View of the World - Masuhiko Hirobuchi 国際ジャーナリスト エッセイ 講演家 スヌーピー http://hirobuchi.com/ en 2010-03-14T16:40:05+09:00 岡田外相は大きく変わった? http://hirobuchi.com/archives/2010/03/post_376.html 14日(日)朝のNHKテレビに出演した岡田克也外務大臣の発言を聞いていて、「おや、この人は微妙に変わってきたな?」と思いました。核兵器持ち込みについての日本政府とアメリカとの過去の密約は密約として、「核を搭載した艦船は日本の安全にとって必要(あるいは「有効」)ですから」と言ったのです。15日の新聞にはより正確な記事が載ると思いますが、「今までの岡田氏や民主党の認識とは大きく変化したな」と感じました。社民党などは、こういう発言を絶対に容認できないと言うでしょう。12日夜10時のNHKテレビでスタジオに視聴者の代表らしき(実は意識して人選した反米家)者を集めて、ぎゃあぎゃあと討論した中に、大声で「今まで平和が保たれてきたのは日米安保のおかげではない。憲法9条のおかげだ!」と繰り返し絶叫していた人物なども「容認できない」と思うでしょう。しかし反対に「民主党もいくらか現実に目覚めてきたな。国際政治の裏表が少し分かってきたようだ」と思う人も多いと思います。鳩山首相や小沢幹事長は、この岡田発言をどう思うでしょうか? 党としてのコンセンサスを得ていない発言で、またも首相が外相発言を批判するといったことになるかも知れません。明日からは、この岡田発言をめぐっての議論が活発化することでしょうが、いずれにせよ、重大な発言だったと思います。ご覧になっていない方へのお知らせまでにーー。

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COLUMNS hirobuchi 2010-03-14T16:40:05+09:00
盛田昭夫(元ソニーCEO)は危機をどう乗り越えたか? http://hirobuchi.com/archives/2010/03/post_375.html 3月2日、日本を代表するジャーナリストの先輩から電話がかかってきました。今から30年ほど前、ソニーの社長だった盛田昭夫さんが、石原慎太郎さんとの共著で「No(ノー)と言える日本」という本を出版し、これが「反米的」と見られてアメリカで大きく取り上げられたことがあったが、このとき盛田さんはどうしたかーーという話でした。批判が盛田個人に向けられたのならまだしも、この本への反感がソニー製品への反発を呼び、経営に大きなダメージを与えることになっては一大事です。しかし、人一倍国際感覚にすぐれ、アメリカに友人も多く、アメリカの世論がどう動くかを知りつくしている盛田さんは、まずABCテレビの「ナイトライン」に出演し、名司会者テッド・コペルと本当に打ち解けて話をしたそうです。それが、ご本人にも分かるほど手応え十分で、盛田さんは「この出演は成功だった」と確信し、喜びを声に表してこの著名なジャーナリストの自宅に電話してきたそうです。「よほど嬉しかったようだ」とその先輩は言いました。盛田さんはさらに、CBSテレビの看板番組「シックスティ・ミニッツ」のインタビューを、箱根の別荘で受けました。インタビューアーは女性のダイアン・ソイヤーだったらしいですが、この硬派番組もまた本当に大きな影響力を持っていたのです。これら2番組に出演したことにより、「モリタ」および「ソニー」へのイメージが、格段によくなったことは言うまでもありません。テレビの影響力を知り、「ナイトライン」や「シックスティ・ミニッツ」の威力を本当に分かるセンスというか嗅覚は、盛田さん独特のものです。私は出演番組は見ていませんが、おそらくユーモアをまじえ、気取らず、嘘をつかず、誠心誠意自分の信ずるところを率直に語ったにちがいありません。不必要な謝罪などはせず、意味不明の微笑も浮かべず、堂々としてはいるが依怙地ではない、人間としての総合力がそのまま画面に出ていたのだと思います。トヨタの豊田章男社長も、こういう偉大な先輩がいたことをあらためて知ってほしいと思います。着眼のよさと自らの決断力、メディアを選ぶセンスのよさを、CEOは持つべきです。会社も国もリーダーの力量によって、運命が変わってきます。これ以上いうのは野暮かも知れませんが、鳩山総理にも、すぐ撤回するような失言を繰り返していないで、自分の一言が国民の幸不幸を決めるのだという、固い決意と慎重の上にも慎重な言動をお願いしたいものです。

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COLUMNS hirobuchi 2010-03-02T22:43:40+09:00
トヨタは本当に悪いのか? http://hirobuchi.com/archives/2010/02/post_374.html トヨタ自動車がアメリカの議会とマスコミ、それに消費者の一部から猛烈なバッシングを受けています。日本のマスコミは、割合冷静に報道しているようです。しかしいまひとつ「真相」を伝えていない気がしませんか? 去年の初めごろまでは、「アメリカのビッグ3(GM,フォード、クライスラー)が経営破綻したのは、低燃費車の開発がおくれ、マーケットの需要が読めず、経営努力を怠ったからだ。そこへ行くとトヨタを筆頭に日本車はたえず技術革新を心がけ、環境にも配慮した優秀な車を作り、消費者の支持を得てきた」と、トヨタを称える報道がアメリカのマスコミにあふれていました。それが一転して、まぜ「悪者」になったのか? 軽率なことは言いたくありませんし、私も現地で掘り下げた取材をしたわけではありません。ただ今日の事態を的確に予測していた人のことをご紹介したいと思います。高山正之さんです。「週刊新潮」に「変見自在」というコラムを9年余にわたって書き続けている方ですが、「民主党政権になれば共和党政権下でいっさい起こらなかった対日本企業への訴訟を含む攻撃が始まる」とほぼ断定的に書いています。北米三菱自動車が、女子従業員へのセクハラで訴えられた時も、実はこの従業員は三菱を貶める陰謀のために送り込まれた者だったとも書いています。日本人の特派員たちは、自分で取材せず、三菱の言い分も聞かず、アメリカのメディアの報道を受け売りにした、と高山氏は言います。運輸長官の高飛車ともいえる警告、議会の有力者の厳しい発言、涙ながらにトヨタの対応を批判する証言をした女性ーー世論を動かす大きな影響力をもつ役者が揃っていました。「できすぎ」の感じもします。なぜ去年まで模範的な優良企業とされたトヨタが、一転して悪役に転じたのか? だれでもが疑問に思うところでしょう。この運命の急転の陰には何があったのか。アメリカのメディアの受け売りではなく、徹底した調査報道を行ってほしいものです。とくに潤沢な予算を持つNHKは、半年かけても、1年かけても「これが真相だ!」という、客観的で公正で、世界の人々が納得するような、世界中から信頼され尊敬されるような番組を作ってほしい。それが公共放送の義務だと思います。私たちも、日本のメディアの報道を鵜呑みにせず、「報道の裏にある真実」を考える習慣を身につけたいものです。

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COLUMNS hirobuchi 2010-02-25T10:44:20+09:00
苦いことは美しい Bitter is beautiful. http://hirobuchi.com/archives/2010/02/bitter_is_beaut.html 日本が低迷し多くの問題を抱えていることについては、多くの人々の意見が一致していると思います。ではこの憂うべき状況をどう「治療」するか?  これについては、それこそ百人百様の意見があって、国民的合意にはなかなか到りません。制度や仕組み、法律を変えて改革を実行しようとしても、気の遠くなるような時間とお金が必要です。しかし、改革は待ったなしです。どうするべきか? ここで思い切って単純明快な処方箋を提案したいと思います。「苦みを愛する人々をふやそう」というものです。いま、教育の現場では、学生や生徒に負担をかけまいとする思想が幅をきかせています。学生や生徒が嫌うことは教えないようにしようというものです。筆記体の英語は教えないし、歴史の年号も憶えさせません。悪名高い「ゆとり教育」への反省気運はようやく高まってきましたが、とにかく「苦しみに耐える」ことができない若者がふえています。そのことが最も端的に表れているのが、「食べ物に対する好み」です。苦い野菜などを好む子供や若者が激減しています。そういうものは売れないので、農家は作りません。ニガウリなどは細々と生き延びていますが、甘いものが圧倒的に好まれています。さて甘いものばかりを食べて育った子供はどうなるでしょうか? 苦みや渋みのもつ味わい、人間の心の屈折や奥深い営みといったものを理解できなくなります。他国の人々の心も苦痛も読めないし、苦しんでいる自国民の心も読めない日本人が激増しています。これでは日本がうまく行くわけがありません。苦みを好む人々がふえれば、状況は徐々に改善します。苦しいこと、辛いことに「耐える(tolerate)」ことができる人々がふえてくれば、世の中は変わります。もっと大きな希望や喜びが、「耐えた」あとに待っています。とはいっても、昔のスポーツ根性ドラマ(&アニメ)のように、若者に苦痛を強制し、ど根性をひたすらたたき込むという教育はいまさら無理です。「忍耐することは楽しい」「苦みというのは素敵なこと」「苦みはカッコイイ」「苦いことは美しい Bitter is beautiful.」という考えを広めたいと思います。この哲学を実行しているのがイチロー選手です。女性たちも「甘いマスクの美男子」や「やさしい男」ばかりもてはやしていないで、そろそろ「寡黙で、無骨で、苦み走った男」を好むようになってほしいものです。こういう男の典型としての高倉健が、中国では圧倒的に人気があるそうです。中国の元気さと高倉健好みの間に深い関連性があるとまでは言いませんが、研究してみるに値するテーマではないでしょうか?

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COLUMNS hirobuchi 2010-02-19T10:21:51+09:00
ケヤキは今は坊主だが http://hirobuchi.com/archives/2010/02/post_373.html 雨が久しぶりに上がった日曜日(14日)に、久しく訪れなかった近所の公園に行ってみました。そこでなんでもない当たり前の風景に感動しました。この前に見たケヤキ(欅)の大木数本が、ことごとく葉を落として丸坊主になっていたのです。冬になれば落葉樹は葉を落とすのは当たり前なのですが、この外見からはとても4月、5月に青々とした葉をつけるとは信じられないほどの、徹底した丸坊主でした。もし去年の春と夏の若葉青葉の様をこの公園で実際に見たことがない人が見れば、この「なんにもない木々が本当に葉を付けるのだろうか?」と疑いたくなるような、寒々とした光景でした。しかし春は地下で脈々と準備をしており、養分をしっかりと木々に送っているのです。春がかならずまたやってくると信じなければ、人は生きてゆけません。かつて恩師から、「秋になれば稲穂になり米がとれると信じればこそ、お百姓は籾種を撒き、田植えをするのだ」と教えられたことがあります。これもまた「当たり前の話」ですが、「若者もまた未来に実を結ぶと信じて学問せよ」という教えと結びついていたと思います。しかし頭ではいくら分かっていても、寒風の中で、およそ「命」を連想させるものを、いっさい身にまとっていない大木が、あと2か月もしないうちに若葉を繁らせるということを、想像するのは非常にむずかしいことでした。「たしかに去年までは若葉を繁らせた。だが今年ははたして大丈夫なのか?」とつい考え込んでしまうほどだったのです。なぜこんなことをいま書くのかと言うと、大学や高校を出て数年が経つのに、いまだに「これが自分の一生の仕事だ」と思えるような職業に就けていない若者を何人か知っているからです。私の教え子の中にもそういう人はいます。希望をなくし、無力感にさいなまれている人もいます。しかし、身になにもまとっていない木々が、あと数か月もすれば、空が見えなくなるほどの大量の青葉を繁らせるのだと思えば、なにか勇気が湧いてきませんか? 気休めをいう気はありません。無闇に希望を語りたくもありません。ただ荒涼たる風景の中に、今はまったく目に見えない「春の音」をかすかに聞いたという報告だけをさせていただきたいと思います。

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COLUMNS hirobuchi 2010-02-15T16:58:53+09:00
人物を見分ける物差し http://hirobuchi.com/archives/2010/02/post_372.html 昔から「この人物は信頼できるかどうか」を見分ける基準がいくつかありました。そういうことを書いた歴史書や経営者の人物評価をした本も多数出版されています。そうした中で、だれでも「自分のこととして」人物を評価する方法があります。この場合は男同士の基準ですが、第一には「この男とは共同して事業を起こすことができるか?」というものです。事業を起こすというのは、命から2番目に大事なお金を出し合って会社あるいはプロジェクトを立ち上げるということです。もし自分の選んだパートナーが頼りにならない男であった場合、出資したお金はすべてぱーになってしまいます。ともに事業を起こすパートナーたるに値するか否かということになると、厳しい人物鑑定眼が必要です。「なんとなく感じがいい」とか「やさしそうだ」とか「好きだから」といった基準で組む相手を選ぶわけにはいきません。出資金を持ち逃げしたり、理想ばかり語って働かなかったりするような男では、とうてい共同事業は推進できません。そんな奴と組むとあなたはたちまち破産してしまいます。第二の評価基準は、自分がいよいよ死にそうだと分かった場合に、後に残される息子のことを託せる相手を選べというものです。まだ年端もいかぬ息子の後事を託すからには、よほど信頼するに足る相手でなければなりません。「こいつが成長するまでよろしく頼む」と言って「任せておけ」と力強く言ってくれるような相手、それが信頼するに足る人物だということです。さて、こうした人物鑑定基準に照らして、今の日本の政界を見渡してみてください。果たしてこの基準にかなう人は何人いるでしょうか? 有権者も早く目覚めて、せめてくのくらいの物差しで人を選ぶようになってほしいものです。

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COLUMNS hirobuchi 2010-02-11T12:39:19+09:00
ボスが悪いにきまってる(小沢氏への疑惑は晴れず) http://hirobuchi.com/archives/2010/02/post_371.html 小沢一郎氏が「不起訴処分」になったことで、取り巻きの中には「検察との戦いに勝った」と喜んでいる者が多いですが、大多数の良識ある国民は「これは今の法律の欠陥による不起訴」と見ています。ふつうどんな組織でも、部下の不始末は上司の責任です。その部下の不始末を見抜けなかった上司が、無傷ですむということはまずありません。管理責任というものがかならず問われます。ましてや、陸山会のように、構成メンバーが二人か三人のような小組織で、ボス(小沢氏)の了承なしで、数億の金が動くということはありえません。秘書たちが3人も起訴されて、ボスが無傷というのは本当におかしな話です。もし小沢氏が、一かどの人物なら、「法的には私は不起訴となったが、部下を管理できなかった責任は私にある。党にも迷惑をかけた。この際責任を取って幹事長を辞任したい」というべきです。しかしそんな殊勝な了見を彼はもともと持っていません。今回の騒ぎが明らかにしたのは、「いかに追求されても知らぬ存ぜぬで押し通せ。そうすれば法律が君の悪業を守ってくれる」「徹底的に嘘をつけ。正直者は馬鹿だということを思い知れ」「秘書には恐怖心を植え付けよ。検察に追い詰められても、ボスを庇うような奴を採用せよ」といった、負の教訓です。2月3日はまさに「日本から希望を奪った一日」でした。ただし、この「不起訴」の裏には、今後の小沢氏の行動を規制することと引き換えの、なんらかの「取り引き」が含まれている可能性はあります。たとえば来るべき検察首脳人事について、小沢氏(&鳩山首相)が報復を行わないとかいったことです。あるいはもっと大きな国際的な枠組みでの「手打ち」が行われた可能性もあります。いずれも推測の域を出ませんが、メディアの裏側を読むだけの「屈折した目」が必要だと思います。

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COLUMNS hirobuchi 2010-02-05T09:43:30+09:00
マスコミが伝えない「世界」ーー講演会のお知らせ http://hirobuchi.com/archives/2010/02/post_370.html 3月13日(土曜日)に、成城学園で「マスコミが伝えない『世界』」と題する私の講演会が行われます。日本のメディアが、世界で起きていることを変に味付けして伝えるために、本当の姿が見えなくなっているという思いを、私は長年抱いてきました。メディアの内部にいる人間として、この認識は相当にいらいらが募るものでした。同僚の見方を変えられない自分の非力さも痛感してきました。「こんな対外認識を持っていたのでは日本は危ない」と何度も思いました。ではなぜ日本のメディアにはそんな「歪み」が生まれるのか? それをできるだけ整理し、客観的に見詰めることも必要だと思うようになりました。そうした観察と悔恨の集大成というと大げさですが、自分の力の及ぶ範囲での、メディアの「癖」を語ろうと思います。アメリカとイギリスの放送史をつぶさに見てきた体験も折り込むつもりです。おそらく「誰も語らなかった」話になるはずです。定員は60名ですが、現在50人強の申し込みが来ています。ご興味のある方は主催者に直接申し込むか、私のメールアドレスにご連絡ください。お目にかかれるのを楽しみにしています。

レクチャーシリーズ 第5回

1.日時  3月13日(土曜日)  15時 (14時30分開場)
2.場所  Casa Mia (カーサ ミア)
       〒157-0066 東京都世田谷区成城 6-25-20-1
       交通 小田急線 成城学園 下車 徒歩約5分 (成城学園駅にくっついた形の交番で
       「カーサミア」とお聞きになればすぐに分かります)
       電話 (03)6905ー8989 (出ないこともありますが、当日は確実に通じます)
3.主宰  大野 鞠子さん(陶芸家。このレクチャーシリーズのオーガナイザー)
4.会費  3000円(お茶菓子付き)
5.演題  マスコミが伝えない「世界」
6.講師  廣淵升彦  (連絡用 E-mail hirobuchi@hkg.odn.ne.jp)

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COLUMNS hirobuchi 2010-02-01T16:36:10+09:00
800人の「民意」 http://hirobuchi.com/archives/2010/01/post_369.html 沖縄名護市の市長選挙で、辺野古の米軍基地化反対の稲嶺進氏が当選しました。鳩山首相は選挙後ただちに「民意は重く受け止めなければならない」と言いました。住民の意思を尊重するというのは、一見いかにも民主主義をたいせつにする民主的政治家のように見えます。しかし稲嶺氏と敗れた島袋吉和氏の得票数を冷静に調べてみる必要があります。内訳は稲嶺氏17950票、島袋氏16362票。差はわずか1588票です。これをもって、名護市民の「民意」が稲嶺氏に傾いたーーといえるのでしょうか。もし仮にこの半分の約800票が島袋氏に流れていたら、島袋氏が僅差で当選していたのです。1億2000万人の日本人の運命が、800人の意思によって決められようとしているのです。稲嶺氏に投票した人々は、鳩山首相が、「辺野古以外にも選択肢はありうる」「日米合意を白紙に戻すことも可能だ」という幻想を振りまいたために、稲嶺支持に回った可能性が高いのです。もし鳩山氏がぶれずに、選挙の前に「名護市の皆さんの意思とは違う決定を国として下さなければならぬこともありうる。皆さんの苦衷は察するが、苦しみは国民全体として乗り越えて行こう。国としても、皆さんが受けるかも知れない苦痛の代償として、十分な対策を講じる。他県の県民も皆さんに感謝し、皆さんを励ますためにも観光などにたくさん訪れるようになるだろう。日米安保は、日本の安全のみならず、東アジア全体の安全のためにも必要不可欠なのだ。我々としては、辺野古以外の候補地も探るが、その努力の果てにご当地と決した場合には、ぜひともよろしくお願いしたい」ーーくらいのことを言っていたら、島袋氏は800票どころの差ではなく、大差で当選していたでしょう。今回の選挙をあえて「800人の民主主義」「800人の民意」と呼びたいと思います。かつて美濃部亮吉という東京都知事が、「1人でも反対すれば、橋は架けない」と宣言し、ために東京は実に長い間行政は停滞し、交通渋滞、非能率、大気汚染に見舞われ続けたことを思い出します。この美濃部発言は、今では「愚かなる民主主義ごっこだった」という評価が下っていますが、ご本人はすっかり舞い上がり、一部の支持者はこの決断を褒め称えたものです。鳩山さんも、少しはこの歴史的愚行から学んでほしい。事はすべての日本人の安全と運命に関わる重大問題であり、同時に東アジア全体の安定が保てるか否かの問題なのです。

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COLUMNS hirobuchi 2010-01-28T10:04:09+09:00
自分の資金管理もできない者が http://hirobuchi.com/archives/2010/01/post_368.html 1月23日夜、東京地検の事情聴取を終えた小沢一郎氏は、自分の資金管理団体の「資金の流れを全く把握していなかった」と記者団に語りました。鳩山由紀夫首相も母親からもらった巨額の資金の入金を「自分は天地神明に誓って知らなかった」と国会で答弁しました。おかしいとは思いませんか? 自分の政治資金の流れも把握できない者に国家予算が把握できるわけがなく、国家運営ができるわけがないのです。中小企業の秘書課長が、社長に相談も報告もせずに、4億も5億もの金を自由に出し入れするなどということはありえません。もし発覚すれば、彼は即座にクビです。そういう世間の一般常識とは全く反することを、両氏はしゃべっていて恥じる気配がありません。「自分は知らなかった」と小沢・鳩山両氏は口を揃えたかのように言い張っていますが、これは明らかに「弁護士の入れ知恵」によるものです。事実小沢氏は聴取前に弁護士と綿密な打ち合わせをしています。今の法体系では、こう言っておけばそれ以上追求できない、ことを弁護士は知りつくしています。二人とも、この言い訳の中に逃げ込めば安泰だと思っているのでしょう。しかし国民の目は、こうしたテクニカルな法解釈なんかよりももっと鋭いのです。二人の答弁の虚偽を見抜いています。メディアがそこを衝かないので、頭を整理できないのでしょうが、「どう考えてもあの二人の言うことは信用できない」と思っていることはたしかです。

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COLUMNS hirobuchi 2010-01-24T10:01:52+09:00
アジア産の鯉ミシガン湖に出現! http://hirobuchi.com/archives/2010/01/post_367.html 21日現在のアメリカでの最大の話題・関心は、なんといってもマサチュセッツ州の上院議員選挙で共和党候補が民主党候補を破ったことです。このことは今後のアメリカおよびオバマ政権にとって、きわめて大きな意味を持っていますが、今回はこのことと関係のない話題をひとつご紹介します。ニューヨークタイムズの国際版が伝えたもので、「アジアの鯉(or 鮒)アメリカに浸透か?」というものです。長い間、いつかはやってくるのではないかと懸念されていた、アジアの鯉がついに五大湖のひとつミシガン湖で発見されたというものです。繁殖力が強く、他の魚を食い荒らしかねず、自然環境にも大きな害を与えるとして、アメリカ政府はこの魚が入ってくるのを徹底的に排除してきたのですが、巧妙に張り巡らされた警戒網をかいくぐってついにミシガン湖にまで到達したことが分かったというのです。英語では「カープ」と表記しています。カープはコイもフナも意味します。アメリカではこの両者を区別していません。たぶん同じように見えるからでしょうが、ミシガンという巨大湖に現れたとなると、ここはやはり「鯉」のイメージでしょう。
日本の旧来の生態系の魚を食い荒らし、自然環境に甚大な被害を与えているのが、アメリカ産のブラックバスです。これを検疫官の目をかいくぐって持ち込み、沼や湖に放つ不心得者が、日本にはたくさんいます。そんなことをしてどんな得があるのか知りませんが、一度破壊された自然はけっして元には戻りません。しかし日本の自然が、アメリカ産の魚によって破壊されても、アメリカ人はその傷みを感じません。遠い日本にいる不心得者の仕業であり、自分の日常とは関わりがないと思っています。ところが自分たちがこよなく愛し、大事にしている五大湖に、恐るべき侵略者が現れたとなると話は違います。これでアメリカ人は、アメリカ産の魚や、アメリカ産の悪いマナーに浸食されて困り果てている他国民の苦痛を少しは思い知るようになるでしょうか? 私はそうはならないと思いますが、誰がなんのために、アジアの鯉をミシガンくんだりまで運んで行ったのか、ということに興味があります。鯉を運んだのは、個人なのかグループなのか。秘密結社のようなものなのか。アメリカの価値観や宗教観の浸透に反発を覚えるどこかの国のグループが、アメリカ人に反省を強いるために計画したことなのか? アジアの鯉の美味さを知ったアメリカ青年が、故郷でもこれを食べたいと思い、長期的な計画で運び込んだのか? 想像はいくらでも広がっていきます。ミシガン湖の鯉の背景にはなにがあるのか? 陰謀か愉快犯か? 神の配慮なのか? 誰も思いつかないような、奇想天外な見方を、お書き込みいただけたらと思います。お騒がせして申し訳ありませんがーー。

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COLUMNS hirobuchi 2010-01-21T13:47:58+09:00
法律以上に大切なもの http://hirobuchi.com/archives/2010/01/post_366.html 民主党の小沢一郎幹事長は、ここのところ自らの元秘書が逮捕されたことに対して「私どもはなんら法律に触れることはしていないつもりだ」と発言しています。これに違和感を覚える国民は多いと思います。小沢氏は法律を徹底的に調べ、何が違法で何が違法でないかを知りつくしている人だといわれます。氏の解釈では今の法律に照らして、「自分は違法なことはしていない」つもりなのでしょう。しかし大多数の国民は、そういういわば「テクニカルな法解釈」ではなく、もっと大きな政治家としてあるいは人間としての「倫理観」を問題にしているのです。常識とか良識というのは、法律よりももっと大切なものです。法律についてはなにも知らない小中学生でも、人間として何をしてはいけないか、どういうふうに振る舞えばよいかは知っており、教えられています。人間社会は「法律以上に大切なもの」によって成り立っているのです。この基準に従えば、東北のダム工事に際して、小沢氏の「天の声」が決定的な影響力を持っているという、建設会社の関係者の証言などに照らしても、彼が政治家として疑惑を持たれることをしてきたのは、ほぼ誰の目にも明らかではないでしょうか。その見返りが政治献金だったのでしょう。事は「帳簿に収支を記載する際のミス」なんかではないはずです。こういう当たり前のことが、メディアではあまり伝えられず、欲求不満を感じている読者や視聴者は多いと思います。あえて「誰もが感じているが、活字や音声で語られていないこと」を書きました。

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COLUMNS hirobuchi 2010-01-17T10:28:39+09:00
「スピーカーズ・コーナー」の国際版 http://hirobuchi.com/archives/2010/01/post_365.html ブログに自分の意見を書いて発信している人は、世界中にそれこそ何百万人もいることでしょう。誰もかれもが、ほぼ束縛なしに(中国などでは「危険」な記事は政府から差し止められますが)自分の意見を好きな時に好きなだけ発表できるというのは、すばらしい世の中だと思います。中にはどう考えても人さまにお読みいただける内容ではないものもありますが、それはおたがいさまで、こちらも大きなことは言えません。さて、これだけ自由に物が言える状態になる前の世界はどういう状況だったかを、ちょっと考えてみたいと思います。無名の個人が新聞や雑誌に意見を発表するというのは、非常にむずかしいことでした。それこそ「発表するに値する」内容でなければなりませんし、編集長の感性(好み)と合致しなければ採用されませんでした。インターネットが出現する前は、ほぼどこでも状況は同じでした。街頭に出て自分の意見を述べる人はいましたが、それとても規制があり、自治体の許可を必要としました。こうした状況の中で、世界中でただ一個所、自由に物が言えるコーナーがありました。これが有名なロンドンはハイドパークの「スピーカーズ・コーナー」です。直訳すると「話し手のコーナー」となります。王室に対する批判は例外的に禁じられていましたが、それを除けば誰でも何を語ってもよいことになっていました。毎週日曜日になると、腕に覚え(いや舌に覚え?)の雄弁家たちは、何週間も構想を練ってここにやってきました。彼らの主張を聞いてくれる聴衆というか野次馬もちゃんと集まってきました。耳が肥えていて、つまらないスピーチをすると寸鉄人を刺す痛烈な野次を浴びせ、弁士を立ち往生させました。話し手と聴き手の間には、適度の緊張感があり、ここにきて阿呆なスピーチをすることは恥でした。さすがは近代的な議会の発祥の地であり、言論の自由が保証されている国の公園でした。こういうコーナーを考え出した人は、本当にすばらしいと思えたものです。
思いをこらせば、今インターネットで自由に意見を発表している人は、このスピーカーズ・コーナーの弁士が発展したように見えてきます。ハイドパークが世界に広がったようなものです。しかしこれだけ意見を述べる人が世界にもイギリスにも増殖したからには、ハイドパークのかのコーナーはもはやその存在意義を失ったのではないか、という気もします。このコーナーが今も依然として健在なのかどうか、最新の情報は得ていません。しかし、世の中がどんなに変わろうとも、鋭いウィットで政治や社会を風刺し、自分の言いたいことを短い言葉に託して表現する「弁論の文化」は衰えていないだろうというのが、私の推測です。素人弁論の本家本元が健在ならば、その子孫たるブロガーも負けてはいられません。世のブロガーの皆さん、今年も大いに書きまくって、友人や知己を悩ませてください。それが民主主義の基礎であり、迷惑もまた社会に貢献する道ですから。

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COLUMNS hirobuchi 2010-01-12T14:18:41+09:00
首相が社長であったなら http://hirobuchi.com/archives/2010/01/post_364.html 鳩山首相を「好き」だと思う人々もまだかなりいるようです。業界と癒着したり、密室で次の総理を決めたり、国民に訴える強力なメッセージが出せなかった前政権への嫌悪感が尾を引いていて、このぶん鳩山首相は得をしています。外交における取り返しのつかない失策は、見える人には議論の余地がないほど明らかですが、一般の人々の目にははっきりとは見えません。毎日の生活に直接響く事柄ではないからです。物事の本質を見極めるためには、時には比喩が有効です。「もし鳩山首相があなたの会社の社長だったら」と考えてみると非常に分かりやすいと思います。(1)重要な取引先に対して昨日約束したことを今日簡単に取り消す(対米交渉がそれです) (2)まだ社内の決裁も得ていず提携先の了解も取っていない案件を簡単に外に漏らす(ぶら下がり記者団へのリップサービス) (3)意思決定のスピード(ビジネスにはスピードが不可欠。商機を逃せばビジネスは失敗する) (4)一旦決めたことを断固として実行する意志力 (5)顧客(消費者=国民)の求めているものを読み取る能力 こうした観点から鳩山さんのやってきたことを仔細に見て行けば、「この人に率いられた我が社ははたして大丈夫なのか?」と誰しもが思うでしょう。たとえ彼を大好きな人でも、「この人の下では会社は危ない!」と感じるのではないかと思います。競争の厳しい業界で、従業員が100人くらいの会社に、このような社長がいるでしょうか? 正月早々こういう記事を書かなければならないのは非常に残念です。しかしこれも「状況をよりよく理解するための補助線」とご理解ください。

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COLUMNS hirobuchi 2010-01-05T19:00:37+09:00
光は1個所にだけでも見えればいい http://hirobuchi.com/archives/2009/12/post_363.html 家の中の明かりを全部消して闇の中を歩いて2階にに登ろうとします。なじんだ道順のはずなのに、けっこう不安を感じます。マグカップに水を入れたのを持っていたりすると、思わずこぼしそうになります。こんなとき、2階のいちばん奥の部屋に明かりが灯っていると、すいすいと歩くことができます。この身近な体験から考えたのは、「明かり(光)というのは、日本(&世界)のいたる所に灯っていなくてもかまわない。たとえ1個所にでも光が見えれば、人は歩いて行ける」ということでした。どこかに光があるかどうかで、人間の行動は大きく変わります。残念ながら今の日本には光が見えないと感じている人が多いです。とくに知的な人々と若者の間にこの傾向が強いようです。「いつの時代にもインテリは物事を悲観的に見過ぎる。彼らの心配とは別に、ちゃんと世の中動いてゆく」という見方にも一面の真理はあります。しかし、今の政権でいちばん心配なのは「頭脳の不在」です。正常な判断力のないパイロットが、ジャンボ機を操縦しているような危険を感じます。「美しい言葉(本当は陳腐な言葉)はもう要らない。具体策(中身)を示せ」「欲は言わない。日本の1個所でいいから、はっきりと目に見える光を示してほしい。それがあれば少しは安心して歩いて行ける」ーーと多くの国民は思っています。この際の光とは、やはり具体的な景気刺激策であり、目に見える雇用です。外交で他国の侮りを受けたり不信を買わないことです。前政権がやったことをことごとく否定するという、子供じみた発想を直ちにやめることです。自分たちの理念は、国際的に見れば相当に遅れており見当はずれで視野狭窄だということに気付くことです。大衆に迎合せず、社会を本当に動かしている中堅層および「政敵」の意見に耳を傾けることです。これができれば、民主党への支持は当分つづくでしょう。できなければ、日本人は非常に危険な暗闇の中を手探りで歩いて行くしかありません。

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COLUMNS hirobuchi 2009-12-31T10:18:16+09:00