View of the World - Masuhiko Hirobuchi

July 23, 2015

クリシェ(紋切り型表現)に侵蝕される日本 -

ある大学の先生がいます。むかし書いた文章を週に1度くらい送ってくれます。最近のものでは、自分が青春を過ごした大学を42年ぶりに訪れた感慨を述べていました。学内にある掲示板を見ていると、自分が学生であったころの光景が「走馬灯のように」浮かび上がってきたーーとありました。そのころの学生たちの革命に賭ける情熱・意気込みといったものが、今の日本には見当たらない。掲示板の文字も「部員募集」といったものばかりだーーといった調子です。私はこの「走馬灯のごとく」という表現を複雑な思いで読みました。これぞ「定型句(型にはまった表現=クリシェ)の見本ではないか! そういえば、最近永田町界隈で、特定の政治的主張を繰り返し叫んでいる人々の表現も、ほぼクリシェそのものではないか。ある思想的・情緒的雰囲気の中にどっぷりと浸かっていると、どうしてもその集団が用いるクリシェに染まってしまう! しかし最も恐ろしいのは、クリシェだ。戦前から戦中にかけて日本を覆っていたのもまたクリシェだった。「非国民」「鬼畜米英」「欲しがりません勝つまでは」「進め一億火の玉だ」等々。多様な表現を許し、政敵の意見にも耳を傾け、公衆の面前でコテンパンにやっつけられても、にこやかに論敵と握手し「参った。君は見事だ!」と讃えるような空気が、戦後の日本が求めてきた「自由」な社会であり、異見に寛容な社会だったのではないか。いま、日本ではそうした誇るべき表現の自由は急速にしぼみ、異見を持つ者たちを口汚くののしる社会になりつつあるのではないか? そしてそうした社会を作っているのが、マスコミであり、一部の政党ではないのか? ご意見をお聞かせください。

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COMMENTS

1 : Sako : July 25, 2015 09:03 PM

新しい言葉を編むには教養が必要です。教養は、言語を中心とする文化です。

昨今の風潮は、手っ取り早く金になるものこそが偉いとされています。
その考えに毒された連中は、何の本を読んだら教養が付きますか?などと愚かな問いを発します。
お手軽教養主義というべきか、教養にすら効率性を求められます。
ピケティが流行れば、「21世紀の資本論」よりも、頓珍漢な解説本が売れます。
英語も文法・単語を最小限にしたグロービッシュが持て囃されます。
要するに、スノッブなバカです。

スノッブ・バカが浅はかな知識を披露する際に、クリシェーを添加し粉飾するのだと思います。
小難しいそうに聞こえるからです。

知的に退行しているが、頭が良く見られたい、見栄っ張りなスノッブ・バカが増えたのではないでしょうか?

2 : 湖の騎士 : July 25, 2015 10:32 PM

Sako様 コメントありがとうございます。なかなか鋭いですね。私の文章は「どの陣営のことを指しているのか」ちょっと見には分からないようなところがありますが、貴コメントはずばりと核心を突いておられて小気味よいです。昔風の日本人なら、「過去が走馬灯のようによみがえった」などという表現は恥ずかしくて使えません。あまりにも「ありふれた」「型にはまった」表現だからです。しかし私よりも10歳くらい若くなると「ありふれすぎて使うのも恥ずかしい」おいう感覚すらない人も多いみたいです。かくて日本の言葉も思想もどんどん硬直化し。自由でオリジナルな思想は廃れてゆくのでしょう。

3 : 悠々 : July 27, 2015 11:37 AM

政治家や官僚の発言あるいは文章が紋切り型や定型文的になるのは今に始まったことではありません。彼らが苦心するのはいかに言葉尻を捕まれないか、本音を悟られないか、もっともらしく聞こえて内容の無いものするか等等で日本語らしく聞こえますが、それらは霞ヶ関特有の言語なのです。
私の日本語も怪しいものですが、少なくとも某公共放送の一部のアナウンサーよりはまともだと思っています。
よい言葉を話したり書いたりするには本を沢山読むことだと思います。特に古典は読むべきです。徒然草あたりから始めるのが取っつきやすいとおもいます。
平家物語や源氏物語を読めば語彙も増えるし、感性も磨かれると思います。はじめは1頁読むのに30分かかっても読み終える頃にはすっかり平安時代の人になりきっていて、すいすい読めるようになります。
現代語訳を読んでも原文を読んだような感動は伝わってきません。
外国文学でも同様だと思います。すばらしい訳者も居ると思いますが、原文を凌駕することは不可能です。
Sako様の仰せの通り、何事にも近道はありませんからね。

4 : 湖の騎士 : July 27, 2015 06:25 PM

悠々様 コメントありがとうございます。文部科学省の最近の動きを見ていると、古典を読まない人ばかり養成したがっているようです。国立大学の文系を減らしたり、組織改革をしろと大学に求め、企業の欲しがる「実学」を履修させたがっています。しかしこれは、国際社会で大きな仕事を成し遂げる人材育成には明らかにマイナスです。欧米では、国際社会で本当に通用するためには「リベラルアーツ」(幅広い一般教養)を身につけた人間が不可欠だというのが常識になっているというのに、日本の官僚は世界の常識に逆行するようなことばかりしたがっているのですね。日本の古典を読みこなし、欧米や中国の古典も読める人材の育成は、日本の安全保障にとっても急務だと思います。外交の場に出ても、世界の古典を読んでいない外務大臣というのは、「どこかで聞いたようなクリシェ」ばかり繰り返し、いちだんと低く見られているのです。こういう人は、知的人間と見られていないのだという危険に、官民挙げてもっと早く気付くべきです。

5 : 泥沼の落武者 : July 28, 2015 10:23 PM

湖の騎士様、

「バカの一つ覚え」という名言が御座いますが、「戦争ハンターイ!!」や「平和を守れ!!」とかいう戯れ言は、もはや「基地外の一つ覚え」の領域かと。

過激派に踊らされる教師連中や学生、自分の子供を熱中症にする危険も顧みずクソ暑い中デモするお母さん。普通では無い「市民」とやらの反対活動が、「民意」に変換される・・・

http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2015/07/f26900101.html

http://blogos.com/article/124721/


そして、反対意見・活動しか報道しないメディア・・・
で、支持率が下がったと大騒ぎ!!

こういう活動が普通になれば良いのですが・・・
https://www.youtube.com/watch?v=Wh4edO_igbg&sns=tw


因みに、国立大学から人文系学部を廃止するのは狂気の沙汰かと。「教養」は「常識」の根源かと。

6 : 湖の騎士 : July 30, 2015 03:13 PM

泥田の落武者様 コメントをありがとうございます。非常に気になるのは、最近「戦争ハンターイ!」と叫んでいる人々(特に中年女性)の表情、拳の突き上げ方(空に向かった角度)、声の出し方までが、「どうもどこかで見たスタイルだな?」と思えることです。どうやら「訓練を受けた」反対専門の集団ではないかと見えてきます。叫ぶスローガンが画一すぎること、表情がほぼ同じに見える点が気になります。しかし一般の人々は、「なんだか少しあやしい」と思いつつも、私のような疑いまでは抱かないでしょう。もっと「メディアの虚実を見破る眼(耳)を備えた人がふえてほしいです。いただいたメールアドレスにはこれからアクセスさせていただきます。文科省官僚たちの「阿呆さ加減」については、もっと世間が文句を言うべきです。