View of the World - Masuhiko Hirobuchi

June 05, 2016

「俺(おれ)」という一人称と「優勝できない」との関係 -

5月26,7日ごろのパリ。テニスの世界四大大会のひとつ、全仏オープンが開催中のこと。錦織圭選手が日本人記者団と会見していました。たぶん顔なじみの記者ばかりが出席していたのでしょう。おたがいに打ち解けた様子で、錦織君も遠慮や緊張とは無関係の応答ぶりでした。そうしたやり取りの中で、彼はひょいと「俺(おれ)?」と言ったのです。もちろんテレビカメラがこれを映していたから、私の目にとまったわけです。気がはやいというか、せっかちというべきでしょうが、これを聞いて私はとっさに「ああ、彼は当分大試合では優勝できないな!」と思いました。いかに親密な間柄とはいえ、記者たちは取材のプロとして会見に臨んでいるのです。錦織選手も当然プロとして受け答えをしているはずです。双方ともこれは「仕事」であり、真剣勝負のはずです。そうした場に臨みながら、成人男子が自分のことを「俺」と呼んだのです。緊張感が足りないというべきか、教養がないのか、礼義を知らないのか? 公の場で「俺」はないでしょう。この言葉はまったく「私的な場」で使うべきです。記者会見というのは、けっして私的な場ではありません。そのこともわきまえないというのは、「精神面の弱さ」を物語るものです。案の定彼は次の試合で敗れました。四大大会(メージャー)で優勝するためには、まず頭の中から「俺」を消すことです。この苦言は、前途ある若者への、心をこめた励ましのつもりです。

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