View of the World - Masuhiko Hirobuchi

May 07, 2013

Increasing "DK Group" -

In the recent Japanese opinion polls, you may find a group saying "Should not be decided which is right".is increasing. For example, in the survey asking "Are you FOR the revising constitution (Kenpou) ?", some 44 % are saying "Yes". On the other hand, about 27% are replying"No". The remaining 29% say "Can't be decided which is right (Dochiratomo ienai). In such an important survey, one should make his decision clearer. "Can't decide which" people were used to be called "DK ( Don't Know) Group" and were much despised. Today, mass media changed the expression and started calling them "Can't Decide Which" group. I would like to call them "CDW Group". If the number of these indecisive people decreased, Japan would regain its energy and vitality. (Due to my computer's malfunction, I had to write this in English expecting your generous reaction).

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COMMENTS

1 : 悠々 : May 9, 2013 12:21 AM

日本語は書けなくても読むことはできるのでしょうか?
私の英語では通じない可能性がありますから日本語で書きます。
マスメディアの無作為抽出に拠る世論調査では、回答者が自分の言葉で答えるのではなく、おそらくいくつかの選択肢の中から答えを選ぶ方式であろうと考えます。
たとえば自分の子供のしつけに関する設問であったり、好きな食べ物のことであるならば、はっきりした答えが出てくると思います。
支持する政党であるとか,TPOのように前提条件がはっきりしない問題を聞かれても確たる答えはしにくいと思うのです。
回答者は仕方なくわからない、という選択肢を選ばざるを得ません。
今の政党の中に積極的に支持したい党や政策が見当たらなければ、
自bンの選びたい答えがないから、わからないとか、決められない、という答えにならざるを得ません。
これは回答者の責任ではなく設問の仕方が悪いか、党利党略にばかり夏を入れている政治家どもの責任です。
騎士様のおっしゃる「CWDグループ」を減少させたいのであれば、「答えられる設問」を考えるべきです。
それらの設問に対する答えから民衆の意向を導き出すような考えにするならば、わからないという答えは減少するでしょう。
回答可能な設問を積みかさねてそれらを分析し解析して統計手法を駆使すれば国民の意向はかなりつかめるはずです。
たとえば「安倍内閣を支持しますか?と聞かれても支持できる部分もあるけどとても容認できない部分もあるのですから二者選択はできませんからわからないという答えが返るのは当然です。それらの人は優柔不断なのではなく、よく考えた末に判らないと答えざるを得なかったのです。愚民であるどころか思慮深い人たちであると考えます。 世の中にはイエス・ノ―で分かられるほど単純ではないのですからアンケート調査の作成には社会学者、統計学の専門家、心理学者などを交えて答え易い設問を考えてほしいです。


2 : 湖の騎士 : May 9, 2013 11:00 AM

悠々様 コメントありがとうございます。突然パソコンの日本語機能が回復しました。「どちらといえない」という答えがふえているのは、質問の仕方にも問題があるというご指摘は貴重であり、そういう質問を作るマスコミの責任は重いと思います。それでもなお、「いくつかの事象を組み合わせて、総合的に判断した結果、私はこの問題に関してはこう考える」という結論を導き出す能力が日本人の間に年々劣化しているように思えてなりません。北朝鮮があれだけ「核ミサイルでアメリカ本土や日本、グアムを攻撃する」と恫喝しても、「自分たちの生活は今までどおりに続いていく」と思っている日本人が大半だと思えてなりません。政党の党首たちの発言にも危機感は感じられません。ましてやイランが核を持ち、イスラエルがイランを攻撃すれば中東がどのような混乱に陥るか、日本への原油は無事に届くのか。猪瀬知事のイスラム諸国を侮蔑した発言により、日本がテロの標的にされる可能性はないのか、などと考える人はごくわずかです。こうした懸念を総合的に考えれば、「この質問に対する私の答えはこうだ」という結論が出てくるはずではないか、と私は思います。「どちらともいえない」という答えは「決断から逃げている」か「決断することができない」ためではないでしょうか。もっと小さな問題でも人間は毎日毎日何らかの「選択」をし、「決断」をしているのです。憲法のような大問題については、自分の考えがとっくに決まっていてもよいのではないでしょうか?

3 : tomo : May 15, 2013 02:17 AM

選挙でも白票に投じる人たちが大勢います。
選ぶ人がいない・わからないという以外に「抗議の意味を込めてあえて白票に投じてやった!」という人たちもいますが、それで政治を変えられるのか疑問です。単に決断から逃げているとしか思えません。


先生の仰るように「CDWグループ」が減れば日本はもっと活気が出てくる、という意見に私も賛成です。


いま私が読んでいる『選択の科学』(コロンビア大学ビジネススクール教授シーナ・アイエンガー著/文藝春秋)の中に、

「選択をするということは、すなわち将来と向き合うことだ。一時間後、一年後、あるいはもっと先の世界をかい間見て、目にしたものをもとに判断を下す。」

と書かれていました。

憲法96条改正も「今後の日本の未来に大きく関わる問題」という意識を持って真摯に向き合えば「どちらでもない」という回答はもっと減るはずです。
私も今後はニュースを漫然と見るのではなく「自分の意見はどうだ」と考える癖をつけるようにします。

話は少し変わりますがこの本の中に著者の行った「選択」についての気になる調査がありました。

紙のおもて面に、人生の中で自分で決めたいことを、うら面は自分で決めたくない、またはだれかに決めてほしい事柄をすべてリストアップします。
(以下引用)
「アメリカ人と日本人の計一〇〇人の大学生を対象に、この調査を行った。アメリカ人の回答用紙のおもて面は、「仕事」、「住む場所」「だれに投票するか」といった項目で埋め尽くされていることが多かった。実際、リストが長くなりすぎて、余白にまで回答がはみ出しているものが多かった。反対にうら面は、判で押したようにまったくの白紙か、項目が一つ書かれているだけだった。「死ぬ時期」や「愛する者たちを失う時期」が最も多かった。言いかえればアメリカ人は人生のあらゆる側面について、自分で決めたという、限りない欲求をもっていた。日本人学生に見られたパターンは、これとまったく対照的だった。すべての事柄、またはほとんどの事柄を自分で決めたいと思っている人は、だれもいなかったのだ。実際、日本人が自分で決めたくないとして挙げた項目の数は、平均すると決めたい項目の数の二倍にも上った。たとえば「食べるもの」、「身につけるもの」、「朝起きる時間」、「職場での仕事内容」といったことを、だれかに決めてほしいと思っている人が多かった。両者の回答を比較した結果、アメリカ人が自分で決めたいとしてあげた項目の数は、日本人の四倍もあったのだ。」

この結果はアメリカの歴史とも関係がありそうだと思いますが、先生はアメリカで「自分の人生は自分で選択する」という意志を現地の人々から感じていましたか? またそれは子どもたちからも感じることはできましたか?

4 : 湖の騎士 : May 15, 2013 11:36 AM

tomo様 コメントありがとうございます。まず私の意見に賛同してくださったことを心強く思います。次に「選択の科学」の日米の学生への調査結果をお知らせいただいたことへのお礼を
申し上げます。これは本当に貴重な情報です。「さもありなん」という気がします。「自分で決められない」「だれかに決めてもらう人生」を送っている若者が多いのが日本です。アメリカでは、選ぶ仕事、住む場所、信ずる宗教など、すべては自分の責任で決める人がほとんどです。日本も「自分たちの人生は自分で決める」「どういう国にしたいかは国民の意思が決めるのだ」という風潮がもっと力を得てほしいものです。「選択」ということについては、西欧の哲人が200年以上も前に鋭いことを言っています。「自分がいま生きているのは、『生きる』という選択をしたからだ。この世に絶望している人間はいない。本当に人生に絶望すれば、その人は直ちに命を断つはずだ。生きているというのは『生きよう』という選択をしたからである」と。この英文記事はだいぶ古くなったので、先週土曜日に書き換えようとしたのですが、このまま保存しておいてよかったです。非常に貴重なコメントがいただけたからです。