View of the World - Masuhiko Hirobuchi

February 10, 2016

ベッキー騒動と日本文化 -

世界が大混乱の入口にいるというのに、SMAP騒ぎがようやく沈静したと思ったらベッキーの不倫問題で、マスコミは大騒ぎしています。「こんな話には興味がない。レギューラーのTV番組からすべて降ろされたり、スポンサー企業からの契約を全部切られたというが、そんなことは自分にとってはどうでもいいことだ。日本にとってもどうでもいいことではないか!」と思っている熟年者は多いでしょう。だがどうも、彼女が芸能界から追放されることは、日本にとって「どうでもいいこと」ではなくなってきたようです。この騒ぎは国際的に飛び火し、今までとは次元の違う「日本異質論」「新たな日本叩き」へと発展する雲行きになってきました。火をつけたのはイギリスの新聞「ガーディアン」で、ベッキーだけを追放するのは「性差別ではないか」と日本社会の特異性を問題にしています。こういうことが起こらねばよいが、という懸念がどうやら現実になってきました。不倫相手の男が芸能界から追放されたわけでもないのに、ベッキーだけが悪者にされるというのは、不当ではないか。日本社会には依然として、「女性は貞淑でなければならぬ」という古い価値観が根強く残っている証拠だ、というのが、ガーディアンの主張です。この見方は、2,30年前の日本にいる外国メディアの特派員たちの偏見にみちた日本観の復活を思わせるものです。しかし、同紙の日本批判にも「理」はあります。せめてスポンサーの1社か2社、テレビ局の1社くらいは「彼女のしたことは感心できない。しかしわが社は、断固として彼女を用いる」と言ってほしかった。それができないのが現実であることはよく分かっています。しかし彼女を用いつづけた結果、「その企業」に振りかかる火の粉の激しさ、理性的な言い分をいっさい聴かない「感情に基づく企業バッシング」を恐れた各社は、まるで談合でもしたように、いっせいにベッキーを見放してしまいました。この「右へならえ」主義、全体の空気に逆らえない弱さは、まさに「大衆による全体主義」であり、これが日本の最大の弱点だと思います。理想論とは分かっていますが、日本の各社・各層にはもっと「孤立を恐れぬ勇気」を持ってもらいたいものです。

[Post a comment]

COMMENTS