View of the World - Masuhiko Hirobuchi

August 11, 2009

オバマ語をパクった秋葉広島市長 -

8月6日、原爆忌の式典で秋葉忠利広島市長が演説しました。核廃絶への理想を語り、オバマ米大統領がプラハで表明した核のない世界への共感と支持を述べました。この趣旨そのものに反対する人は日本にはまずいないでしょう。問題はいかにして核保有国に廃棄を説得できるかです。これを考えると気が遠くなります。話が核になると、それが国の安全にとって必要なのだということを理性的に説得しようとする人の言論はすべて封殺され、天下の悪者にされてしまうのが常です。とくに8月にそんなことを口にするような愚か者(あるいは勇者)は稀です。ここで秋葉氏の理想について語るつもりはありません。ただ彼の演説の「軽さ」について一言述べたいと思います。彼はオバマ大統領の唱えた理想が今や多数派(マジョリティ)となりつつあるとして、オバマジョリティ(Obamajority)という造語を披露しました。オバマ大統領の理想は、まだまだ世界のマジョリティを占めるにいたっておらず、国際政治の場ではむしろ孤立しています。それを自分の理念に合うからといって簡単に「オバマジョリティ」などと言ってしまってよいのでしょうか。さらに演説の最後を秋葉氏は次のように締め括りました。Together we can abolish nuclear weapons. Yes, we can. この部分は日本語をまったく使わず英語だけでした。ご高齢の方の中には、戦時中英語を習うことも禁じられた方がたくさんおられます。戦後のやたらに氾濫する和製英語を理解するだけでも、この方々には大変な努力が要ったはずです。そこへこのいきなりの秋葉発言です。理解できるはずがありません。この部分を日本語で言えば「私たちは共に(力を合わせて)核兵器を廃絶することができます。そうです、我々にはできるのです」とでもなるでしょう。それをまず日本語で言うべきでした。その後に英語を用いるならまだ許せます。しかし彼はそれをしませんでした。得意な英語でカッコヨク締め括ったつもりでした。しかしこの締めはカッコよかったでしょうか? 「なんと軽薄な、オバマ語のパクリじゃないか!」と思った人は多かったと思います。大体、今はやりの言葉を借りてくるという着想自体が、ミーハー精神そのものです。心ある人々の間では、「こういうみっともないことをしてはいけない」というのが常識です。
さっそく、広島の友人に電話して現地のマスコミと市民の反応はどうかと聞いてみました。翌朝この人から電話があり「きわめて評判が悪い」という話でした。その具体例についてはここでは述べませんが、本人の発案にせよ、市役所の部下の進言によるものにせよ、こんなことを語ってとくとくとしている市長が、平和の旗手のような顔をしているのは許せない気がします。原爆で亡くなられた方々の霊を弔い、後遺症で今なお苦しんでおられる被爆者の心を思うならば、もっと重々しく熟慮を重ねた上での演説をすべきでした。

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COMMENTS

1 : alien : August 11, 2009 11:30 AM

湖の騎士様 わたしは、奇しくも8月9日の原爆記念日に胸が張り裂けそうな心の痛みを感じました。またしても長くなりますがお許しください。8月8日・9日の週末は東京を離れて長野の森の中のペンション村に滞在しました。奇しくも私が滞在したペンションの女性オーナーが広島の被爆者で、私ははじめて生の体験を伺う貴重な機会を得ました。彼女は当時、小学生でちょうど教室の教壇の後ろにあるバケツで雑巾をゆすごうとかがんだ瞬間の原爆投下だったため教壇が遮蔽物となって外見的には奇跡的に無傷でした。しかし、ガスを吸ったために2か月間は生死の境をさまよい、内臓機能的には生殖機能が破壊されるなど何度も手術をなさったそうです。クラスメイトは直接被爆し生き地獄と化したそうです。350人の生徒のうち50人しか生き残らなかったそうです。被爆した人間は、「鳥のからあげ」とそっくりだそうで、今でも鳥のから揚げを見ると被爆当時を思い出すそうです。さて、私が何に胸が張り裂けそうな痛みを感じたかというと、彼女が言った次の言葉です。
「当時の日本は今の北朝鮮とそっくり同じだったのだから、その暴挙を一刻も早く止めるために原爆を使ったアメリカは悪くない」 戦後教育のせいか、それともあの凄惨な体験に何らかの意味を見出さなければその不条理を生きることができなかったのか、私には知るすべもありませんが、人生を苦しみ抜いてきた被爆者ご本人から原爆を使用した張本人は悪くないという言葉を聞くのは、私にとって大変痛ましくつらいことでした。すると一緒に食卓を囲んでいた宿泊客の人たちが、「当時の日本は酷かったからね」といかに酷い国だったかあれこれと事例を挙げはじめました。私はそれを聴きながら湖の騎士様と同じように「先は遠い」と感じました。その事例でさえ、本当かどうかもっとよく事実を検証しなければならないと思いますし、何よりも私は原爆は「こちらも悪かったから、あちらばかり悪くない」というような相対悪ではないと思います。原爆を人類の上に使用するということは絶対にやってはいけない絶対悪だと私は思います。被爆者である女性オーナーもアメリカ大統領に原爆記念式典に参列して欲しいとおっしゃっていました。私も、オバマ氏が世界に向けて核の廃絶を訴えるなら、なぜ、この日に広島・長崎にいないのだ?!と強く感じます。本気ならば行動で示されるべきで、言葉など軽いものです。その軽い言葉を広島市長が犠牲者の前でとくとくと英語で引用したというのは、軽薄過ぎて強い怒りを覚えます。広島市長は中心となってアメリカ大統領招聘を働きかけ実現するべきだと思います。

2 : 湖の騎士 : August 12, 2009 12:15 AM

alien様 被爆者ご本人から直接このような言葉をお聞きになった衝撃というのはいかばかりだったかと思います。おっしゃるとおり原爆は「こちらも悪いのだから向こうが使うのもやむをえない」というような、相対的な悪ではありません。原爆はいかなる理由があろうとも人類に用いることは絶対に許されない悪です。宿泊客もペンションのオーナーも戦前の日本は「北朝鮮と同じで酷い国だった」と語っていたとうかがい、呆れかつ怒り心頭です。明治以来議会もあり、政党政治も行われ、世界のどの国にもまして国際条約を守り、義務教育は徹底していました。貧しい勤め人の家庭でも、親子そろって外食することもできました。ラジオでは東京六大学野球の「早慶戦」を題材にした漫才(エンタツ・アチャコ)が何度も放送され、廣沢虎造の清水次郎長伝が大衆の人気を得ていました。出身がいかに身分低く富が薄くとも、ひとたび最高学府を出た青年に対して世間はまったく差別をしませんでした。こんな国は世界のどこにもありません。(イギリスではたとえオックスフォードやケンブリッジを卒業しても、階層間の差別は「発音やアクセントの違いとして残り」日本のような平等性は望むべくもありません。)大正時代には白樺派の文学もさかんであり、絵画彫刻の水準も世界的なレベルに達していました。大戦直前の流行歌ひとつをとってみても、新婚の妻が空に浮くアドバルーンを見て夫のことをあれこれ心配する情景がユーモアたっぷりにほほえましく描かれていました。自由の雰囲気が国の隅々に行き渡り、子供たちが笑顔で暮らしていたのです。そういう日本が「北朝鮮と同じで酷い国」というのは、あまりにも物を知らなすぎます。人々にこういう洗脳をしてしまった教育の恐ろしさを思います。だれかが「戦前の日本は今の北朝鮮と同じで酷い国だった」といえば、中身を冷静に比較検証もせずに、そう信じてしまうというのは本当に恐ろしいことです。(明日もう一度この続きを書かせていただきます)

3 : niraikanai : August 12, 2009 10:32 AM

私は恥ずかしながら「オバマジョリティー」という造語を先日の広島市長の演説を聞いて初めて知りました。耳にしたとき、違和感と共に、何とも言えない恥ずかしさを感じました。湖の騎士様の述べられているとおり、その造語とあわせて英語で、しかもアメリカ現大統領の演説と同じ言葉で最後を括っていた、そのことにただ驚き呆れました。

今年、修学旅行以来約15年ぶりに広島の原爆資料館を訪れました。また、先月は沖縄のひめゆりの塔の資料館で生き残った方の声も聞きました。そうした歴史に触れたあとでは、今回の広島市長の演説は、あまりに軽々しいものに思えます。

確かに戦後に生まれた者、特に若い人々には太平洋戦争や沖縄線の悲惨さ、その当時の日本の愚かさは理解し難い部分もあります。しかし、資料館を見たり、祖父母の話を聞く限り「北朝鮮と同じように醜い国」だったとは感じません。明治時代から教育に力を入れ、沖縄にも大きな女学校があった日本。教育や文学や芸術などが一斉に開花した時期だったのではと、明治から戦前までを想像します。

alien様のコメントにもあるように行動を伴わなければ言葉は時としてとても軽い、無意味なものになってしまいます。それをオバマ大統領、広島市長も分かってほしいです。
そして、私自身も言葉を意味あるものとして大切にしたい、使っていきたいと思います。

4 : 湖の騎士 : August 12, 2009 01:32 PM

niraikanai様 秋葉市長の軽薄さに違和感と恥ずかしさを感じられたというお気持ちはよく分かります。この人は自分が英語に堪能であることを鼻にかけ、市役所の職員も困惑しているそうです。外国の要人が訪れても通役なしで対話するので、職員の中には理解できない人も多いと聞きます。かつての私の上司は、教養といい英仏語の能力といい、群を抜いた人でしたが、「外交の場ではかならず通訳を付けるのが常識だ。通訳をしている時間にこちらは次の言葉を考えていられるから」と私たちに教えてくれました。最近の英語使いは、得意になってあまり上品でもない英語を口にしますが、この方の爪の垢を飲ませたいです。さてalienさんのコメントをお読みになり、そこからまた発想を広げておられるのは本当にすばらしいことだと思います。今の北朝鮮と戦前の日本とは断じて似たようなものではありません。それを検証もなしに一緒にしてしまう神経の持ち主をどう説得すればよいのかを思うと暗澹とした気持ちになります。それから、オバマ大統領も本気で核の廃絶を願うのなら、広島、長崎に来るべきです。言葉だけなら、誰でも口にできます。行動を見守りたいです。

5 : 湖の騎士 : August 12, 2009 09:41 PM

alien様 米占領軍がいかに日本人の意識をコントロールするのに巧みであったか。そしてまたそんな洗脳作戦に乗っていかに多くの日本人が「こちらも悪かったのだから原爆を落としたアメリカを責められない」という、ナイーブきわまる信仰を持つにいたったかーー本当に恐ろしいことです。東京の下町を焼夷弾で焼き尽くし10万人を越す「非戦闘員」を虐殺したカーティス・ルメイは「もし戦争に負けていたら自分は間違いなく戦犯となり死刑は免れなかっただろう」と言っています。これが戦争というものの実体です。日本人は愚かにもこのルメイに後に勲章まで授けています。戦後の航空自衛隊の創設に貢献したという理由からだったと思います。戦前戦中の日本を何がなんでも貶める人々のほとんどは、このルメイ少将の存在すら知りません。戦後の平和主義者たちは「信仰」によって平和が保てると錯覚しています。それは戦時中「日本は神国だからいざとなれば神風が吹く」と信じ、「竹槍でB29爆撃機と戦える」と信じた人々の発想とほとんど同じです。理性で現実を見る誠実さを欠き、信仰と個人的な思い込みによって平和が保てるという幻想に陥っている人々は、理性による説得に耳を貸そうとしません。日本の平和にとって最も危険な人々です。

6 : 悠々 : August 12, 2009 11:21 PM

秋葉忠利広島市長の演説は聴きませんでしたが、世界に向けてアピールする演説の最後を英語で締めくくったのは戴けません。私が聞いていたとしても理解できませんでした。
政治家の演説は先ず聴衆に理解できる言葉で為すべきです。
市長の演説草稿を市長自身が書いたのか、部下の役人が書いたのか分かりませんが、役人が書いたにせよ、おそらく「ええかっこしい」の市長本人の意向が入っているものと思われます。
私も現役時代、首長の挨拶などの草稿を良く書かされたものですが、何代かの首長に仕えて私の草稿をそのまま読んでくれる人も居たし、突き返されて書き直したこともあります。あるいは黙って受け取っても、読む段になって内容が変わっていたこともあります。
草稿を誰が書こうとも、責任は読んだ人にあります。
広島市長にとってこの演説は最重要事項ですから、忙しくて目を通す閑がなかった、なんて言う言い訳も通りません。
「言葉は神なりき」です。いったん口から出た言葉には責任が伴います。心したいものです。

7 : alien : August 13, 2009 12:16 AM

湖の騎士様から時代背景も含めたご解説とご見解を伺いまして、私のもやもやとした最初の衝撃が整理され徐々に腑に落ちてきた感じがいたします。私には手に余る衝撃について詳しくご一緒にお考えくださいましたことに本当に感謝いたします。
被爆者の方々が、被爆した上に、更に思想の誘導によって「自分達(の国)が悪いのだから仕方がない」と思い込まされて正統な怒りさえ取り上げられたとしたら、それはあまりにもむごい二重の被災に思えます。60年余をかけて根づいた信仰は頑強で、どこから手をつけたらいいのか呆然となりますが、事実の検証が進み、いつか多数の人々が正しい認識へと導かれることを願います。ありがとうございました。
(本書き込みはお答へのお礼ですから、ご返信はお気づかいくださいませんようにお願いいたします)

8 : 湖の騎士 : August 13, 2009 08:51 AM

悠々様 自治体首長の演説草稿をお書きになった貴重なご経験からのコメントは本当に説得力があり迫力があります。ありがとうございます。秋葉市長のセンスのなさは、本人が気付いていないだけで、全国の人々はだいぶ分かってきたと思いますが肝心の広島市民がどこまで気付いているかです。「言葉は神なりき」という聖書の言葉を、秋葉氏にそのまま進呈したい思いです。