを恥ずかしいという感覚がないのです。これは街のおじさん、おばさんをはじめ、政治家にも学者にも言えることです。TVのディレクターもあまりに型にはまった凡庸なコメントならボツにすればよいものを、そのまま流しています。子供とて同じです。連休に遊園地に行った感想も懲りもせずに聞く記者がいます。答えはまず90パーセントが「楽しかった」です。それ以外のことを言えないのです。そんなものを毎年毎年放送する価値があるのでしょうか?
欧米のことをよく言い、日本のことを悪くいう気はありませんが、それこそ昔の日本人なら「私にはそれについて言及するだけの資格がございません」といって、インタビューを断っただろうと思えることしばしばです。この慎みぶかさが日本に戻ってくれば、日本の社会はもっと活気づくでしょう。国会のやりとりも、毎回同じような凡庸な言葉は影を潜めると思います。逆にいえば社会が活気づくためには、生きた新鮮な言葉が不可欠です。「それについて語る資格が自分にあるのだろうか?」と考える人々がふえてほしいものです。テレビ局側はもっと必死になって「オリジナリティのあるコメント」を探し求めてほしいものです。

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COMMENTS

1 : 悠々 : November 22, 2008 12:22 AM

私には答える資格がない、というのは良い答えですね。
出たがり屋さんが多いから知らない事まで喋るのはみっともないですからね。
先生のご記事にコメントするのは私はいつも躊躇っています。知識も見識も無いのに分かったようなコメントを書くのが恥ずかしいからです。でも無知で見当外れのコメントでも枯れ木も山の賑わいとやらで、後の賢いコメントが引き出せれば良いかな?なんて考えて投稿したりしているのです。
私のことを言われたような感じで赤面しています。
マスコミのインタビューは始めに答えありき、で、彼らが欲するような答えが出るような質問をすることが多いですね。
子供に「楽しかった?」と聞けば「うん、楽しかったよ!」と答えるに決まっています。もし「楽しくなかった。」という子が居たとしてもその場面はカットされるでしょう。
日本のマスコミにはうまい答えを引き出せるインタビュアーが居ませんね!

2 : 湖の騎士 : November 22, 2008 10:49 AM

悠々様 この記事を読んで「投稿を控えよう」という方が出てきては困ると思っていました。悠々様にもそんなプレッシャーをかけてしまったようで申し訳ありません。私が言いたかったことは、最近テレビでインタビューを受けた人の実に多くが、恥じらいとかためらいといったことを感じさせないしゃべり方をすることです。中年女性の中に少しはにかみながら、しかし毅然として話すという人はほとんどいません。私は理想を求めすぎているのかも知れませんが、「はにかみを持つ人」が、ヨーロッパなどではまだまだけっこういるということを言いたかったのです。悠々様のコメントはいつも貴重なもので大変感謝しつつ拝読しています。本当にありがたく思っています。

3 : 職人希望 : November 25, 2008 06:56 PM

いたずら心から「投稿を控えて」いました。
ちょっと前までは、一瞬とはいえ、テレビにでることは一大事だったと思います。テレビで素人の発言が取り上げられる時間も、ごくごく限られていたような。
へそ曲がり私としては、遊園地で「楽しくなかった」という子供のコメントを期待してしまいます。その横でお父さんがとても楽しそうにしていたら、もっと嬉しいですね。

4 : 湖の騎士 : November 26, 2008 10:15 AM

職人希望様 「いたずら心から『投稿を控えて』いた」というところに職人希望様のユーモアを感じます。テレビのあまりに下らない質問に気軽に答え、それが全国に出回るようになると日本の文化水準も世論の水準もどんどん低下していきます。子供が「楽しかった」というのは、それしか言えないほど表現力が乏しくなっているのと、もうひとつは「テレビが求める『よい子』」になろうとしての発言でしょう。そういうコメントを喜んで毎年毎年放送しているテレビ局は、完全に思考停止状態です。子供が「楽しかった」と答えても、「どういうところが?」と聞き返し、楽しさが目に見えるような具体性をもち、そして他の子とは全然ちがうような言葉が出てくるまで待つべきです。政治家の言葉も子供の言葉も貧しくなっている現状を変えるべく、テレビ局の皆さんがんばってください。