「フードバンク」という言葉を聞かれたことがありますか? 発祥の地はアメリカで、1960年代に誕生しました。一日に廃棄される、まだまだ食べられる食糧をきちんと集めて、食べ物を本当に必要としている人々に配るという組織です。もちろん非営利の団体(NPO)です。飽食の時代といわれ、消費者は食べ物に対してあまりにも要求過多になり、缶詰などもちょっとへこんだだけでも売り物にならないのが現状です。中身はまったく落ち度がないトマトケチャップやスープの缶詰が捨てられてしまいます。外国から輸入するグレープフルーツなどでも、箱が少しこわれただけで同じような廃棄の憂き目にあっています。片やその日の食事に困る人が、アメリカでも日本でも何万といるのです。
こうした「まだまだ食べられるのに廃棄処分される食べ物」と、「真に食べ物を必要としている人」の間を繋ぐのが、フードバンクですが、規模において、また組織の運営について、アメリカのフードバンクが大リーグの野球だとすれば、日本のそれはペンペン草の生えた原っぱでの草野球くらいだそうです(後述のチャールズ・マクギルトン氏の話)。
私にフードバンクの活動を具体的に知らせてくれたのは、元新聞記者の大原悦子さんです。この六月に彼女は『フードバンクという挑戦ーー貧困と飽食のあいだでーー』(岩波書店)という本を出版しました。その中にアメリカと日本のフードバンクの現状が詳しく紹介されています。多くの日本人が「日本にはもう飢えて死ぬ人はいない」と思いこんでいることが、いかに誤った認識であるかを私も痛烈に思い知らされました。今回の金融危機に始まる世界的な大不況の中で、食物を必要とし住む家を必要とする人々が増えるであろうことは、残念ながら確かでしょう。そういう視点からも、このフードバンクという機能をしっかり見つめていただきたいと思います。
日本で最初にフードバンクという組織を作ったのは、チャールズ・E・マクギルトンというアメリカ人です。最初この組織は「フードバンク・ジャパン」という名前でしたが、今は「セカンドハーベスト・ジャパン」という名になっています。マクギルトン氏はまだ36歳の若さですが、子供のころ、風邪薬をのんでその甘さに魅せられ、やがて家にあるアルコール飲料に手を出し、再起不能とまで思われるアルコール中毒者になりました。それこそ死ぬほどの苦しみを経て、ようやく立ち直りました。そして海軍に入って訪れた日本の魅力が忘れられず、除隊後再訪日して上智大学で勉強し、その間に日本で最も困窮している人々とともに暮らしました。炊き出しをしたり、スープを配る仕事もしました。目の前に困っている人がいると、助けるのに理屈はいらないというのが、彼の信念です。こうした人にありがちな、変な優越感とか過剰な使命感を発散する「嫌味」がまったくない人です。大原さんの本に触発されて、私は昨日彼に会ってきました。JRと地下鉄の浅草橋にほど近いビルの1階が事務所兼倉庫です。この会見は実にいろいろなことを考えさせました。命をつなぐはずの食べ物を、「太るから」という理由でできるだけ食べない女性たち。みてくれの悪い野菜や果物は買わない消費者。大量に捨てられる残飯。何十万円もするバッグが売れている一方で、きょうの食事にも困っている人々がいる現実等々ーー。
マクギルトンさんと同じような活動をしている組織は、兵庫県芦屋にもあり、こちらは「フードバンク関西」と呼ばれています。この組織にはまだ私はアプローチしていません。大原さんの本にはその生い立ちも現状も詳しく書かれています。できればこの本をぜひお読みください。岩波の本は「書店の買い取り」制で返品がきかないため、多くの本屋さんには置いてありませんが、注文されれば手に入ります。ご参考までに「セカンドハーベスト・ジャパン」と「フードバンク関西」のホームページ・アドレスをご紹介します。
セカンドハーベスト・ジャパン
http://www.2hj.org/
フードバンク関西
http://foodbankkansai.web.infoseek.co.jp/
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