View of the World - Masuhiko Hirobuchi

September 13, 2009

ハンガリーの王冠とベルリンの壁(その5) -

ハンガリーがキリスト教の国になったのは、他のヨーロッパ諸国にくらべるとずいぶん遅く11世紀のことでした。ローマ帝国などにくらべると600年ほど後のことです。最初にキリスト教徒として洗礼を受けたのは、イストファン(ステファン)という王でした。この人は死後にローマ法王庁から「聖人」に列せられ、聖イストファンとして国民に尊崇されています。このイストファン王がかぶった王冠は、その後じつにさまざな遍歴を重ねました。外国に持ち出されたり、陰謀家の手に渡ったり、宮廷の女官の悪だくみにあって所在がわからなくなったりしました。しかし王冠はハンガリーの君主としての「正統性の証明」であり、これを冠っていない君主はハンガリーの正統な王とは認められませんでした。いわば「民族の魂」ともいうべきものでした。こういう話をすると、すぐ「そういえば日本にも三種の神器というのがあるからな」という人がいますが、私はそうした考えをとりません。外国の物や文化をなんでもかでも日本のそれと対比するというのは間違っていると思います。さて、20世紀になってハンガリーは共和国となりました。まさか大統領が王冠を冠るわけにはいきませんが、ハンガリーの首都には常にこの王冠がなければならなかったのです。だが王冠にとって過酷な運命が待っていました。それは第二次世界大戦におけるドイツの敗北が目前に迫ったときでした。ドイツと同盟し連合国側と戦っていたハンガリーの運命も風前の灯でした。東部戦線からはソ連赤軍が迫ってきました。王冠を守護する将校たちは気が気ではありませんでした。ソ連軍は西進する道々、各地で暴行略奪を働いているという噂が続々と伝わってきたからです。将校たちは王冠と付属する宝物一式を携えて、ひそかにブダ城を脱出しました。彼らはある時は銀行の地下金庫にこれを隠し、それでも安心できずに防空壕に隠し、さらに修道院にこれを隠ました。戦火がさらに身近に迫ったとき、彼らは意を決して、宝物一式をたずさえて国境を越えオーストリアに入りました。そして革の箱に宝物を入れ厳重に封をして地中深く埋めたのです。1945年7月、担当の少佐は西部戦線から進軍してきた米軍に捕らえられました。彼は自ら進んで宝物一式を埋めた場所を米軍に指し示しました。土中から掘り出された王冠と付属物一式は、燦然とした光を放っていました。少佐は、王冠が米軍の手に渡ればいつかは祖国に返還される望みがある。しかし一旦ソ連軍の手に渡れば、2度と返ってはこないだろうと思ったのです。その後王冠と付属物は、フランクフルトからバチカンを経てアメリカに運ばれ、大切に保管されていました。
このハンガリー民族の魂といえる宝を、本来の持ち主に返す決断をしたのが、カーター政権でした。しかし、この噂が伝わると猛烈な反対運動が巻き起こりました。反対の急先鋒は56年の動乱で、ソ連の支配下に入った祖国の前途に絶望してアメリカに亡命したハンガリー系の市民たちでした。「動乱の際に民族を裏切ったカダル政権への梃子入れになる王冠の返還をなぜ行うのか!」という抗議のデモがホワイトハウスの前で繰り広げられました。人々はあの時の恨みを忘れていなかったのです。
しかしカーター大統領は、さまざまな要素を子細に分析し、それでもなお王冠を返したほうがアメリカの国益にかなうと判断したのです。1978年1月、ハンガリーの人々が敬愛してやまぬイストファン王の王冠がブダペストに返ってきました。国中のマスコミに加えて、西ドイツのラジオ、テレビ、イギリスのBBC放送が、この返還式の模様を大きく伝えました。しかし日本でこれを伝えたのは、当時キャスターをしていた私ひとりだけのようです。ハンガリー国民の親米感情は一気に高まりました。そしてそれは同時に、親米感情だけではなく、親西側感情を大いにかきたてたのです。外交をあまりに情緒的に捉えるのは危険です。しかし時には理屈や理性を越えた要素も外交には必要であり有益だと思います。

歴史的大転換が可能になるためには、いくつもの要素が絡み合っています。「これがこうしてこうなった」と一言でいえるほど簡単なものではありません。いくつもの水脈が流れこんで大河になっていくようなものです。そうした他の水脈の中には、戦後まもなく起こったポーランドでの暴動、68年に「プラハの春」と呼ばれたチェコスロバキアの人々の自由への憧れが、ソ連軍の戦車によって圧しつぶされた悲劇が加わっていたことははっきりしています。この連載ではこの二つについてはあえて触れませんでした。それらについてはお詳しい読者が多いと思います。しかし、1989年の夏に起こった、オーストリアとの国境開放にいたるまでの大きなうねりの中に、王冠返還にともなう壮大なドラマが隠されていたことはを知る方は、日本ではほとんどおられないと思い、あえて取り上げた次第です。なお、ここでは言い尽くせない「フルストーリー」にご関心がおありの方には、「中央公論」1990年2月号に書いた拙文「ハンガリーに王冠が返ってきた日」をお送り申し上げます。以下のアドレスにお名前とお所をお知らせください。もちろんご住所もお名前も第三者にはいっさい洩らしません。
  hirobuchi@hkg.odn.ne.jp
 

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COMMENTS

1 : 悠々 : September 14, 2009 07:26 AM

大変興味深いお話です。何時も新しい私の知らないお話が伺えて楽しく拝読させて頂いています。
戦勝国が対戦国の貴重は財産を略奪すると言うことが未だに行われているというのは不条理なことですね。日本にも中国の貴重な文化財が多数現存していますが、正当に買ってきたものという理屈で返還されていないのも恥ずかしい事です。売買されたと言ってもおそらく二束三文で買い上げていたと思うからです。戦勝国が略奪品を戦利品と言う名前で返還しないというのは野蛮な習慣です。ナチがユダヤ人から接収した金品をドイツ政府は積極的に返還していますが、他国も見習って欲しいです。アメリカ政府(カーター政権)が遅ればせながらハンガリーに王冠を返還したというのは嬉しいお話でした。
「ハンガリーに王冠が返ってきた日」は是非拝読したいと思います。

2 : 湖の騎士 : September 14, 2009 10:26 AM

悠々様 戦争で奪った最大のものは「領土」です。北方領土もその一つです。アメリカは沖縄を返還しましたが、ソ連は北方領土にかぎらず一度手に入れたものは返しません。ナチがユダヤ人から奪ったものと、日本が中国人から買ったものとは全然別の話です。それを言い出せば、明治時代に大量に国外に流出した浮世絵や刀剣、根付けなどもすべて日本に返還せよということになってしまいます。いかに安く買い叩いたといっても、そのとき合意した売買には正当性があります。問題は大英博物館にあるロゼッタストーンや、ルーブルにある古代オリエントの城門などです。「ハンガリーに王冠が返ってきた日」は早速お送りします。

3 : Sako : September 15, 2009 10:00 PM

些末な出来事かもしれませんが、何故日本の返還式に対する報道が少なかったのでしょうか?


佐藤優さんが、最近は日本と諸外国との報道内容の違いが特に顕著だとの旨のことを書かれていた事を思い出しました。

勝手な推測ですが、マスコミの多くは、1978年のこの大きな流れを報道せずに、取るに足らない事を流していたのだろうと思います。

この事は非常に残念ですし、今も酒井法子さんの報道の裏で知るべきニュースが知らされていないと思うと公憤を感じます。

4 : 湖の騎士 : September 15, 2009 11:23 PM

Sako様 この王冠の返還がなぜ日本のメディアで大きく報じられなかったかについては、「感性の差」とでもいうしかないと思っています。こういうとちょっとえらそうに響きかねませんが、私と似たような感性の持ち主たちは当時報道現場にはおらず、管理職として書類にハンコを捺していた可能性があります。あるいは、「他社が伝えないから」という横並び意識が邪魔をしたのかも知れません。佐藤優さんならずとも、こうしたセンスの違いが日本の進路をゆがめている恐れは十分にあります。及ばずながら少しでも対外認識の溝を埋める努力を続けていきます。よろしくお願いいたします。

5 : Sako : September 16, 2009 12:07 AM

廣淵さんは、どの様にして、その様な感性を持ち得たのでしょうか?
環境要因等もあるとは思いますが、少なくとも何かコツの様なものがありましたらお教え下さい。

「些末な出来事かもしれませんが」は、「本筋とは逸れますが」と書くでした。失礼しました。

記事を御送り下さるということで、大変ありがとうございます。
メールの返信も下さり、とても嬉しいです。

6 : 湖の騎士 : September 16, 2009 11:57 AM

Sako様 外国のニュースは刻々とAP,UPI,AFP、ロイター、TASS、新華社などの通信社から大手のメディアに送られてきます。英仏語くらいは原文のままでも届きますが、その他は、日本の共同通信と時事通信が日本語に訳して送信してきます。共同と時事は国内のニュースも送信してきます。これらは「ティッカー・サービス」(今では「ワイヤーサービス」)と呼ばれています。その量は膨大なもので、この中から何を選ぶかはひとえに当日の「デスク」の判断によります。当然ですが、何が重要かを決めるデスクの判断力は毎回異なります(シフト制ですから)。しかしそこには各社ごとの「癖」とか「個性」「傾向」があります。さらに日本とアメリカ、韓国、中国のように「国による好み」というものも出てきます。こうした状況下で、周囲の空気に流されず、『これこそが重要だ』と決断しうるためには、「知識」「見識」「素直さ」「フェアさ」といったものが必要になってきます。真実とプロパガンダを見分ける能力も必要です。そして「謙虚さ」「傲慢にならないこと」も大切です。「感性の若々しさ」、「一つの事象を歴史的に捉える目」も非常に重要です。今、メディア人間の中には「傲り」の心が見られます。マスコミ人にはもっと「純情さ」が必要だと思います。これでお答えになっていると思いますがーー。

7 : 悠々 : September 16, 2009 01:38 PM

マスコミの感性という話に話題が移って来たので私も一言書かせて下さい。
昨日の夕方6時の某公共放送のニュースで、トップに来たのが酒井法子というタレントの追起訴の報道でした。二番目がイチローの連続9年200本安打でした。
テレビで最初に報道すると言うことは新聞で言えば一面のトップ記事と同じ扱いです。某局のディレクターがこの日第一に報道すべきニュースと判断したのでしょう。私はこの局の見識を疑います。こんな対応で国民から強制的に聴取料(視聴料)を徴収しようなんてとんでもない話です。国民全員をミーハーだと思っているのか、番組を作る方の知能がその程度なのか、いずれにしても嘆かわしいです。

8 : 湖の騎士 : September 16, 2009 10:24 PM

悠々様 貴重なコメントをありがとうございます。私も酒井法子がトップに来るというのはおかしいと思います。視聴者の関心のレベルがそんなものだとデスクが思っているとしたら、それは思い上がりです。こんなことばかりやっていたら、視聴者はいつのまにか「へーえ、そういうことが大事なんだ!」というふうに思い込まされてしまいます。局の責任は重大です。最近は視聴率狙いからか、彼女に関するニュースが多すぎます。各国のニュースと比べても、ミーハー度が高すぎますね。

9 : alien : September 17, 2009 02:14 PM

手に汗握る民族の攻防のお話を読みながら、ベルリンの壁崩壊という歴史的瞬間も歴史のうねりの中では「点」に過ぎず、実はその背後に何本もの細い支流が本流へと注ぎやがて海へ至るような複雑な背景や経緯があるのだということがよく分かりました。誰もが当たり前のようにとらえている事象も単なる単体の「点」としてではなく立体的にとらえなければならないのだという物の見方を力強くドラマティックな例を引いて具体的に教えていただきました。目から鱗が落ちるような非常に貴重な体験でした。ありがとうございました。学校で教える歴史の勉強も本来はこのように想像力、洞察力、判断力など「物の見方」を養う内容であって欲しいと思いますが、しかし、現実には教師自身が詰め込み学習世代なのですから幅広い見識をもって「物の見方」を教えるのはなかなか難しいことでしょう。NHKが酒井法ピーをトップニュースにしたのはこの上もなく嘆かわしい衝撃です。教育、マスコミのあり方、政治の荒廃、日本人の知的レベルの低下….これらも決して各々「点」としての問題ではなく、全てが合流し悪循環が渦巻く大問題ですね。湖の騎士様の一連のご記事からは怒涛のような濁流に抗う渾身のメッセージがひしひしと伝わってきました。拝読できまして幸運でした。中央公論1990年2月号は近くの図書館にあることを確認しましたので明日借りに行って読みたいと思います。濁流に抗うためにコピーして知人・友人に広げます。

10 : 湖の騎士 : September 17, 2009 06:32 PM

alien様 今回のシリーズも熱心にお読みいただき本当にありがとうございます。ハンガリーの王冠の話が、日本ではほとんど知られていないのが残念です。もしこの話が広く伝われば、日本人の外交感覚は数倍向上するでしょう。とりわけ政治家の皆さん、マスコミ人、教育者には読んでほしいです。「中央公論」をコピーしてご友人にお送りくださるというのは、まことに心強いことです。この記事の送付ご希望は、95歳の旧知の男性から21,2歳の未知の若者まで幅広い層におよび、勇気づけられています。ベルリンの壁崩壊に感激し、4日間で書き上げたものです。