View of the World - Masuhiko Hirobuchi

February 25, 2016

霊柩車を「見たくない」という人々 Memento Mori -

ちょっと古い話で恐縮ですが、1月21日(木曜)の夜10時55分からのNHKテレビで「霊柩車が住宅地を通るのは許せない。どうしても死を連想させるからだ」として、葬儀会社に圧力を掛ける人々のことを扱っていました。霊柩車の中でも、かつて人気のあった,宮式(みやしき)というタイプが狙い撃ちされているそうです。これはお寺や神社の屋根を模した金ピカの屋根が車の上に乗っているもので、遠くからでも一目で「あ、霊柩車だ!」と分かるものですが、こういうタイプは今や忌避され、地味な普通の車の大型のものが好まれるといいます。宮式のものは、あまりにも直截的に「死」を連想させるゆえに嫌われるのだそうです。ある葬儀社は、今では使えなくなった宮式の車をネットオークションにかけて、1万円で売ろうとしましたが、買い手がつかないと嘆いていました。さて世界は広いもので、日本でこれほど嫌われる宮式がモンゴルでは大人気で、人生の最期を締めくくるのにふさわしいとされ、日本から数台を輸入していますが、引っ張りだこで、「順番待ち」だとか。なんでも日本に来ている力士たちが、葬儀社に教えたのがきっかけだといいます。問題はここからです。同じ仏教徒である日本人とモンゴル人で、なぜかくも霊柩車に対する好みが違うのか? それを突き詰めて考えてゆくと、死という「動かしがたい現実」を正面から見る勇気、謙虚さの有無に行き着くのではないか、と思えてきます。「死はいやだ。だから霊柩車は見たくない」と思う人々と、「いやでも死という現実はおそかれ早かれ万人に訪れるものだ。それを日々に思い起こさせてくれる霊柩車は、貴重な教師ではないか」と思う人々が、この世界にはいるのだと思います。どちらがいいか悪いかの問題ではありません。ただ「いやな現実を正面から見ることをきらう日本人がふえている」ことを、この番組は教えてくれた気がします。この記事のタイトルの右側に示したのはラテン語で、「汝は死なねばならぬ You must die.」という意味です。

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COMMENTS

1 : ミルトス編集部 : February 25, 2016 05:06 PM

おっしゃるとおりですね。現代日本の一番の問題点は、死を意識することが少ないことだと、かねてから思っています。

まず平和な日本の国内において戦乱やテロ、飢餓などで身近に死を見ることは希です。さらに核家族が増えて親族の死に直面することすら少ない。兵役などあれば、死を意識する場面が多々あるのでしょうが、現代日本ではよほどの職業でない限り、毎日生活しつつ死を見つめることはないでしょう。

今から数年前、新聞で霊柩車問題を取り上げた記事を読みました。その時たまたま手にした映画「おくりびと」の原書『納棺夫日記』には、納棺師として人の死を毎日見てきた著者・青木氏の心情が吐露されていて、とても共鳴したのを覚えています。

もっとも「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」という狂歌は、今から200年前のものだそうですから、一般人が死を意識しないのは今も昔もさほど変わらないのかもしれませんが。

2 : 湖の騎士 : February 25, 2016 10:00 PM

ミルトス編集部様 コメントありがとうございます。たしかに今の日本では日常生活で身近に死を体験することは少ないですね。核家族がふえた結果、死どころか同じ家の中で「老」を体験することも稀でしょう。日本人は世界の中でも、死や老を見ることが最も少なくて済んでいるのかも知れません。しかし死という現実に目を覆っていれば死はなくなるかといえば、けっしてそんなことはありません。死は冷厳な現実です。死を正面から見据えることを怖がっているのは、現実を正視するのが怖いからでしょう。目をそむけていれば現実が逃げていってくれるのなら、たしかにそうすればいい。しかし目をそむけていても、現実は我々を待ち受けています。話を広げすぎてはいけないと思い、本文では書きませんでしたが、この「現実から目をそらす」日本人の性向が、大きな危機を招くのではないかと私は心配しています。中国が南シナ海の人工島を着々と軍事基地化していても、北朝鮮が核実験を重ねても、その現実を冷静にかつ厳しく見据えることができない一般人や国会議員がいかに多いことか! 迫りくる危機に目をつぶっていれば、危機は遠のくとでも思っている野党党首たちのなんと多いことか! 「恐ろしいものを正視できる国民」でありたいものです。