View of the World - Masuhiko Hirobuchi

May 10, 2015

母の日・天国・クリスマス -

多くの幸せなお母様方の笑顔が目に浮かぶ日です。外国から輸入された習慣の中で、この日は私にとって抵抗感をあまり感じなくてすむ日です。最も抵抗感を覚える言葉は「天国」です。ここ20年ほどの間に、「天国」はテレビで氾濫するようになりました。事故や震災にあって息子や娘を亡くした親、あるいは親を亡くした子供たちが「今ごろは天国で見守ってくれていると思います」ということを、いとも簡単に言います。しかし「天国」という言葉は、もともとはキリスト教などの一神教で用いる言葉です。仏教徒は「極楽」を用いてきました。この「極楽」は最近はすっかり影をひそめてしまい、テレビ・インタビューなどにもまず登場しません。「西方浄土」で「蓮のうてな」に乗る死者のイメージを持っている人は本当に少ないようです。これはまぎれもなく、日本人の精神の衰退現象であり、「文化力」の低下だと思います。極楽というと、はるか西方にある浄土ですが、あくまで「フラット」で現世とは同じ地平に存在するイメージです。しかし「天国」は上の方にあり、入り口には天国へのカギを握るペテロが控えていて、生前の所業によって入国(?)させるかどうかの審査をしています。なかなか厳しいところで、どうも私などは「上から目線で」人を見るイメージが拭えません。では日本語の中に、なにゆえにかくも「天国」が増殖したのでしょうか? それは何にも物事を深く考えない精神と大きな関係があります。キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝い、だれかれなくクリスマスカードを送る人々がたくさんいる国が日本です。宗教的束縛やタブーがなくてよいと思う人が多いですが、そろそろ心をひきしめていきたいものです。はるか中東の地では、キリスト教徒というだけでイスラム教徒のテロリストに襲われ、一度に百人もの人が殺害されているのが現実です。言葉づかいにもっと慎重に神経質でありたいものです。

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COMMENTS

1 : 悠々 : May 16, 2015 09:12 AM

天国という言葉がキリスト教と結び付いているという意識はあまりないのだと思います。私も宗教心は持ち合わせていませんが、何か絶対的な力が存在するのではないかという感じは持っています。
それが神なのかな、とおもいます。
冥途、あの世,という言葉があります。これはあまり宗教とは関係なく使える言葉だと思います。この言葉も死後には何らかの世界がある、という前提で成り立っていますから私には受け入れがたいですが、少なくとも天国や極楽よりはましだと思います。
「千の風になって」がヒットして以来、亡くなった人は風になったり、小鳥や朝日になるというかんがえもでてきました。これなどは万物に神が宿るという日本人の感性に合っていると思います。
人間は死んだら火葬に付され、炭酸ガスとなって空中に拡散し、石灰分だけが遺骨として遺されるだけのことです。
土葬が許されるなら遺体はバクテリアに分解され土を肥やし草木の養分になるのですが、、、

2 : 湖の騎士 : May 16, 2015 11:49 PM

悠々様 コメントありがとうございます。死生観についてのご考察、参考になります。日本人の多くは「天国」といってもキリスト教とは結び付けていないとのご見解ですが、「天国」という言葉は、戦国時代に切支丹伴天連が来日するまで、日本語にはなかった言葉です。これは「はらえそ(パラダイス)」を訳したものでしょう。そういう言葉を無神経に使いだしたのは、ここ2、30年ほど前からだと思います。言葉づかいは厳密にしないと、危ないことが非常に多いです。イスラム教徒のテロリストたちの捕虜にでもなった場合、言葉づかいひとつで命を落としかねません。それは極端な例としても、いささか言葉に無神経になり過ぎていることへの警鐘のつもりで書きました。