View of the World - Masuhiko Hirobuchi

May 29, 2014

「(私にはそれについて)語る資格がない」という思想 -

すっかりご無沙汰して申し訳ありません。病気でもしているのではないかと、心配して連絡をくださった方々には心から感謝しています。日本が直面している大問題がいっぱいある今、なぜ発言しないのだと思っている方も多いでしょう。ベトナム沖やウクライナ、さらには慰安婦像をめぐってアメリカで展開されている韓・中系市民による反日運動ーーいずれも日本人の心に重くのしかかっています。個々の人々は、自分ではどうすることもできない苛立ちと「無力感」を抱いています。こういう中で、「メディアがちょっと発想を変えて、ひとつの考えを普及させる努力をすれば、日本は格段によくなり、人々の気持ちも安定するのだが」という提案があります。その提案とは「自分にはそれについて語る資格がない」という思想・価値観を広める努力をしてほしいということです。今、集団的自衛権についても、景気についても、政界再編についても、多くの人々はテレビのインタビューを受ければいとも気軽に自分の意見を口にします。そのほとんどは、所詮はしろうとの発言であり、好きか嫌いかの次元の話です。テレビで全国に放送されるのにふさわしい卓見というのはまずありません。はっきり言って「くだらなさすぎる」ものです。しかし、日本人はいつのころからか「人さまの前で、あまりにくだらないことを言うのは恥ずかしいことだ」という感覚をなくしてしまいました。取材してきたビデオを見た編集者も「これはくだらなさすぎるからボツにしよう」という決断が下せなくなっています。かくてきわめて情緒的・主観的な俗論が、国民の生活にとって最も重要な安全保障の分野でもまかり通るようになり、それが拡散して非現実的なことを考える人々がふえているのが現状です。政治家も俗論をさかんにふりまきます。「出来そうもない」理想論をぶち、他の先進国の野党党首ならぜったいに口にしないような「暴論」を吐き、人々を煽動しています。私が特派員としてロンドンに駐在したころに、一種のカルチャーショックを受けたことを思い出します。炭鉱労働者のストライキに伴う停電・経済危機・政府の対応などについて、巷の人々にマイクを向けると「私にはそれについて語る資格がありません I'm not qualified to (comment on that).」と言って、やんわりとインタビューを断る人が実に多いのです。いわゆる「分(ぶん)を知る」人々です。テレビと言う晴れがましい舞台で語るような立派な意見は持ち合わせていませんーーというのです。「ああ、これは昔の日本人が持っていた謙譲の美徳というものだ」と感じました。民主主義社会というのは、だれでも意見が言える自由が必要です。同時に、根拠のない不安を煽ったり、他国の意図についてあまりにも非現実的な俗論を吐くことで社会を混乱させたりせず、自分の感情を抑制できるマジョリティ(多数派)の存在が欠かせません。今、日本にとって最も必要なのは「私にはそれについて語る資格がない」と思う人々の増加であり、こうした思想を後押しするマスコミだと思います。

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COMMENTS

1 : 悠々 : May 30, 2014 09:40 AM

久しぶりに先生のご卓見を拝読出来て嬉しいです。
私にはそれについて語る資格が無い、と言う謙虚さは確かに美徳ではありますが、日本の平和憲法と同じ考え方で、他がそれと同じ規範を持って居ないと、中国やロシア、イスラエルなどと同様、力で物事を押し通す輩の独壇場となってしまうのでは無いでしょうか?
幼稚な考えでもその中には一面の真理が隠れていることがあります。幼子の何気ない発言にはっと心を打たれることが多々あります。他人を誹謗したり流言を発信したりすることをしてはなりませんが、私はこう考える、と言う個人の発言には謙虚に耳を傾ける方が良いと思います。
物言えば唇寒し・・・なんて世の中にはなって欲しくありません。
ただ、政治家や官僚、マスコミなどの発言は他への影響を考えて慎重さが必要です。

2 : 湖の騎士 : May 30, 2014 10:37 AM

悠々様 コメントありがとうございます。日本は「物言えば唇寒し」という世の中にはならないと思います。「そうなる」と言って国民を脅しているのは一部メディアと野党です。いま緊急に必要なのは、日本が「もっと成熟した国」になることです。世界で何が起こっているか。それが明日のわが身にどうふりかかってくるかを知り、そうした意見がメディアに反映されることです。あまりに「幼稚な」意見がメディアを席捲しています。「私にはそれについて語る資格がない」という意識さえ、人々は持っていません。なんについてでも語れると思っています。政府も与党もそうした愚論を「世論」と勘違いしています。こうした愚論が、過去に何度も戦争を引き起こしてきました。本当に恐ろしいことです。

3 : 泥田の落ち武者 : June 1, 2014 02:55 PM

湖の騎士様、

私もちょっと心配を致しておりました・・・・・・

で、本題で御座いますが、愚考致しまするに情報発信手段の多様化と簡易化が一つの要因ではないでしょうか。

例えば20年前だと、せいぜいFAXか郵便での会報等の発信がせいぜいであったのが、現在では、ブログ、FB、TW、LINE、掲示板等々、様々な手法で一瞬で、猫も杓子も世界に情報を発信できます。

すると当然の事ながら、(落ち武者も含め)玉石混交の情報発信となります。また、いわゆるワイドショーなるTV番組で??????な発言が電波で流されます。となりますと、単純な万人受けする言説や、過激な言説が注目を浴びんがために流通し、一般の方もそういう言説や情報に流されるのではないでしょうか?

ただ、ブログ等をいろいろ巡回していますと、まっとうな意見を述べておられるブログはまっとうな読者もついていますし、長続きもしていますが、??????なブログはコメント欄の意見も??????で、途中で更新中止というケースが多い様な気が致します。

現在の情報空間はネットや様々な情報発信手段により、過渡期にあるのではという気がいたします。ただ、TWが「馬鹿発見器」と言われるように、あまりにも愚かしい発言は排除されるという、ある程度の自浄作用もあるのでは?また、TV番組の嘘ネタを検証して、ブログで発信されているような方もおられますし、某TV局や某新聞の凋落もネット情報が主導した部分もあろうかと存じます。

言論の世界のご専門の騎士様に、落ち武者ごときがご意見を申し上げ、失礼致しました。(「自分にはそれについて語る資格がない」は肝に銘じておきます。)

4 : 湖の騎士 : June 2, 2014 12:19 PM

泥田の落ち武者様 コメントありがとうございます。ご心配をかけました。今後はもう少し記事の更新速度を速めます。さて今の日本人のほとんどが、メディアで意見を言うことにためらいを感じないという現象は、ある意味で健全なことだと思います。どんなコメントをしても逮捕もされなければテロリストに襲われもしないという、自由と平穏はすばらしいことです。しかし、同時にその自由さ気楽さが撒き散らしている害毒の恐ろしさにもっと気付かないと危険だというのが、私の実体験を通しての意見です。落ち武者様は、この気楽な発言の洪水が、社会的変化によるものだとお考えですが、たしかに安易に意見を発信できる電子機器の普及やワイドショーの影響は大きいと思います。私が言いたいことは、日本人全体から「恥じらい」の感覚、「分を知る」という意識が失せてきており、俗論が政策決定を支配しつつある現象です。大衆のその場その場の意見に影響される政治は本当に危ないです。あえて大衆の好みの反対の政策を推し進めるだけの見識と英知が、メディアにも政治家にもなければ、国は滅び、人々は悲惨な運命を辿らなければならないものです。悲惨な歴史についての知識がない人が、「巷の感覚」で物を言いすぎているのが日本です。これは本当に恐ろしいことです。