View of the World - Masuhiko Hirobuchi

October 29, 2013

応援はもっと自由に  日本の野球 -

日本のプロ野球とアメリカ大リーグの中継を見ていて感じるいちばん大きな違いは、「日本では応援が画一化されすぎているが、アメリカでは各人が自由にゲームを楽しんでいる」ことです。自分のひいきのチームが攻撃中で、ランナーが二塁か三塁にいると、スタンドのファンは総立ちになり、いっせいにメガホンを振りバッターの名前を大声で叫んでいます。夢中になっている本人たちは不思議にも思わないのでしょうが、この光景は私にはどうしてもなじめません。司令塔役の人間がいて、これが他のファンを強制的にリードし、自分の好む応援を強いているように思えるからです。事実そういう男がかつてはいました。今のテレビはそういう人間を写さないようですが、観衆が一糸乱れぬ行動を取るということには、大きな違和感を覚えます。各人の好みも価値観も個性も押しつぶして、一定の思想なりカラーに統一しようとする「全体主義」のにおいをそこに感じる人は他にもいらっしゃると思います。応援はもっとリラックスして、したいときには自然に立ち上がって叫ぶなりこぶしを振り上げるなりすればよいのです。学校教育で「生徒の個性を尊重する」との方針が打ち出されていますが、こんなことでは個性など育つはずがありません。もうひとつ嫌なのは、応援団がのべつ幕なしに太鼓を叩き、熱狂したファンが休む間もなく打席の選手の名前を叫ぶつづけることです。かつてピンクレディーが歌った「サウスポー」の中に、「しんと静まったスタジアム」という言葉が出てきます。本当に緊張感の漂う大勝負の場合には、球場はしんと静まるものです。それが野球の醍醐味です。しかし今の日本の野球にはこの「間(ま)」「一瞬の空白」の楽しみというものがありません。それが物足りなくて、球場に足を運ばないファンは、実際の観客の数倍はいると私は見ています。そうはいっても、ここまで間断なしの応援が定着してしまった現在、私のような意見は決定的に無力でしょう。この「画一化」「全体主義化」が、世の中全体の風潮にならないようにと願うばかりです。

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COMMENTS

1 : 悠々 : November 4, 2013 08:28 AM

野球場の狂騒は先生の仰る通り馬鹿げています。
私が少年時代の後楽園はもっと落ち着いた、野球を楽しめる場所でした。今の球場は応援団がありリーダーが観客を操ってあの馬鹿騒ぎを演出しているのです。
私は以前あの騒ぎに巻き込まれて、懲りていまい、それ以来球場には行っていません。
昨日の仙台球場はリーダーの指示には関係なく3塁側にも赤一色の組織されていない観客で埋めつくされていました。
傲慢な巨人に競り勝った楽天は選手も監督も観客も最高でした。
したり顔の解説者の饒舌がうるさかったのが気になりました。
球団側もうるさい楽器や私設応援団とリーダーを閉め出して、観客がゆっくり野球を楽しめるようにすべきです。
私は野球よりスピード感のあるサッカーの試合運びが好ましいです。

2 : 湖の騎士 : November 4, 2013 10:56 AM

悠々様 コメントありがとうございます。私もあの狂騒が嫌いでもう30年ほど球場には行っていません。応援団の諸氏は、自分たちの馬鹿騒ぎが本来は球場に来てくれるはずのファンを締め出しているのだという自覚も想像力もないのでしょう。そこで逆転の発想で、もしある糾弾が「当球場では応援の鉦(かね)も太鼓も禁じています。どうか皆さんゆっくりとゲームを楽しんでください」という方針を打ち出せば、マスコミでも話題になり、観客は徐々に増えるのではないでしょうか? たしかに初めの2,3年は観客が激減するかも知れませんが、「これが本来の観戦のあり方だ」と分かれば、客足は回復し、やがては今よりも客が増えると思います。飲食店で「禁煙」の店の方が主流になってきているのと同じ現象が、やがて野球界にも起こってきてほしいものです。とりあえずは観客の少ない横浜球場あたりが、大胆な実験を始めることを提案してみたいです。

3 : 湖の騎士 : November 4, 2013 11:07 AM

悠々様 上記のお礼のコメントで。「球団」を「糾弾」と誤記しました。目の手術後まだ近くの文字などを見るのに不自由しているもので、大変失礼いたしました。